第39話 あまりにも突然のことでした/16

 ☪


「女装はないにしてもさ、なんかもうちょっと普通の旅人の格好させるっていうのはどうかな?」


 翌日。目を覚まして身支度を整えている時、ニコはソルラクを見ながらそう提案した。


「ソルラクくんの格好って凄く目立つでしょ? 結構服装をなんとかするだけでも変装になるんじゃないかな」

「確かに……」


 ソルラクは上から下まで黒一色だ。汚れが目立ちにくく旅装としては優れているが、この辺りには珍しい黒髪もあって本人はものすごく目立つ。


「いいですね!」


 ソルラクらしく似合っているとは思うが、それ以外の格好も見てみたいという思いはリィンの中に確かにあった。


「でしょ? 僕がこの格好で、ソルラクくんが普通の格好したら、結構若夫婦とその子供みたいに見えるんじゃないかなって」

「よくないと思います!」

「あれえ!?」


 即座に前言を翻すリィンに、ニコは目を瞬かせる。


「なんで!? さっきいいですねって言わなかった!?」

「えっ……と、それは……その」


 リィンは思わずちらりとソルラクに視線を向け、小声で答える。


「ソルラクさんと親子に見られるのは……ちょっと……」


 そしてそれ以上に、ニコとソルラクが夫婦に見られるというのが嫌だった。確かにソルラクとニコはお似合いの二人だ。その二人の子供役で、自分がまだ未熟な子供であるということをこれ以上ないほど思い知らされるのは、リィンにとって耐え難いことだった。


「そ……それに、わたしの髪色は紫ですから、金髪のニコさんと黒髪のソルラクさんの間の子供としてはかえって不自然だと思うんです」

「それもそっか。フードを被っても近づけば髪の色くらいはわかっちゃうもんね」


 あわてて付け足した理屈にニコが納得し、リィンはほっと息をつく。そして誤魔化してしまったことに対して少し罪悪感を抱いた。


「じゃあやっぱり変装作戦は無理か……となると、市街戦ってのはどうだろう」

「市街戦……ですか?」


 聞き慣れない言葉に首を傾げるリィン。


「『閃刃』の脅威はなんと言っても長距離からの攻撃だからね。逆に言えば接近してしまえばそこまで怖くはないはずなんだ」


 確かに、遠くから一方的に攻撃されてしまっては戦いようがない。それは炎刃ラヴァティンを相手にしたときにも散々思い知ったことだった。


「だからリィンちゃんの……『図化』だっけ? その魔術で敵の場所を把握しつつ、気付かれないように接近できればソルラクくんならなんとか勝てるかも知れない」


 どうかな、と問われ、リィンは少し考える。

 図化の魔術で閃刃スレグローガを判別できるかどうかで言えば、おそらく出来るだろう。問題は、図化と敵の攻撃範囲のどちらが長いかだ。


 魔術でどの程度の範囲を見られるかは、魔力の編み込みの細やかさによる。リィンの場合はだいたい直径1キロメートル程度の距離だが、これは落ち着いた状態でしっかり集中した場合の数字だ。


 敵に狙われるかも知れない、目の前に脅威が迫っているという状態でどれだけ冷静に魔力を編めるかは、自信がなかった。ましてや、自分が失敗すればソルラクやニコが怪我をしてしまうような状況では。


「……行くぞ」


 リィンが思い悩んでいると、突然ソルラクがそう言ってピアを示した。


「えっと……街にですか?」


 戦うという意志を決めたということだろうか、と思ってリィンは尋ねる。


「いや」


 だがソルラクはそれを否定して、街とは正反対。

 山の方を指差した。



 ☀



 ソルラクはピアの鞍に結んだ綱を引きながら、黙々と道を歩いていく。笛竜の背中には、リィンとニコが乗っていた。


 まだ若い個体であるピアには、リィンが軽いとは言え人が三人乗るのは少々キツい。そもそも三人乗れるような鞍も取り付けていなかったから、誰か一人が横を歩くことになる。


 リィンは論外だ。そもそも歩くのが遅い彼女を乗せるために笛竜を捕まえたのだから。自然、ニコとソルラクのどちらかという話になるが、今のニコの格好はどう考えても歩くのには向いていないものだった。


