第25話 一瞬プロポーズされたかと思いました/64
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「うわっ、どうしてここが!?」
壁を破壊して入ってくるソルラクに、咄嗟にリィンを背後にかばいながら、ニコが叫んだ。
「よかった。気付いてくれたんですね」
ソルラクの背後から、チリリリリン、とけたたましく音が鳴る。
それは、ピアの首につけた竜鐸がなる音だった。
リィンが買い、ソルラクに贈り、ピアの竜具に留めたそれには、三者と強い縁を持つ。リィンは魔術でその縁を引っ張って、音を鳴らし続けていた。
リィンに近づけば近づくほど引っ張る力も強くなり、竜鐸も大きく強く鳴り響く。それを辿ってここまでやってきてくれたのだ。
ソルラクは唸りを立てて回転する魔刃をニコに突きつけ、抑揚のない声で告げた。
「その娘を返してもらう」
あ、これは確かに悪人っぽいな。つい、リィンはそう思ってしまう。
「仕方ないな……」
ニコは困ったような表情で、腰の剣を抜いた。細剣と呼ばれる種類の、針のように細い刀身を持つ刺突用の剣だ。
「万刃ドゥリンダナ!」
しかしニコがそう叫ぶやいなや、その刃は長く伸び、まるで鞭のようにしなってソルラクを襲った。
これだ、とリィンは悟る。長く細い、自在に伸びるこの刀身が、先程リィンの身体を捉えてさらったのだ。
およそ剣のそれとは思えない軌道で襲いかかるドゥリンダナの刃を、ソルラクは無刃カレドヴールフで跳ね除ける。
ドゥリンダナの刃は盛大に火花が散らして砕け散るかと思いきや、ただ弾かれるだけで破壊される様子はなかった。
「なるほど、聞いてた通りだ。だけど僕のドゥリンダナは、そう簡単には折れないよ!」
ニコが剣を振るう度に刃は伸び、四方八方からソルラクを切り刻もうと迫る。ソルラクもカレドヴールフを振るってそれを跳ね除けるが、リボンのように軽く柔軟な刃は弾かれこそするものの、折れることはけしてなかった。
ソルラクの天敵だ、とリィンは悟る。
勝つ自信はないなどと言っていたが、ニコはむしろソルラクを圧倒していた。
ソルラクは攻撃を防ぐのに手一杯で、ニコの元にまで辿り着くことが出来ない。その一方で、ニコの刃は振るえば振るうほど長く伸び、十重二十重にソルラクを囲み込んでその手数を増やしていく。
しかしその光景にはどこか、違和感があった。
リィンの知っているソルラクは、もっと強いはずだ。確かにニコの魔刃は脅威だが、それでもいつものソルラクであれば負ける相手ではないように思える。
リィンは目を閉じ、『図化』の魔術で周囲の光景を影に落とし込む。ニコの攻撃は早く複雑すぎて、とても目では追いきれない。だが、視覚とはまったく別の感覚で物を認識するこの魔術の中なら話は別だ。
動きがどれほど早かろうと、それを止め、あるいはゆっくりと動かして見ることが出来る。
そして、リィンはソルラクの苦戦の理由を悟った。
☀
無数の刃が踊るように宙を舞う。
厄介な相手だ、とソルラクは歯噛みした。
カレドヴールフで破壊できない魔刃というのは、実のところそう珍しいものではない。今まで何度かそういう相手と戦ったことはあるし、それを振るう人間自体はたいてい破壊できる。
問題は、魔刃の使い手自身の腕がいいということだった。恐らく、ドゥリンダナと呼ばれる魔刃自体には、破壊不可能な性能はついていない。ただその軽さと柔らかさでカレドヴールフの攻撃をいなし、受け流しているのだ。ということは、相手は恐らく普通の剣でも同じことが出来る。並大抵の技量ではない。
そして何より厄介なのが、その攻撃範囲の広さだ。
無限に伸びていく刃というのは、無数の矢玉よりもたちが悪い。なにせ弓や銃と違って、背後に向けても攻撃できる。
ソルラクは最初からずっと、相手の背後に庇われたリィンが攻撃されないよう、ドゥリンダナの動きを抑制することを最優先で戦っていた。
自分に飛んでくる攻撃だけでなくリィンを狙いうる刃も打ち落さなければならないから、なかなか反撃に移ることが出来ない。それでもじりじりと足を地面に擦るように動かして、間合いを詰めていく。
間合いが詰まれば相手の刃の密度は上がり、防ぐべき攻撃の数はどんどん増える。結果として、ソルラクとニコの間には破壊の嵐とでも呼べそうな刃の応酬が出来上がっていた。
「ふたりとも、やめてください!」
突然、その嵐の中にリィンが飛び出す。まさかそっちの方から攻撃に当たりに来るとは思っていなかったソルラクは、刃を止めるのが半呼吸送れた。
「な……」
刃に切り刻まれ、溢れた血がぼたぼたと落ちて地面を濡らす。
「なんてことするの!?」
リィンを庇って直接ドゥリンダナの刃を掴んだソルラクに、ニコは叫んだ。
「ソルラクさん、大丈夫ですか!?」
「ああ」
