第44話 もう開き直ることにしました/51

 ☀


「閃刃、スレグローガ」


 名前を呼ぶとともに魔刃の力が開放され、カレドヴールフの刀身が輝く光に変化する。


「……なるほど」


 同時に、ソルラクはスレグローガのおおよその権能を理解した。魔刃には、使い手に己の権能を教える機能がある。一度力を開放さえすれば、大体の使い方がわかるのだ。


「王刃の機能も使えそう?」

「ああ」


 下からこちらを見上げて問うニコに、ソルラクは短く答える。目に意識を集中させると、視線を向けている部分が拡大された。更に目に力を込めると、ニコの身体が赤く染まり、周囲の風景が青く見える。


 どうやらこれは生き物の熱を感知する視界であるらしい。これなら煙越しに狙撃することも可能だろう。地面についたほんの僅かな足跡を捉え、追跡することも。


 そのままソルラクは前方に光の刃を向け、今度は魔刃を持つ手に力を集中させる。狙いはおよそ500メートル程の距離に生えている木の幹。光の刃に力を溜め、一気に解き放つイメージで放出する。


 途端、光が迸り狙った木から大分外れた場所に着弾した。


 やはりラムファダと同じような使い方は無理だな、とソルラクは結論づける。スレグローガの権能は使い手の視力を拡大強化するものであって、狙っている場所に光の刃を命中させるようなものではない。


 長距離への射撃はほんの少し手元の角度がずれただけでも大きくずれてしまう。柄の長い槍の形をしたスレグローガ本体ならまだしも、短い柄しか持たないカレドヴールフでは狙撃は不可能だ。


 それでも視力を強化する能力は大いに役立つし、中距離への牽制であれば十分に有用だろう。大爆発を起こすために常に自爆の可能性があるラヴァティンの火炎弾に比べ、威力は若干低いものの使いやすさでは比べ物にならない。


「ところでさ、ソルラクくん」


 一通り魔刃の使い心地を試し終わったソルラクに、ニコが声をかけた。


「街にいた魔刃使いは倒したわけだけど、結局山の方に行くの?」

「ああ」


 既に次の港町に向かう便は逃してしまっている。そうでなくとも、おそらく次の街でも敵は待ち受けていることだろう。


 気絶したラムファダは念の為に縄で木に縛り付けてきたからそうすぐには報告は伝わらないはずだが、敵がどのような方法で連絡を取り合っているかはわからない。最悪を想定して動いた方がいいだろう。


 ラムファダ程の使い手が倒されたとなれば、ソルラクなら複数の魔刃使いを差し向ける。流石に彼よりも高い実力を持つ者がそうゴロゴロいるとは思いたくないが、複数の魔刃使いが揃えば組み合わせ次第ではラムファダより厄介ということもありうる。


「あの……」


 そんな事を考えていると、おずおずとリィンがソルラクの方を振り向いた。


 彼女は今、以前二人で旅をしていたときと同じように、手綱を持つソルラクの両腕の間にいる。


 幸いにしてピアの傷はさほど深いものではなく、竜の眷属特有の生命力で一晩も経てば人を乗せて歩けるほどに回復した。


 問題はソルラクの方だ。彼の受けた傷はピアよりもよほど深く、竜のようにあっという間に回復するというわけにもいかない。


 それでも歩くくらいは問題ないと思ったのだが、ニコとリィンの強い勧めで今はソルラクがピアに騎乗していた。


「ミゼットさん……という方に、会いに行くんですよね?」

「ああ」


 できればミゼットには頼りたくなかった、というのがソルラクの正直な気持ちだ。

 手を貸してくれるかどうかはわからないし、仮に助けてくれたとしてもソルラクが返せるものはなにもない。借りばかりを重ねていくことになってしまう。


 だが、もし今この状況で手を貸してもらえるなら、彼女ほど頼りになる相手もいない。


「その人は……その、女性、なのでしょうか……?」

「ああ」


 答えつつ、妙なことを気にするものだ、とソルラクは首をひねる。しかしリィンにとっては重大な話であったようで、彼女は表情を強張らせた。


『お慕いしているから……ソルラクさんの事が、好きだからです──!』


 なんとなく、あの時リィンに言われた言葉をソルラクは思い出す。


 好きと言っても、色々な意味があることくらいはソルラクにもわかる。例えば彼は竜が好きだが、リィンに対して抱く感情とは全く違う。リィンへの『好き』の方が遥かに重く、深く、大切だ。


