第33話 ちょっと懐かしいな、なんて思っちゃう台詞でした/28

 ☪


「いや、本当にあんたたちがいて助かったよ!」


 もう何度目になるのかもわからないその言葉とともに、船員たちはソルラクの背中をバンバンと叩いた。ソルラクはそれに何を言い返すでもなく焼けた大イカの足を噛み締めているのだが、豪快な海の男たちは特に気にした様子もなく絡んでいた。


「まさかこんな近海にトゥソテウティスが出るとはなあ」


 彼らがトゥソテウティスと呼ぶのは、あの大イカのことであるらしい。れっきとした魔物の一種であり、本来であればもっと沖合の深いところに棲んでいる生き物なのだそうだ。


 別大陸へと渡るような船であれば迎撃用の装備も積んでいるものだが、陸に近い浅瀬を渡る小舟にそんな物は用意していない。ソルラクたちがいなければ間違いなく沈められてしまっていただろう、とのことだった。


「ともかくあんたたちは命の恩人だ。陸に戻ったらぜひ礼をさせてくれ」


 そんなことを言われて、リィンはビクリと身体を震わせた。そんなお礼をされるわけにはいかない事情があった。だが、リィンがあの大イカを倒したわけでもないから彼女には断る権利すら無い。


 本当のことを告げるべきか。だがそれで船旅を続けられなくなっても困る。……リィンがそんなことを考えていると。


「黙れ」


 ぼそりと呟くような……しかしそれでいてよく通るソルラクの声に。


「二度とそんな口を叩くな」


 盛り上がっていた船員たちは一気に静まり返った。


「なんでいきなりブチギレてるの!?」


 凍りついたその空気をぶち壊すように、ニコが叫ぶ。ソルラクの低く唸るような声は、はっきり言って非常に怖い。ましてや先程大イカをあっさりと焼き尽くしてしまった手腕を見たあとでは、リィンですらまだびくりと身体を震わせてしまうほどだ。


 そんな相手に思いっきりツッコミを入れられるニコは素直すぎるのかそれとも豪胆なのか少し悩む所だが、今この場面にとってはありがたい事だった。


「あ、あの、礼には及びません、という意味だと思います」


 以前、全く同じフレーズを口にされたことをリィンは覚えていた。あの時は怒らせてしまったと怖がるばかりだったが、ソルラクと数ヶ月を過ごし、彼のことを多少なりとも理解した今であればわかる。少なくとも、怒っているというわけではないということくらいは。


「そ、そうなのか……?」


 そんなわけないだろ、と言わんばかりの表情で船員たちは互いに顔を見合わせた。とは言えリィンがそう取りなしてくれたのなら、そう言うことにしておいた方が無難だろうか。


「ああ」


 そんな空気が生まれたところでソルラクがそう答える。


「わっかりづらすぎるよ!」


 すかさず叫ぶニコの言葉に、思わず一同深く頷いてしまうのだった。



 ☀



『わっかりづらすぎるよ!』


 ニコに言われた言葉が、何度も何度もソルラクの心の中で響いていた。

 そんなことは初めて言われたからだ。


 なんと言っていいかわからなくて話せない事はある。

 喋った結果何故か傷つけ怒らせてしまうこともある。


 だが、自分の言葉が分かりづらいなどと思ったことはなかった。できる限り簡素に、端的に話しているつもりだったからだ。


 礼には及びません、というリィンの言い方が優れているのはわかる。おそらくその方がソルラクの言いたいことには近い、上手い表現だ。だが結局「礼を言うな」という内容であることに変わりはないのではないか。


