第41話 着替えが乾いていてよかったです/5

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 赤い糸のような細い線が、ついとソルラクの胸を指す。ピリピリと肌を伝う悪寒のような感覚の強さと、その心臓を貫く正確さ。そしてその糸が見えてから実際の射撃が来るまでの時間の短さに、ソルラクは驚嘆を隠せなかった。


 唸りを上げるカレドヴールフが、光の刃を打ち砕く。しかし粉々になった光は即座に消えるわけではなく、辺りに飛び散って突き刺さるのが厄介だった。おかげでソルラクの手足には致命傷には程遠いものの、細かな傷がいくつもついている。動けなくなるのもそう遠い未来ではないだろう。


 どうやら連射はできないらしく、数秒に一度しか放ってこないのが唯一の救いだ。恐らくは王刃の能力で視覚に関する何らかの機能を強化しているのだろう。炎刃ラヴァティンで煙幕を作っても関係なく正確な一撃が飛んでくる。


 とは言え、全くの無駄というわけでもなかった。相手が放ってきているのは光の刃だ。それが煙幕に当たると僅かに減衰し、威力が削がれる。そうでなければソルラクはとっくに死んでいたかも知れない。


 まだまだ、死ぬわけにはいかなかった。出来る限りここで時間を稼ぐ必要がある。敵はどのようにしてかはわからないが、ソルラクたちの居場所を突き止めた。おそらく、リィンたちに対してももう一度同じことが出来るのだろう。


 こうして散発的に遠方から攻撃を繰り返し続けているのがその証拠だ。ソルラクが時間稼ぎをしているのは明らかだと言うのに、焦った様子がまるでない。ゆっくり確実にソルラクを殺したあと、リィンたちを見つけ出す自信があるのだろう。


 であれば、あとは我慢比べだ。ソルラクはリィンたちが彼女のもとに辿り着くまで耐えきればいい。


 胸元にピンと張る赤い糸に、ソルラクはまたカレドヴールフを振るう。光の刃はその糸を正確になぞるように飛び、回転するカレドヴールフに当たって砕け散った。


 殺意の線。爺さんがそう呼んでいたそれは、ソルラクに危害を加えようとするものが攻撃する直前に見える、他のものには見えず触れることも出来ない意識の糸だ。たとえ死角から糸を張られたとしても、ソルラクに伸びればそれは悪寒となって伝わってくる。


 しかし、ニコがリィンを釣り上げたときのように殺意も害意もない時には見ることが出来ないこと。そして、自分自身以外に向けられたものに対しては感度が低いという欠点があった。ピアを狙った攻撃に反応が遅れてしまったのはそのせいだ。


 敵がこちらに近づいて来ないために反撃することも出来ないが、それはソルラクにとって好都合でもあった。敵がこちらに殺意を向けてから、実際に攻撃するまでの時間が短すぎる。距離があるからこうして防げているが、もし近づいてきたら短期決戦になるだろう。


 ソルラクが勝てればいいが、その可能性はあまり高くない。それよりは、絶対に勝てない代わりに時間は稼げる現状の方がいくらかマシと言えた。


 更に飛んできた光刃を砕き、直後に火炎弾を放つ。こうして定期的に砂埃を上げることによって、稼げる時間は更に長くなるはず──だった。


 ソルラクの前方に投げ放たれた火炎弾を、光刃が貫く。途端、火炎弾は大爆発を起こし、ソルラクは吹き飛ばされた。


 地面を転がりながら、ソルラクの思考は疑問符で埋め尽くされる。勿論、あの速度と精度であれば火炎弾を撃ち抜けるであろうことは想定していた。だから相手の攻撃の直後に火炎弾を放っていたのだ。


 連射できることを隠していた? ……いや、もしこの速度で連射ができるのであればそれを隠す意味などない。あの速度の連射を凌ぐことは流石にできないから、さっさとソルラクを撃ち殺してしまえばいいだけだ。ということは、何らかの手段で限定的に連射に近い状態を作り出したということだろう。


 しかしもはやその正体を探ることに意味はなかった。


 地面を転がるソルラクの手からはカレドヴールフが離れ、衝撃で体を動かすことも出来ない。そして、殺意の線が正確にソルラクの額を貫いた。


 ここまでか。


 全身から力を抜いて、ソルラクは内心呟く。あれほど強かった爺さんも死ぬ時はあっさりとしたものだった。自分もそのうちそんな風に野垂れ死ぬのだろうとは前々から思っていた。それがたまたま今日だったのだろう。