指が飛んだわけでもないし、腱を断たれたわけでもない。攻撃力は低いタイプの魔刃で助かった、とソルラクは思った。普通の魔刃を手で掴んだりすれば、篭手を付けていたとしても腕の一本や二本吹き飛んでも不思議はない。
「ごめんなさい、わたし、こんな……わたしは、大丈夫、でしたのに……」
ボロボロと涙を流しながら、リィンは両手で包むようにソルラクの腕を取る。
リィンの身体を、不可思議な力が包んでいるのはわかっていた。確かに一撃、流れ弾のようにドゥリンダナの刃を受けるくらいなら大丈夫だったかも知れない。
「俺は」
だが、そんな不確かな可能性にかけるくらいなら、自分の片腕が千切れたほうが遥かにマシだった。
目の前からリィンの姿が消えた時、ソルラクは心臓を抜き取られたような思いに襲われた。子供は守るべきだからとか、彼女が哀れな境遇にいるとか、そんな考えは全て抜け落ち。
ソルラクの中に残ったのは、リィンを失いたくないというその思いだけだった。
ソルラクは鈍い。人の機微を察することが出来ず、気持ちというものがわからない。だから、今までまったく気づいていなかった。
「たとえ太陽が月に追いつこうとも、お前を守る」
こんなにも、自分がこの幼い少女のことを大切に思っているということに。
「え……」
途端、ぽんと音がしそうなくらいの速さで、リィンの顔が真っ赤に染まった。
「どこか怪我をしたか」
「だ、大丈夫、大丈夫です!」
先程まで泣きじゃくっていたのに、慌てた様子でリィンはパタパタと手を振る。それを確認して、ソルラクは視線と剣をニコに向けた。
「あー……待って。降参」
攻撃する隙はいくらでもあっただろうに何故か手を止めていたニコは、両手を上げてそう言った。
「そんな様子を見せられたら、これ以上戦えないよ。刃も収めるから、それ離してくれないかな」
そして苦笑しながら、ソルラクが腕に巻き付けるようにして掴んだドゥリンダナの刀身を指差した。触れたものを無条件で切り裂くような刃ではないから、こうして掴んでしまえばその攻撃をかなり制限することが出来る。
「そんな様子とはどういうことだ」
「あ、あのっ、ソルラクさん! 大丈夫だと思いますから、離してください! 治療もしないとですし……」
離せば反撃を許しかねない。ソルラクは警戒したが、リィンに言われて素直に手放した。
「僕は君が、いたいけな女の子をさらって奴隷として売り飛ばそうっていう悪人だって聞いてきたんだよ。これじゃ、まるで僕の方が悪党じゃないか」
すると辺りを埋め尽くす勢いで伸びていたドゥリンダナの刀身はするすると縮んで、再びニコの腰の鞘に収まる。
「違うのか」
「違うよ!」
言われてみればソルラクは、敵意や殺気といったものを優先して察知しようとしていた。ニコにそう言ったものがなかったのなら、直前まで気づかなかったのも納得はできる。
少なくともさっきまでニコが発していた敵意もすっかり失われていたので、ソルラクはカレドヴールフの回転を止めて鞘に収める。そしてリィンをひょいと抱き上げ、踵を返した。
「待って待って待って!」
その背をニコが慌てた様子で呼び止める。
「えっなんで行こうとしたの!? 僕が誰からそんな事言われたかとか諸々気にならないの!?」
気にならなかった。
今のソルラクは、リィンがそばに戻ってきた安心感でいっぱいになっていて、安全な場所に彼女を連れて行くことしか頭に残っていなかった。
そう言えばついいつもの癖で抱き上げてしまったがリィンは不愉快ではなかっただろうか。
「あの、ソルラクさん。ニコさんの話を聞いてもいいですか?」
そう思って彼女に目を向けると、リィンはまったく気にした様子もなくソルラクにそう尋ねる。彼女がそういうのであれば、一切の異論はない。
「聞いてくれるみたいです」
「えっ? 彼、何も言ってないよね?」
すぐにニコにそう伝えるリィンに、ソルラクも内心首を傾げる。今回はああと返してもいないし、視線を背けてもいない。
「あれ? そう……ですね。でも、何となくそんな気がして……あってますよね?」
じっとこちらを見つめてくるリィンに、ソルラクはそうだ、と思う。
「やっぱり」
「ああ」
そして念の為言葉でも伝えるのと、にっこり笑ってリィンが手のひらを合わせるのはほぼ同時。リィンの方が僅かに早かった。
「いや……っていうか、なんで急にそんな何も喋らなくなってるの……?」
不可解だとでも言いたげに眉を寄せ、ニコは問う。
「あ、ソルラクさんは、魔刃を回転させてるときだけ口数がちょっと多くなるみたいで……いつもはこんな感じです」
そしてまったく自覚のなかった事を口にするリィンに、ソルラクは衝撃を受けた。
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