第34話 たぶん荷物扱いされてるんだろうなと思います/4

 ☪


「あっ! ねえねえリィンちゃん、あれ見てみなよ!」


 不意に声を上げるニコの指がさす方にリィンは視線を向ける。しかしそこには相変わらず、どこまでも海が広がっているばかりであった。初めて見た時には感動したものだったが、ほんの一時間も経たない内に酷い船酔いに悩まされ、今では正直あまり目にしたくない景色である。


「えっと、どれでしょうか……?」

「あっ、そっか、リィンちゃんの背丈だと見えないか。ええっと……」


 一瞬、ニコが逡巡を示したその間に、リィンの身体はひょいと抱き上げられていた。


「あっ。陸地ですね!」

「うん、えっと、まあ、そうなんだけどね……めちゃくちゃナチュラルに抱っこするなあ、君たち」


 改めてそんな事を言われ、リィンははっと我に返った。言われてみればすっかり慣れてしまっていたが、当たり前のようにソルラクの片腕に腰を下ろすような形で抱き上げられるこの格好は、なかなか大胆な状態なのではないだろうか。


 上半身はぴったりとくっついている上に両腕でぎゅっと抱きつく形になってしまっているし、お尻は思いっきりソルラクの腕に当たってしまっている。


 と言っても彼の肘から先は鉄の小手で覆われているので、幸か不幸か椅子に座っているときと感覚に違いはないのだが。


 ソルラクさんなら別に触ってもいいのにな、などと一瞬考えてしまい、リィンは思わず顔を赤く染めた。


「あ、やっぱり恥ずかしいは恥ずかしいんだ」

「え、いえっ、そんなわけでは!」


 全く恥ずかしいという気持ちがないと言えば嘘になるが、それは抱き上げられること自体というよりは、ソルラクの身体に密着することの方だ。だがそのくらいの理由で、この体勢を諦めるわけにはいかない。


 特に船上では、ピアに乗って旅をしていたときのように一緒に鞍に乗ってお喋りするような時間も取れなくなっているのだから。たとえそれが、殆どリィンが一方的に一人で喋っているだけのものだとしてもだ。


 だが、ソルラクにとってはどうなんだろう。リィンはちらりと彼の表情を盗み見た。荷物を担ぐようなものだと気に留めてもいないのか──それとも、多少は意識をしてくれているのか。


 彼の表情から何かを読み取るのは非常に難しいが、しかし全く変化がないわけでもない。特にその視線がどこに向いているかを探れば、彼が何を意識しているかはなんとなくわかるようになってきた。


 そして今、ソルラクの視線はリィンではなく海上……正確には、地平線の彼方に見える陸地へと注がれていた。


「何か面白いものでもありましたか」


 単純な問いを発したつもりの言葉は、しかし口から飛び出すと酷く不満げな響きを含んでいて、リィンは自分で驚いてしまった。これではまるで構って貰えなくて拗ねている子供のようだ。


「敵だ」


 だが、返ってきた言葉にリィンの気は瞬時に引き締まる。既にソルラクの声色が、戦闘態勢に入っていたからだ。


「敵ぃ? どこに? またイカでもいた?」


 しかしニコにはその辺りのことは伝わらなかったらしく、彼は甲板の手すりから身を乗り出して海中を覗き込む。


「いえ……多分あの陸地にいるんだと思います」

「ほんとに? どんな目してんのさ」


 ニコは目を細めながら眉の辺りに手をかざし、陸地を見やる。ここから陸地まではおおよそ4、5キロといったところだろうか。リィンにも当然敵の姿など見えなかったし、『図化』の魔術でも把握できる射程を超えている。


「大体、敵かどうかどうやって見分けてるわけ? そもそもクナールが僕らのことを教えたとして、もう連絡がいってるっていうのはおかしいでしょ」


 海路より陸路の方が早いというのは、あくまでルーナマルケまでの話だ。ここまで5日間の船旅だったが、嵐もなく風も順調に吹いていた。船より早くこの港町に辿り着くことは不可能だろう。


 それはつまり、リィンたちがこの船に乗っているという情報を先に伝える手段がないということでもあった。


「わかりません……ですが、ソルラクさんは嘘や適当な事は言わないと思います。……ですよね?」

「ああ」


 抱き上げられたままソルラクに視線を向けると、彼はそう答えながら視線も逸らした。普通の相手であれば視線を逸らすのは虚偽の証拠であるように思えるが、彼に限ってはそれはイエスのサインだ。


