第38話 久々に美味しいごはんを食べたのに、味が思い出せません/13

 ☪


「おまたせ! 色々買ってきたよー」


 そう言いながら、ニコは荷物でパンパンに膨れた背嚢を剥き出しの地面に下ろす。既に辺りは闇の帳に包まれつつあり、ソルラクが作った焚き火がパチパチと爆ぜていた。


「どうでしたか?」

「ダメだね。まだかなり連中ウロウロしてるよ」


 買い込んできた品物を背嚢から取り出しつつ、ニコは首を横に振った。

 野菜を受け取ってリィンは喜ぶ。船上ではろくなものを食べられなかったから、久々の新鮮な食材だった。


「どうしたものかな。また明日出る船に乗らないといけないんだよね?」

「みたいです」


 リィンがソルラクに確認したところによると、船旅の目的地はこの町ではないらしい。何度か船を乗り継ぎつつ、ルーナマルケへの便がある港町を目指さなければならない。


「雑魚は一人ひとり片付けてもいいんだけどね。問題は僕らが見たあいつ……『閃刃』だね」

「魔刃の名前までご存知なのですか?」


 リィンが尋ねると、ニコはキョトンとした。


「うん。どこで知ったのかは全然覚えてないんだけど、魔刃の事には詳しいみたいなんだ、僕。まあソルラクくんのカレドヴールフの事は知らなかったけど」


 ニコの謎が増えた瞬間だった。それとも旅刃士ならみんなそうなんだろうか? と思ってリィンはソルラクを振り返るが、彼の様子からそこまで細かなことを読み取れるはずもない。


「あれは王刃なんだよね。光の弾を飛ばすこともできるけど、刃そのものを光にして遠距離を貫くこともできる槍の魔刃。で、多分だけど遠くを見る能力もある」


 光そのものになれる、とかではないらしい。もしそうだったとしたら今頃リィンとニコは捕まっていただろう。


「でも、ニコさんも王刃使いなんですよね?」

「一応そうだけど……ドゥリンダナは戦闘向きじゃないんだよ」


 王刃同士なら互角なんじゃないだろうか、と思って尋ねれば、ニコは苦笑しながら肩をすくめた。


「そうなんですか? 自由自在に姿かたちを変えられるとしたら、凄く強いような気がしますが……」


 例えばそれこそ、巨大な竜にでも変身すれば魔刃を持っていようと人間なんて相手にもならない気がする。


「それがね、ドゥリンダナでは自分より強い生き物には変身できないんだ。だから馬になって早く駆けることも出来ないし、鳥になって空を飛ぶことも出来ない」

「なるほど……」


 鳥は人より強いわけではないが、人には出来ないことが出来るというのは確かな事だ。ふと、リィンはあることに気がついた。


「ということは……ニコさんの本当の姿は男性ということでしょうか」

「なんで?」

「女性より男性の方が生き物としては強いので……」


 自分より強い生き物に変身できないなら、女性の姿から男性の姿に変身できるのはおかしいんじゃないか、とリィンは思う。


「そうでもないよ。強い女と弱い男だったら同じようなもんでしょ? 僕も女の姿になったからって別に弱くなってるわけじゃないしね」


 言われてみれば、確かにその通りだった。男女差は確かにあるが、個人差はそれを凌駕する。男性の姿のニコは中性的で、女声になっても体つきにはそこまでの差はない。


 むしろ出来ること、出来ないことの話をするなら男性には子供を産めないわけで、そう考えるなら元の姿は女性なのかも知れない。だが、女性の姿のニコに子供が産めると決まったわけでもなく、試してみるわけにもいかない。


 結局その考え方ではニコの元の姿を推し量ることはできなさそうだ、とリィンは結論づけた。


「あ、じゃあ、わたしたちもドゥリンダナの力を使って姿を変えることは出来ないでしょうか?」


 よく考えてみれば真っ向から戦う必要はない。ニコのように全く違う姿に変身できるなら、追っ手を切り抜けられるのではないか。


「それも無理。魔刃の力を使えるのは、使い手だけなんだ。魔刃は自ら使い手を選ぶんだよ」


 持ってみる? と差し出され、リィンはドゥリンダナの柄に触れる。途端、凄まじい拒絶感が剣から溢れ出してきた。


「無理……ですね」


 本能的に、リィンはそれを察する。たとえニコがドゥリンダナを貸してくれたとしても、自分には使えないだろうという確信めいた感覚があった。


「魔刃は戦うための道具。だから基本的に強いものを認めるんだ。正面から戦って打ち破った相手ならともかく、盗んだり譲渡したりしても使えない。死に際に親しい相手に譲り渡すような場合は別だけどね」


