第24話 釣られた魚ってこんな気分なのかなと少し思ってしまいました/16
☀
やってしまった。
ソルラクは、自身のセーフハウスで一人頭を抱えていた。
それはいざというときの為、廃屋に手を入れて最低限の寝泊まりは出来るようにした一種の隠れ家だった。
刃局で受ける仕事というのは別に非合法なものではないが、それに近い依頼が紛れ込んでいて厄介事に巻き込まれることも多い。そんな時のために、旅刃士は町ごとにそういった場所を用意しておくものなのだという。
と言ってもそれは爺さんからの受け売りで今まで使ったことなどなかったが、今回に限っては役立っていた。もう一度襲撃が来る可能性は低いだろうが、かと言って同じ宿に泊まる気にはなれない。
だが、問題はそんなことではなかった。ソルラクが今頭を悩ませているのは、完全にリィンに嫌われてしまったということだ。
何が問題だったのかわからないのがソルラクの常だが、今回に限ってははっきりしていた。爆破からリィンを守るため、上に覆いかぶさったことだ。
リィンは以前男に襲われ、恐怖心を抱いていた。咄嗟の事だったとは言え、そんな彼女に対して配慮があまりにも足りない行動だった。こんなだから、自分は誰とも交流できないのだ。
リィンはソルラクに怯え、ついに手さえ取ってくれなくなった。だが、その場に留まるわけにもいかない。無理やり抱えてここまで連れてきたが、それで余計に嫌われたことだろう、と思う。
しかしそれでも、彼女は自分を頼るしかないのだ。
哀れなことだと思う。幼い子供でたった一人、ソルラクのような人間以外に誰も頼る相手がおらず、それどころか妙な連中に目をつけられ襲われる。一体どれだけ心細いか、想像もつかなかった。
せめて、その身を守ろう。どれだけ恐れられ、嫌われたとしても……心までは、守ってやることが出来ないとしても。
そう決意して、ソルラクは一晩を明かした。
目的の船が出るまであと一日あるということは、昨日のうちに調べてある。食事が出るような上等な船ではないから、海上で食べる分の食料は先に買い込んでおかなければならない。ソルラクの分くらいは船上で売ってもらえるかも知れないが、今回はよく食べる同行者がいる。買い出しは必須だった。
一人で買いに行くか、リィンを連れて行くか悩んだ末に、ソルラクは連れて行くことにした。移動の際、尾行には十分に注意したからセーフハウスの場所は割れていないだろうが、それでも万が一があると思うとやはり一人にはしておけない。
「フードを被って、竜に乗れ」
「……はい」
とは言え、彼女の美しい紫の髪は非常に目立つ。ソルラクはそう指示して、リィンをピアに乗せた。
本当なら彼女を抱えるか、せめて手を繋ぐくらいはしていた方が守りやすい。だが流石に、あれほど怯え嫌っている男にそんな事をされるのも嫌だろう。人混みに紛れたところで襲われるよりは、多少目立っても竜の背にいてくれた方が町中では守りやすい。ソルラクはそう判断した。
フードを目深に被っていれば目立たないはずだ。夜中ならまだしも、よく日のさす日中であればフードを被っていてもそれほどおかしいことではない。
ピアの手綱を引きながらも、ソルラクは周囲の気配に集中する。人の足音や声、呼吸の音は、全て振動となってソルラクに伝わってくる。昨日、部屋の外から爆破されるのに気づいたのも、そうした気配を感じ取ったからだ。
壁越しであっても問題ない。人混みに紛れていようと、リィンに対して敵意や殺気を飛ばすものがあれば、それは必ず振動の予兆となって感じ取れる。
だからそれはソルラクの油断ではなく、相手の手並みがあまりにも鮮やかだったと言うべきだろう。
突然リィンの身体に細く長いものが巻き付き、引っ張られる。
「リィンッ!」
一呼吸の更に半分より短い時間でソルラクは振り向き、彼女に手を伸ばす。しかし、掴めたのは外套の裾だけだった。ぶつりと留め金が外れ、紫色の髪の毛がぱっと風に舞う。
「ソルラクさん……っ!」
手をのばすリィンの姿は、あっという間に空に消えた。
☪
それは本当に、あっという間の出来事だった。ピアの背の上にいたはずのリィンの身体は、なにかに引っ張られたと思えば次の瞬間には見知らぬ男の腕の中にあった。
男はリィンを抱えたまま、恐るべき身軽さで屋根を伝って駆けていく。建物の上から、どうやったかはわからないがリィンをさらったのだ。
離してください、などと訴えかけても無駄だろう。その分の労力を、リィンは瞳を閉じて集中し、『図化』の魔術の行使に当てた。
リィンの瞼の裏で周囲の景色が薄い影のように平たい半透明のものとなり、人々は輝く光の点となる。その中で、ソルラクを示す光はどんどん遠ざかっていった。
「ここまでくれば安心かな」
やがて彼の光が見えないほどに遠く離れたところで、男はそう呟きリィンの身体を下ろす。目を開くと、そこは昨夜過ごしたソルラクのセーフハウスによく似た場所だった。
「ごめんね、手荒な真似をして」