「適当なことでもいいから、もうちょっと喋って欲しいんだけどね……」


 それはさておき、とニコは港を見据えた。


「それが本当だとすると、このまま港に入るのはまずいね」


 船着き場には桟橋がかかっているだけで、そこから逃げる道が殆どない。そのくせ身を隠せるようなものはなにもないから、弓矢で狙い放題だ。待ち伏せをするならこれ以上ない場所といえた。


「いくらソルラクくんが強いって言っても、こっちの手札はほとんどバレちゃってるだろうし」


 それなりの数を揃え、魔刃使いの一人や二人は間違いなくいるだろう。ただの兵士や旅刃士であればソルラクの敵ではないだろうが、クナールくらいの強敵に加えてそういった相手にリィンを守りながら戦うのは、いくらソルラクでも無茶だ。ニコはそう語る。


「だからさ、こういうのはどうかな?」



 ☆



「じゃあ、しっかり捕まっておいてね」

「は、はい……」


 ぎゅっ、とリィンがニコの首に腕を回し、しがみつく。一応その身体は縄でニコの身体と結んであるが、それは念の為の命綱だ。


「うっ、結構重いなあ」

「す、すみません……」


 ずしりと来る背中の重みに思わずぼやくと、恐縮した風な声が耳に届いた。


「いや、ソルラクくんがあまりにも軽々と片手で抱き上げるからさ。なんかもっと、毛布くらいの重さかと思った」

「それは流石に……」


 考えてみれば当然のことだ。むしろ同じ年頃の子供としては痩せ型で軽い方ではあるんだろう。毎日あんなに良く食べてなんでこんなに細いんだ、と思いはするが。


「じゃ、接岸と同時に行くからね」


 ひょいと片手を上げて挨拶すると、ソルラクは相変わらずの仏頂面でニコを見つめていた。返事すらしない。


「……ねえ、なんか彼怒ってない?」

「そんな事は……ない、と思いますが……」


 小声で背中のリィンに尋ねると、彼女もどこか自信なさげに答えた。彼女にわからないなら、世界中の誰にもわからないだろうな。そう思って、ニコは気にしないことにした。考えてもわからないことは気にしないのが一番だ。


「兄ちゃんたち、そろそろ桟橋につけるぞ」

「はい、お願いします!」


 船員にニコがそう答えると、ソルラクも笛竜に乗って腰の魔刃を引き抜いた。

 ソルラクが言っていた敵の姿はここまで近づいても未だに見えない。しかし周囲から放たれる敵意だけはニコにも十分感じ取ることが出来ていた。


「プオオオオオッ!」


 タラップが落とされた瞬間、笛竜が大きく鳴き声を上げながら外に飛び出していく。同時に、剣を持った男たちが港のそこら中から出てきてソルラクに襲いかかった。


「よし、じゃあこっちも行くよ。万刃ドゥリンダナ!」


 それを待ってニコは愛剣を引き抜き、その力を開放する。そして長く伸びた刀身を対岸にそびえる建物の屋根飾りに巻きつけ、一気に縮めた。


「よっ……と!」


 リィンを背中に乗せたニコはドゥリンダナの引き寄せる力を利用してまるで鳥のように舞い上がり、とんと軽い音を立て屋根に飛び乗る。


 作戦は単純なものだ。ソルラクが一人で敵をひきつけ、ニコとリィンは屋根を使って秘密裏に抜け出す。敵をある程度撒くなり倒すなりしたあと、街の郊外で待ち合わせるという算段だ。


「ソルラクさん、大丈夫でしょうか……」


 さっさと安全地帯に逃げるとするか、とニコが周囲を見回していると、リィンがポツリとそう呟いた。


「大丈夫大丈夫。彼、めちゃくちゃに強いし」

「そうなんですか?」

「いやだって、戦う所見てたでしょ?」


 意外そうに問うリィンに、ニコはこっちの方が意外だよ、と思う。


「ソルラクさんが強いというのはわかってるんですが……わたしは戦いの素人なので、どのくらい強いのかはよくわからないんです」

「それもそっか。そうだな……ほら、見なよ」


 ニコは少し横を向いて、リィンから下で戦うソルラクが見えるように体勢を変えた。


「今戦ってる連中も、そこらのチンピラじゃないね。ちゃんと訓練を積んでる兵士だ。統制が取れてる」


 剣を手にした男たちは陣形をしっかりと組んでソルラクを包囲し、互いに当たらないように配慮しながら矢を射掛けている。身につけた武具もそれなりの品質をしているし、何より全員同じような装備をしていた。