 リィンが自分に対して抱く気持ちはどうだろうか。自分がリィンに対して抱いているのと同じ気持ちだとしたら、それは非常に喜ばしいことだ。そして、それは根拠のない直感に過ぎなかったが、その可能性は高いように思えた。


 だが──


 その思いをリィンに告げる資格は、ソルラクにはない。

 本当のことを知ればリィンもソルラクを恨み憎むだろうから。


 ──彼女の母を殺したのは、ソルラクだということを。



 ☪



 ラムファダとの戦いから、数日が経過した。

 敵の待ち伏せを警戒し、人里を避けて山頂を目指し、ひたすらに歩く日々だ。


 幸いソルラクの傷はそれ以上悪化することはなく、リィンが甲斐甲斐しく包帯を取り替えた成果もあってだいぶ良くなってきている。だがソルラクの体調が改善していくにつれ、リィンの心には次第に不安が頭をもたげてきた。


 最たるものは、告白の返事を貰っていないということだ。

 彼女が今まで読んだ物語では、たいてい愛の告白には答えがあった。そして互いの想いを確かめあった二人は結ばれ、ハッピーエンド……というのが基本である。

 断られるパターンもないではないが、それは大抵後々に覆されるための伏線だ。勿論、現実が物語のようにうまくいくわけではないだろうが……


 どちらにせよ、ノーリアクションというのは想定していなかった。ソルラクだから仕方ないと言えば仕方ないが、気にする素振りすら見せない。もしかして自分が告白したのは夢だったのだろうか、と思うほどだ。


 そうなると途端に気になってくるのが、ミゼットという女性の名前だ。

 今までソルラクから、女性はおろか人の名前など一度も聞いたことがなかった。かろうじて聞いたことがあるのは、『爺さん』と呼んでいる、名もわからない彼の養父だけだ。


 しかし口ぶりからすると、かなり親しい相手であるように思える。そもそもソルラクが命を賭して守ろうとしたリィンを託す相手として選んだのだ。少なくとも、相当信頼している相手であることは間違いない。


 一体どんな間柄の人なのか、どんな女性なのか、気になって仕方がなかった。


「……降りろ」


 辺りに生える木々がまばらなものとなり、山道が険しくなってきたところで、ソルラクはリィンにそう告げる。言葉とは裏腹にひょいと抱きかかえられ、丁寧にピアの背から降ろされながら、元々ピアが山を超えられないから陸路を断念したのだという話を思い出した。


 確かにここから先の道は角度の急な岩肌が多くなってきていて、四足で身体も大きい笛竜には登るのは大変そうだ。


「……野に放つんですか?」

「いや」


 だが、すっかり愛着の湧いてしまったピアと離れるのを耐え難く感じて問うと、意外にもソルラクは首を横に振り、手綱を木に繋いだ。


 そして道すがら採り貯めてきていた木の実をどっさりとピアの前に置く。


「こんなところに繋いでいたら、魔物とかに襲われちゃわない?」

「問題ない」


 ニコの問いに、ソルラクは短く答える。問題ないとはどういう意味だろう? とリィンは首を傾げた。


 手綱はさほど長くないから、木に結んでしまっては逃げることが出来ない。かと言って、自力で身を守れるほどには笛竜は強くないはずだ。


 だとするなら、考えられる可能性はただ一つ。


「ここは安全ということですか?」

「ああ」


 言われてみれば、ここに来るまで山道は大変だったが、魔物や猛獣と出会うことは一切なかった。ソルラクやピアが負傷している中で襲われれば危険だから、敵に出会わない幸運を疑うことはなかったが、改めて考えてみれば不思議なことだった。