「あの、実は、お二人に言わなければならないことがあるんです……」


 ソルラクが内心頭を抱えていると、船室に戻ったところでリィンが彼らを見上げてそう切り出した。


「何々? 助けたお礼? そんなの別に構わないよ~。僕とリィンちゃんの仲じゃない」

「あ、いえ、はい。すみません、そうですね。お礼も言い忘れていました。助けて下さって、ありがとうございました」


 相変わらずの軽い調子でパタパタと手をふるニコに、リィンは生真面目に深々と頭を下げる。


「そもそもあの大きなイカが襲いかかってきたのは、多分、わたしのせいなんです……」


 そして、言いづらそうにそんな事を言い出した。


「どういうこと?」

「魔物というのは、魔力を好むと聞いたことがあります」


 魔物。そう呼ばれる存在と普通の生き物の違いは、魔力を持っているかどうかだ。猿鬼のような雑魚ですら、普通の人間とは違って僅かばかりとは言え魔力を持っている。


「わたしは、その、一応魔術師の端くれなので……あの、魔力があるんです」


 考えすぎじゃないか、とソルラクは思う。確かにリィンが魔力を持っているのは事実だろうが、ただ船に乗っているだけで深海に棲んでいるトゥソテウティスが海上まで上がってくるほど、あの大イカの魔力探知能力は高くないはずだった。


 そもそも魔物や魔術師が持っている魔力というのは、血や肉に溶け込んでしまっているから外から感知するのは難しい。リィンの持っている魔力を見つけるくらいなら、ソルラクやニコの魔刃に惹かれてやってくる可能性の方がよほど高いように思える。


「あっ、そっか、ゲロか」


 だがその疑問は、ニコの呟きに氷解した。確かに吐瀉物であれば、彼女の胃液や分泌物も混ざっているだろう。そこには魔力が含まれていて、それが海中に流れ出せば海中の魔物が気がつくのも不思議ではない。


 リィンは責任を感じているのか、顔を真っ赤に染めて更に深くうつむいた。


「大丈夫か」


 吐き気と言えば、ふとあることをソルラクは思い出した。突然の問いかけに、リィンは不思議そうに顔を上げる。


「吐き気は」

「そこ!? 真っ先に心配するとこそこ!?」


 それ以外に何か心配するところはあっただろうか。トゥソテウティスの触手に掴まれ、リィンは船の比ではないくらいに揺さぶられたはずだ。船酔いが更に悪化していてもおかしくはない。


「あ、はい、大丈夫です。ソルラクさんのくれた酔い止めのおかげか、すっかりよくなっちゃいました」

「そっちもそっちで疑問を持たずに素直に答えるの!?」


 今度はリィンを振り向いて叫ぶニコに、騒がしい奴だとソルラクは思う。


「いやあんな大イカに捕まっておいて心配するのは船酔いじゃないでしょ……怪我とか無い? 大丈夫?」

「あ、はい、それは大丈夫です」


 トゥソテウティスは餌を捕食する時、その触腕の表面についた吸盤で貼り付けるようにして捕まえる。だから見た目ほど強く締め付けられているわけではなかったし、リィン自身もおそらく魔術で自分を保護していた。


 もちろん彼女を助けたあとソルラクはリィンの動きをしっかり確認していたが、顔をしかめるようなこともなく、身体のどこかを庇うような動きもしていないから、大きな怪我はないのだろうということはわかっていたのだ。


「それは何よりだけど、怪我しなきゃいいってもんじゃないからね。いきなりあんな巨大な魔物に捕まって怖かったでしょ?」


 それは確かにそうかも知れない。リィンは怖がりなところがある。


「いえ」


 だがリィンは何ともないように首を横に振った。


「ソルラクさんが助けに来てくれると信じてましたから」

「信頼が重い!」


 まただ、とソルラクは思う。

 迷いのない笑みを浮かべて答えるリィンを見ると、心臓の鼓動が早くなる。怒りとも、恐怖とも違う奇妙な感情。


「まあ、あの戦いぶりを見た後ならわからなくはないけどね。まさか将刃の力まで取り込むなんて」

「しょうじん……ですか?」


 呆れたような、感心したような口調のニコに、リィンは首を傾げた。


「魔刃と言ってもその強さには色々あってね。大きく三つの段階に分けられているんだ。これを刃位っていうんだけど、一番弱いのが兵刃ヘイジン。その次が将刃ショウジン。そして、最高位が王刃オウジンと呼ばれてる」