 それはつまり、同じような装備を支給できるだけの後ろ盾があるということだ。


「そんな連中を、なぎ倒してるでしょ」

「なぎ倒してますね……」


 なぎ倒す。まさにその言葉がしっくり来るくらいの倒しっぷりだった。ソルラクが竜上で一度カレドヴールフを振るう度に、練度も装備もかなり質が高いはずの兵士たちが吹き飛んでいく。


 それでいて、多分まだ一人も死んでいない。遠目にはわからないが、ソルラクは魔刃の力を使っていない。もし使っていれば、あの刀身を当てられた相手は千切れ飛んでいるだろう。つまりは彼は今ただの鉄の棒で戦うだけの余裕があるということだ。


「あの兵士たちを10とすると、クナールが4、50ってとこかな。ソルラクくんは100くらいの強さはあるね」


 10倍といっても、10人でかかれば勝てるという話ではない。一人の人間に対して10人で同時に襲いかかるのは不可能だからだ。そしてこれは、魔刃は関係のない純粋な戦士としての実力の話だ。


 クナールが振るっていた炎刃ラヴァティンは極めて強力な魔刃だった。それこそ、実力差を覆すほどの力があった。


「ニコさんはいくつくらいなんですか?」


 リィンにそう問われ、ニコは少し考える。


「僕? うーん……75……いや、70ってところかな」

「えっ」


 多少の謙遜を交えた数字を告げれば、リィンは驚きの声をあげる。


「何その『えっ』って」

「……ごめんなさい、その……もう少し、低いのかなって……」

「言っとくけどリィンちゃんは1とかだからね!?」


 素直に謝るリィンに憤慨しつつ、ニコはふと気配を感じて下を振り向いた。


 遠く。ニコがいる場所からは、小さな点にしか見えないほど遠くから、しかし確かに男がこちらを仰ぎ見る。そしてその袖口から、棒状のものがするりと伸びるのが見えた。


 反射的に、ニコは屋根から飛び降りる。次の瞬間、一条の閃光がニコのいた空間を貫き、屋根飾りを破壊する。


「嘘でしょ……!?」


 その攻撃には見覚えがあった。閃刃スレグローガ。その名の通り刃を閃光に変える、長槍の魔刃だ。だがニコの記憶が確かならそれは長い射程を持つものの、あんな距離から人に当てられるような精度を持っているものではない。


 しかも光線は背中のリィンに当てず、ニコの頭だけを吹き飛ばすように飛んでいた。狙ってやったのだとすれば、使い手の技量は恐ろしい高さだ。


「ニコさん!」


 あんなものに狙われている状態では、屋根の上を走るわけにはいかない。建物を盾にするように細い路地をニコが走っていると、リィンが警告を発した。


「前からも敵が来ています!」


 確か『図化』と言ったか。リィンは周囲の様子を把握する魔術を使えるのだと、船旅の間に聞いてはいた。港のそばにはいくつも倉庫が並んでいて、入り組んだ路地を逃げ回るには最高の魔術だ。


 ──だが。


 敵のいる方向を避けて逃げるうち、ニコは袋小路に辿り着いてしまった。目の前には海が広がっており、背後は倉庫。


「ニコさん……駄目です、囲まれてます」


 そして残りの二方向には敵が迫りつつあった。


 思った以上に敵の包囲が早い。ソルラクが引き付けている敵以外にも、元々広い範囲に布陣していたのだろう。閃刃スレグローガで屋根の上の移動を妨害してきたことから見ても、ニコがこうやって逃げる事は想定の範囲内だったということだ。


「うわわ、どうしよう」


 交戦するか? そんな考えがふと脳裏をよぎるが、すぐに振り払う。確かにニコでも兵士の十人や二十人であれば相手できるだろうが、そうしている間に先程の魔刃使いがやって来ればおしまいだ。


 それに身軽さを信条とする軽戦士のニコでは、リィンを背負いながらでは満足に戦えないだろう。かと言って彼女に自分の足で走ってもらっては逃げ切れない。


「ニコさん、あそこを!」


 思い悩むニコに対し、リィンは倉庫の扉を指差して叫んだ。


「錠前を切って下さい!」

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