 それにソルラクはその気になればピアよりも早く走ることが出来るし、体力自体もニコより上だ。だから、綱を引いて歩くことを選んだ。


 ──そして、それが欺瞞だということもわかっていた。


『ソルラクさんと親子に見られるのは……ちょっと……』


 リィンが小声で呟いた言葉が、何度も何度も心の中で木霊していた。それは前にニコに言われた言葉よりもずっと重く、深い部分に響いて痛む。


 痛い。


 他人から言われた言葉に対して、そんな風に感じるのは初めてのことだった。


 『ちょっと』の先に省略された言葉が『嫌だ』であろう事は、ソルラクにだってわかる。きっとリィンはソルラクに聞こえないようにニコにだけ囁いたつもりだったのだろう。けれど、ソルラクにはしっかりと聞こえてしまった。


 当たり前のことだ、とソルラクは思う。誰だってこんなろくに会話もできない人間と家族になりたいなどと思うはずがない。今更確認するまでもなく、自明の話であるというのに──


 それをリィンが口にしたということに、ソルラクは痛みを感じていた。彼女に触れることさえ恐ろしく感じてしまう。リィンがソルラクに声をかけ、笑顔を見せ、その手に触れようとする度に心が酷く痛み、つい彼女を避けてしまうのだ。


 そういう意味では、ニコがいてくれてよかった。そうでなければ以前と同じように、リィンを腕の中に入れるような形で手綱を取らなければいけなかっただろうから。


「ソルラクくん、大丈夫ー? そろそろ交代しよっか?」


 ニコが何度目かになる声をかけてくるが、ソルラクは答えない。この程度の移動で音を上げるほどやわではなかったし、そうでなくても交代する気などなかった。


「ねえ、やっぱりソルラクくん怒ってない?」


 声を抑えるつもりすらなさそうなニコの声が、背中から聞こえてくる。


「……わかりません」


 それに対してリィンの声は小さく潜められていたが、それもやはりソルラクの耳にははっきりと届いていた。


「……多分、多少失礼なことを言ってしまったとしても、ソルラクさんは怒る方ではないと思います。今も、怒っているわけでは、ないと思うんです」


 リィンの言葉は正しい。ソルラクは別に怒ってなどいない。そもそも他人に怒りを感じるという事自体、そうあることではなかった。


「でも……普段通りという訳でも、ない気がします」


 その言葉を聞いて、ソルラクはほんの少し歩を進めた。リィンはいつの間にか自分をよく理解してくれている。それが、今はかえって辛く思えたからだ。


 一歩分の距離とは言え、それで聞こえてくる音は十分に小さくなる。リィンが声を潜めている事もあって、歩くことにさえ集中していれば内容を理解できる程ではなくなるだろう。


「もし……ニコさんが……わたし……」


 ただ、約束を守ればいいだけだ。ソルラクは自分にそう言い聞かせる。ソルラクにとってもっとも重要なことはリィンを守り、彼女を故郷に帰してやることであって、それ以外は些細なことだ。


「だから……わたしは……ソルラクさんの……」


 リィンの口から自分の名前が出ても、気にする必要などない。彼女がソルラクの事をどう思っていようと、やることは変わらないのだ。


「ふぅん。なるほどなあ」


 何がなるほどなのかわからないが、どこか張り詰めたリィンの声とは裏腹に、ニコは脳天気な声色で相槌を打つ。


「ねえ、前から何となく思ってたんだけどさ」


 そして。


「リィンちゃんって、ソルラクくんのこと好きなの?」


 何気ない口調で、とんでもないことを尋ねた。


「えっ……」


 リィンが言葉に詰まる。当然だ。内心どれほどソルラクの事を疎ましく思っていようと、保護されている立場でそんな事を口に出すのは憚られる事くらい、ソルラクにだってわかる。


「わっ……わたしは……」


 聞きたくない。


 ソルラクはそう思い、更に半歩リィンから距離を取る。


 ──そしてそれは、致命的な半歩だった。


 ぞくり、とソルラクの背筋を寒気が走る。それは何者かが自分に敵意を向けたときの感覚だ。しかしそれはソルラクを狙ってのものではない。それ故に更に半呼吸、気づくのが遅れた。


「リィンっ!」


 閃光の刃が。


「伏せろ!」


 真っ直ぐに、ピアを刺し貫いた。

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