「ぷおぉぉ……」


 置いていかれることを察して不安げに鳴くピアに、ソルラクは何度か口笛を吹いて答える。その音色は細かく、ひどく優しげなもので、リィンはついピアが最大のライバルなんじゃないか、などと思ってしまった。


「リィン」


 するとソルラクはリィンの方を向いて、彼女の名を呼ぶ。


「はい」


 その視線から意図をなんとなく察して両腕を伸ばすと、ソルラクはリィンをひょいと抱きかかえた。


「流れがスムーズすぎる」


 ニコがぼやくように呟く。しかしピアに登れない山道をリィンに登れるわけもなく、ソルラクが抱えて進むことになるのは当然といえば当然の事だ。


「あの、重くないですか?」


 ふと、ニコに重いと言われたことを思い出し、リィンは問う。


「ああ」


 ソルラクは事も無げに切り立った岩肌を登っていきながら、短くそう答える。その『ああ』は、重いということだろうか、それとも重くないということだろうか。視線やかすかな表情から読み取れないかと、思わずリィンはソルラクの顔をじっと見つめる。


 すると。


「軽い」


 ソルラクがそう追加したので、リィンは思わず驚きに目を見開いてしまった。リィンがソルラクの僅かな変化からその意図を類推することが出来るようになってきたように、ソルラクもまたリィンの仕草から心中を察してくれるようになっている。


「すき……」


 そう悟ったその時、我知らずリィンの口からそんな言葉が漏れた。それはほとんど無意識のもので、しまったと思っても後の祭りだ。


 だが、ソルラクはふいと顔を反らした。嫌だっただろうか。一瞬不安になるが、ほんの僅かにソルラクの顔色が赤く染まっているのに気がついた。いつもソルラクを見ているリィンでなければ見逃してしまう程度の……リィンでも、気のせいかも知れないと思う程度のかすかな差。


 即座に、リィンは『図化』の魔術を使った。そして慎重にソルラクを全角度から詳細に確認しつつ、ぼそりと呟いてみる。


「ソルラクさんの事が、好きです」


 見た目にはほとんど変化はない。

 しかし、ソルラクの心拍数は確かに上がり、体温も僅かではあるが上昇していた。


「えへへ……お嫌でなければ、好きでいさせてくださいね」


 嬉しくなって、リィンはぎゅっとソルラクに抱きつく腕に力を込め、耳元で囁く。今はまだ、それでいい。ソルラクがほんの少しでも、自分を意識してくれている。それがわかっただけでも、踊り出したい気分だった。


「えぇ……僕は何を見せられてるのこれ……」


 ニコが背後で小さく呟くのが聞こえた気がしたが、リィンはそれを完全に無視した。






「ここだ」


 やがて、ソルラクが足を止める。そこはなにもない山の中腹だった。


「ミゼット!」


 ソルラクの張り上げた声が、山にこだまする。

 正念場だ、とリィンは思った。もしミゼットという人がソルラクと親しい間柄だったとしても、恋仲ということはないだろう。ソルラクはそんな相手を放って旅をするような人ではないからだ。


 けれどその一方で、ソルラクと親密な仲であることもまた間違いない事だ。ソルラクがこんな風に頼る相手は、他にいた試しがないからだ。


 だけど、負けない。

 リィンは己の心にそう誓い、ぎゅっとソルラクの首に回した腕に力を込めた。


 そんな彼女を吹き飛ばさんとするかのように、凄まじい風が吹く。


 かと思えば雲ひとつない晴天の中に突然影がさし、リィンは思わず上を見上げた。


「え……」


 そして目の前に降り立った生き物に、大きく目を見開く。


 ──そこには、巨大な竜の姿があった。

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