第9話 お嬢様は禁止です。
領都バルトに到着した翌日から、私の領主としての生活が始まった。
皇宮での皇太子妃としての経験はあったが、メルドルフ治世者としては右も左も分からない状態。
そこで先行して領地入りしていたハイデランド侯爵家の文官から、レクチャーを受けることとなった。
「まぁ危機的状態といってよいでしょう」
アロイス・ベルルはどさりと書類の束を机に置きながら言った。
放たれた言葉の深刻さとは裏腹に、何故か声色は明るい。
私は書類の表紙をめくりながら、
「それほどひどいの?」
「ええ。それはもう。成るべくして成ったとしか言いようがありませんが……。明日破綻しても何らおかしくない状況です」
「そう。困ったわね」
私は書類に並ぶ数字を追う。
すべての項目に赤い線がひかれ、使途不明であるとか、過小申告であるとか記入されている。
(こんなに若いのにお父様に重用されるだけあるわね。ほんの数日でここまで調べ上げるなんて)
アロイス・ベルルはハイデランド領内では知らぬ者がいないほどの有名人である。
十代半ばにしてハイデランド侯爵家の行政執行官の一人として史上最年少で召し上げられ、数多くの難題を解決し実績を積んだ天才だ。
年は、そう確か私の一つ二つ上。
まだ皇室に参内する前のことだ。
侯爵邸で私はアロイスの姿を見かけたことがあった。
お父様に仕える行政官団のなかに、ずいぶん若い男性が一人混ざっていたのを意外に思ったものだ。
その時教えられた名がアロイスだった。
お父様からも絶賛されるほどの才覚の持ち主であるアロイスが、主の命とはいえ、この辺境の地まで来てくれるとは……。
(なんてありがたいことでしょうね)
騎士団のなかで随一の腕の持ち主イザーク、そして天才行政官アロイス。
ハイデランド侯爵家にとって無くては成らない人材を、惜しげもなく私に与えてくれるお父様の度量の大きさに、感服するばかりだ。
(お父様は私を愛してくださっている。期待に応えなくてはいけないわね)
それが難しい道であるとしても。
早速、私はアロイスに渡された帳面を読み込む。
前世の記憶のおかげか、皇太子妃教育の賜物か、不思議とすんなりと理解できた。
読めば読むほどアロイスの言うとおり、酷い……としか言いようが無い惨状だ。
「ほんとうに言葉も出ない位、どうしようもない状況ね……。でもアロイス、あなたが噂にたがわず優秀なことが分かって良かったわ。短期間でここまで監査できているとは思いも寄らなかった」
「お褒めいただきありがとうございます」
アロイスは素直に礼をいうと、照れたような笑顔を浮かべた。
なんだか子犬のようだ。
イザークもギャップが素敵だったが、アロイスもまた別のかわいらしさがある。
アロイスはさらに書類を積み上げ、
「皇室に見捨てられた領とはよく言ったものです。完全に皇室の怠慢ですよ。派遣した代官の審査すらしていなかったのですから。これだけ不正が成されれば、領が困窮するのは当たり前です」
「天災も多い土地だと聞いているし。それに加えて役人の腐敗……」
行く道は険しそうだ。
「でも、もうここは皇領ではないわ。私の領よ。今までとは違うことを民に示さなければならないわ。アロイス、民のため領のために何が出来るか、一緒に考えてもらえる?」
「もちろんです。このアロイス・ベルル、お嬢様に誠心誠意おつかえいたします」
アロイスは執務室の入口に目を向ける。
護衛として控えていたイザークが静かに頭を下げた。
「私の命もコンスタンツェ様、あなた様に捧げます。忠実な手となり足となりましょう。何なりとお申し付けください」
「イザーク……」
胸が熱くなる。
海のものとも山のものとも分からない私に全てを賭けてくれている。
なんて素晴らしい人たちなのだろう。
ただ不満があるとすれば……。
「では二人に最初の命令を下します」
私はわざとらしく居住まいをただし、座りなおした。
「私のことはコニーと呼びなさい。お嬢様は禁止よ」
二人とも目を丸くし、声も出なかった。
ちょっと意地悪だったかなと思ったけれど、後悔はしていない。
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