 もう少し時間を稼ぎたかったが、それ以外に悔いはない。


 ──いや。一つだけ。


「リィン……」


 彼女の姿を、最後にもうひと目でいいから見たい。

 そんな事を考えたから。


「はいっ!」


 目の前にひらめく紫の髪の毛を、ソルラクは死に際に見た夢なのではないかと思った。



 ☪



 ばつん、と音を立てて紫色の長い髪が一房切り取られ、髪の焼け焦げる嫌な匂いが漂う。


 だが、言い換えればただそれだけだ。一撃で命を奪うことも、四肢を飛ばすことも出来るはずのその攻撃は、明らかに彼女の身体を外れていった。


 敵はやはり、リィンを傷つける気はないようだった。


 くるりと振り返り、ピアの傷を確認する。傷口はやはり小さく鋭い。深手ではあったが、致命傷というわけではなさそうで彼女はホッと息を吐いた。


 そして一度ソルラクを振り返り笑みを浮かべると、敵のいる方に向き直って両腕を広げる。その脇を再び光線が突き抜けて、スカートが焼け焦げる。そしてそのまま背後のソルラクへと飛んでいくが、彼はそれを避けた。


 リィンの身体は小さいが、それでもソルラクの前に立ちふさがれば相当な邪魔になる。身体の中心を狙われたわけでなければ、ソルラクの身体能力ならかわすことはそう難しいことではないだろう。


 『図化』の魔術で周囲を確認するが、敵の姿はやはり範囲内にはなかった。恐らくは相当遠くから狙撃しているのだろう。光の刃の弾道からおおよその敵の位置を計算しながら、彼女はゆっくりと横に移動する。


 その意図を悟ってくれたのか、ソルラクはそれに合わせて移動して、地面に転がったカレドヴールフを手にとった。


 それを確認した瞬間、敵に向かって駆け出す。その動きは想定になかったのか、光の刃が牽制するように走ったが、地面を穿っただけだった。


 しかし僅かな迷いが見えたのはその一撃だけだった。敵に向かって駆けるリィンの姿は無視して、ソルラクに向かって光線が飛ぶ。冷静な対応だ、とリィンは思った。リィンがソルラクから離れてしまえば、彼の盾としての役には立たなくなる。その間に、確実にダメージを与えておこうという意図なのだろう。


 しかしそれを許すわけにはいかなかった。何度目かの射撃に合わせ、リィンは近距離転移を使ってみせる。次の瞬間するり、とリィンの姿がブレて、光線のすぐそばに転移した。


 勿論、自分から当たりに行くつもりは更々ないが、これ以上ソルラクを攻撃するならそれも辞さない。そういう意図の脅しだ。それは敵に伝わったのか、射撃はそれ以後止まった。


「……降参する……と、いう事でいいのかね?」


 更に歩を進め、やがてまるで陽炎が揺らぐように虚空から男が現れた。突然現れたように見えるが、『図化』で元々そこにいたことは確認している。


 それもおそらく『閃刃』の能力の一つなのだろう。光を操って自分の身を隠していたのだ、とリィンは悟った。すぐ近くにいれば気づくことが出来る程度の隠形だったが、『閃刃』で攻撃可能な距離からではまず見つけることは出来ないだろう。


「いいえ」


 リィンは男に答えて言った。


「あなたを、倒しに来ました」


 その答えに、男は声を上げて笑った。


「このラムファダも見くびられたものだ。魔刃も持たぬ小娘が、この私を倒す? 頼みの綱の騎士殿は、一人は死にかけ、もう一人はどこぞへと逃げた。そんな状態で、お前に一体何が出来ると言うんだ?」


 ラムファダと名乗った男は周囲をぐるりと見回す。おそらく、ニコの姿を探しているのだろう。逃げたなどと言いつつ、奇襲の可能性を見落としてはいないのだ。


「……本当に、慎重ですね。臆病なくらい」

「真の戦士とはそういうものだ。さて、痛い目を見たくなければ大人しくしておけよ、お嬢ちゃん」


 皮肉じみたリィンの言葉を意に介した様子もなく、ラムファダはピタリと槍の穂先を突きつける。どんな風に動こうと対処できるような、無駄のない構え。彼が本当に強いのだろうということを、リィンは思い知る。


 だがそれは──飽くまで常識的な範疇の動きを想定したものだ。


「万刃、ドゥリンダナっ!」


 突然服の裾からするりと飛び出した細剣が、鞭のように伸びて槍の先端を反らしつつ、喉元を狙うような動きにまで対応できるものではなかった。


「なっ……!?」


 だがそれでも、ラムファダはその一撃をかわす。


「嘘でしょ、これ避けるの!?」


 ドゥリンダナを振るう少女の口から漏れたのは、その見た目とは全く違う声色の叫びだ。


「ソルラクさん、跳びますね!」


 そしてリィンは、そう叫んだ。


 近距離転移。それは、『自分』を含めた周囲のものを、『自分』のすぐ近くに転移させる魔術だ。


 ……ただし、前者の自分と、後者の自分が一致している必要はない。リィンの修めた空間魔術には、『自分のいる位置』を複製するものもある。自分に縁の深いものに魔力を込めれば、それを『術者自身』の代わりとして扱うことが出来る。


 ──例えばそれは、魔刃の力で自分そっくりに化けた相手でもいい。


「さぁて」


 リィンそっくりの顔で、ニコは言った。


「これでようやく、3対1ってわけだ」

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