 ニコは当たり前のようにそんな事を説明するが、実のところ刃位のことを知っている旅刃士というのはそう多くはない。魔刃というのはそもそも兵刃であっても普通の武器とは隔絶した能力を持っている。そして大抵の旅刃士はその良し悪しを語るどころか目にすることすら稀な話だからだ。


「最初にカレドヴールフに入ってた砂刃ベガルタっていうのは、砂を生み出す事しか出来なかったらしいからたぶん兵刃だろうね。将刃は炎刃ラヴァティンや僕のドゥリンダナみたいに、刀身そのものが変化する」


 もしベガルタが将刃であったら、あそこまで簡単に勝つことは出来なかっただろう。無数の砂で出来た変幻自在の刀身。もしそんな魔刃があったら、かなりの脅威だ。


「王刃はどうなるんでしょうか?」


 素朴なリィンの問いに、ニコは待ってましたとばかりに頷き、たっぷりと勿体をつけてから答えた。


「使い手自身が、変化するのさ」

「えっ……」


 リィンは驚きに目を見開く。無理もない。それはつまりラヴァティンが王刃であったら、使い手のクナール自身が炎の魔人と化していたということだ。仮にベガルタで作り出した膨大な砂の柱に潰されても、ピンピンしていたことだろう。もっとも、王刃に出会うことなどそうあるものではないが。


「じゃあ……ソルラクさんのカレドヴールフも王刃ってことですか?」

「ちょっと口数が増えるだけとかそんな地味な王刃は流石にないんじゃないかなあー!」


 同じ刃位の中でも強い弱いはもちろんあるが、流石にそれは弱すぎる。


「でも実際どの刃位なのか全然わかんないんだよね、カレドヴールフ」

「刀身が回転しているから、将刃ではないんですか?」


 さすがリィンは飲み込みが早い。だが、ニコは首を横にふる。


「回転だけなら別に普通の剣でもやってできないことはないでしょ? それこそ掘削機ドリルなり混合機ミキサーなりはあるわけだからさ……」


 手回し式のそれに比べて自動で回っているというのは魔刃ゆえのことだろうが、将刃の刃の変化というのはそれこそニコの使う万刃ドゥリンダナのように、摩訶不思議で理不尽なものだ。


「だからといって何かを生み出してるわけでもないし……というかそもそも、刃がないよね」


 魔刃には剣以外にも様々な形状をしているものが存在するが、例外なく刃がついている。故に魔刃と呼ばれているのだ。しかしカレドヴールフには歯のような溝はあっても刃はない。


「だから名前の通り無刃……どの刃位にも当てはまらない代わりに、どの刃位の魔刃も取り込めるってことなのかな。もし王刃でも取り込めるなら凄いことだけど……」


 ニコはソルラクに視線を向ける。その表情から、一瞬彼がいつも浮かべている笑みが消えたような気がした。


「……無理だ」

「そっか。まあそんな都合のいい話があるわけないよね」


 だがそれはほんの一瞬のことだ。見間違いかもしれない、とも思う。仮に見間違いでないとしても、ソルラクには人の表情というのがよくわからない。怒っているとか笑っているとかくらいはわかるが、さっきのニコの表情がどういう意味であるのかはわからなかった。


 そんな会話を交わしたあと、三人は船室に戻って思い思いの時間を過ごす。

 魔刃の手入れをし、途中だった酔い止め薬の調合を済ませ、簡単な食事を取って眠る準備をする。


 しかしそうする間にもやはり、あの時のニコの事が妙に気にかかって仕方がなかった。


 昨夜は苦しげにしていたリィンが、安らかな寝息を立てているのがせめてもの幸いだ。

 ソルラクは毛布を被って静かに目を閉じる。


 ──だが。


『わっかりづらすぎるよ!』


 ニコの言葉は何度も脳裏を去来して、ソルラクは眠りにつくのに随分苦労したのだった。

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