男はやけに穏やかな声色で、リィンにそう語りかける。昨夜襲いかかってきた刺客とは違い、覆面はつけていなかった。
金の髪を短く切った、女性に見まごうばかりの中性的な顔立ち。背の高さは、リィンとソルラクのちょうど中間くらいだろうか。男性としてはやや小柄で、線も細い。
そして何より、身にまとったその雰囲気はどこか争いごととは程遠いような、柔らかいものがあった。
「……あなたは?」
「僕はニコル。君を助けるよう依頼された旅刃士だよ。ニコって呼んで」
男はリィンを安心させるように微笑み、そう名乗る。
「……助ける……ですか?」
「邪悪な旅刃士にさらわれた娘を助けて欲しい。さらった男は『黒曜』の名で知られる悪名高い旅刃士。娘は紫の髪に赤い瞳、11歳で身長130センチ。名前はリィン。……君のことで合ってるだろ?」
一瞬人違いなのでは、とは思ったが、名前に身長まで言い当てられてしまっては偶然似たような境遇の相手と勘違いされたということもないだろう。『黒曜』というソルラクの二つ名も以前刃局で聞いたものだ。
「間違ってます」
「えぇっ?」
だが、リィンは憮然としてそう答えた。ニコは慌てた様子で目をまんまるに見開く。
「じゃあ君は誰!?」
「わたしはリィンで間違っていません。ですが、一緒にいたソルラクさんは悪い人なんかじゃありません。わたしを守ってくれていたんです」
「ああ、なんだ、それか」
ほっと息を吐き、ニコは跪いてリィンと視線を合わせる。
「いいかい、君は騙されてたんだ」
そして諭すような穏やかな口調で、そう告げた。
「聞いてるよ。君はルーナマルケを目指しているんだろう? けどね、この港町からルーナマルケへの船は出ていないんだ。そもそもこんな小さな港町からは、外洋を渡って他の大陸に渡れるような船は出てない。一体彼がどこに連れて行こうとしていたのかはわからないけど……そこがルーナマルケでないことだけは確かだよ」
確かに、ソルラク自身も海の向こうにルーナマルケはないと言っていた。どちらも嘘ではないとしても、矛盾はしない。
何故船に乗るのか、どこへ向かうのかは結局聞けないままだったし、髪飾りが海を渡ってきたのか聞こうとした時、遮るように代金を払いはしなかったか。
そもそも、ソルラクはリィンをルーナマルケへ連れて行くなどとは、結局一言も言っていないのだ。
「わたしを助ける依頼というのは、誰からされたのですか?」
「刃局を介してだから直接会ったわけじゃないけど、依頼人の名前にはサイネルと書いてあったよ」
「……父ではありませんが、知ってる方です」
サイネルとはさほど面識はないが、顔も名前も覚えている程度の間柄ではあった。娘と言うのは依頼を出す際の方便だろう。
直感的に、ニコの言っていることは嘘ではないんだろう、とリィンは思った。
勿論彼が稀代の大嘘つきで、リィンを騙しているという可能性もある。だがそれにしては筋が通っているし、そもそもリィンを騙す理由があるとも思えない。リィンの身柄が目的なら、力づくでさらっていってしまえばいいだけだ。
「ソルラクさんが、わたしを騙していた……」
それに対してソルラクは、本当に何も説明してくれないし、素性も知れないし、悪名高いというのも何となくわからなくもない。日頃からあの態度では他の旅刃士から疎まれていても不思議ではないと、リィンでさえ思う。
……だが。
「ないですね」
その可能性を、リィンはあっさりと切り捨てた。
惚れているから……ではない。むしろ、その逆だ。
ソルラクがそんな人間ではないと、一緒に過ごしてきた中で分かってきたからこそ、リィンは彼のことが好きになったのだ。
「多分何か、誤解があったんだと思います。ソルラクさんと直接話をさせて頂けませんか?」
「それは……悪いけど出来ないかな」
困ったように眉根を寄せて、ニコは髪をかく。
「どうしてですか?」
「いやあ、だってあの人、めちゃくちゃ強いよ。さっきはうまく不意をつけたけど、二回目は無理だ。君の言う通り良い人だったらいいけど、やっぱり悪い人だった場合、君を守りながら勝つ自信はちょっとないかな」
あっさりとそんな事を言うニコに、そんな場合ではないと理解しつつも、ソルラクを褒められてついリィンは嬉しくなってしまった。
同時に、やっぱりニコも悪い人ではないのだろうな、と思う。純粋にリィンの事を心配してくれているのだ。それが、言葉でも、表情でも、行動でも伝わってくる。
もしソルラクよりも先に彼と出会っていて、同じように守ってもらいながら旅をしていたら、どれほど心安らかだっただろう。ふと、リィンはそんな事を思う。
けれど、たぶん──
「……ごめんなさい、ニコさん」
もし彼と先に出会っていたとしても、これほど心惹かれることもなかっただろう、とも。
「わたしはやっぱり、ソルラクさんを信じます」
その瞬間、壁が轟音を立てて破壊された。
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