 だから複数の魔刃を持つ旅刃士は少ないのだという。二本以上持つと魔刃はへそを曲げて力を貸してくれなくなることもままある。それどころか魔刃同士の相性が悪いと主人に牙を向くことすらあるんだって、とニコは語った。


「いっそのこと、ソルラクくんも女装するというのはどうだろう」


 しかしそれならどうしたものか。リィンが悩んでいると、突然ニコがそんな事をいいだした。


「えっ……」


 ……それは、見てみたいかも知れない。リィンはついそう思ってしまう。

 するとソルラクがすっと立ち上がり、鋭い目つきでニコを睨みつけた。


「じょ、冗談だよ冗談!」


 誤魔化すように笑いながら手をふるニコに、ソルラクは黙って座り直す。

 確かにソルラクは上背もあるし、痩せ型ではあるものの筋肉もしっかりしているから、女装しても女の人に見えることはないだろう。


 けど、それはそれとして見てみたい。

 リィンはそう思ったが、流石に口に出すことは出来なかった。



 ☀



 冗談。

 ソルラクにはそう呼ばれるものの正体がよくわかっていなかった。


 どうやら「嘘」とほぼ同じ意味であるらしいのだが、「嘘」と違って冗談は相手への悪意はないものとみなされるらしい。


 だが、ソルラクにはその判別がうまく出来ない。

 どちらにせよ、ソルラクが女装して解決する話ではないようだった。


 それで問題が解決するのであれば特に異論はない。もとよりリィンのためなら何でもすると誓ったのだ。女物の服を着ることに抵抗などなかった。


 しかし、ソルラクと同じくらいに背の高い女には確かにあったことがない。筋肉の付き方も骨格も男女ではまるで違うのだから、判別は容易だろう。


 人間の顔の違いも、ソルラクにはあまりよくわからないことだった。リィンくらい飛び抜けて美しければ流石にわかるが、美醜や男女の違いというのもいまいちピンとこない。


「リィン」


 ソルラクが毛布を羽織るようにして名前を呼ぶと、リィンは戸惑うようにニコに視線を向けた。


「え、と……」


 しかし意を決したようにぎゅっと口元を引き結ぶと、いつものようにソルラクの脚の間にストンと腰を下ろす。


「えっ、ええー!? まさかその体勢で寝るの!?」

「ああ」


 ここ数週間ですっかり慣れてしまった体勢だ。ピアを背にし、腕の中にリィン。野宿のときはいつもこうしている。笛竜は気配に敏感だから敵が近づけばすぐに気づくし、リィンを守りやすい。


「いや、だって……」


 ニコは何か言いたげに表情を一転二転させる。


「ねえリィンちゃん、僕の方がよくないかな、それ」

「え、と……」

「ほら。まあどっちかわかんないにしてもさ、一応身体だけは女なわけだし」


 戸惑うリィンに、見せつけるように胸を張るニコ。


 確かにリィンとて、自分のような陰気な男よりは、性別が不詳でもニコのような明るい相手の方が気楽かもしれない、とソルラクは思う。


 だが。何故かそれは、酷く嫌だった。


「あの……ソルラクさん、わたし……」


 悩むような、困ったような表情でリィンはソルラクを見上げる。


「駄目だ」


 その顔を見て、ソルラクは思わずそう言いながらリィンを抱きしめていた。


「ええ……? なんで?」


 何故そんなふうに感じるのか、ソルラク自身にもよくわからない。

 だが、一つだけ理由に思い至った。


「お前は弱い」


 だからいざという時リィンを守れる可能性は、ソルラクの方が高い。


「うっ……そりゃあ、ソルラクくんよりは弱いけどね!?」


 これでも一応甲級旅刃士なのになあ、などとニコはぼやく。


 言葉に出してみればそれはしっくり来る理由で、ソルラクは納得した。リィンの安全が最優先だ。不快感はそれが理由だったのだろう。


 そうではないような気もしたが、ソルラクはあえてそれを無視する。もし、ソルラクよりも強い人間がこの場にいたとするなら、リィンを渡しただろうか。


 ほんの一瞬、脳裏をかすめたそんなことから目をそむけ。ソルラクはリィンを抱えたまま、目を閉じた。

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