第22話 もう少しだけ続けてて欲しかったです/38

 ☪



「爺さんは流行り病で死んだ。俺がちょうどお前くらいの頃だ」


 呟くように語るソルラクの声色は平静で、表情にも変化はない。リィンには、彼が悲しんでいるのか、それともなんとも思っていないのかすら判断がつかなかった。


「それは……」


 端的で短いソルラクの言葉からは、断片的にしかわからない。分かったのは、『爺さん』と呼ぶ男性と一緒に旅をしていた事。剣を習っていたこと。そして、病気で死んでしまった事。分かったのはそのくらいだ。


 彼が『爺さん』と呼ぶ男性のことをどう思っていたか、亡くなったときどんな気持ちでいたのかも、リィンにはわからない。


「寂しかったですね」


 だが、リィンは彼の腕を握る手に力を込め、そう言った。

 ソルラクの気持ちは、リィンにはわからない。けれどもしリィンが同じ体験をしたらそう感じるだろう。そう思ったからだ。


「………………ああ」


 しばらく考え込むように黙り、ソルラクはそう返事を返す。

 さらり、とソルラクの手がリィンの髪をなでて、彼女は飛び上がらんばかりに驚いた。


 戦闘の際に小荷物のように抱えられるのを除けば、彼の方からそんな風に触れてくれるのは初めてだったからだ。実際には大げさに身じろぎせずにすんだ自分を、リィンは内心で大いに褒め称えた。もし彼女が反応を見せれば、ソルラクはすぐに手を引っ込めてしまう気がしたからだ。


 ソルラクの手のひらはリィンの頭をすっぽりと覆ってしまえるほどに大きくて、それを動かすでもなく彼女の上に乗せている。


 その手の暖かさをじんわりと感じながら、リィンは思う。


 寂しい。ソルラクもやはり、そう感じることがあるのだ、と。


 それは当たり前といえば当たり前のことなのかもしれない。けれどリィンにとってそれは、頭を撫でられた事に匹敵するほどの衝撃だった。


 ソルラクはいつだって変わらぬ無表情で、声色からも顔つきからもその感情を読むことが出来ない。いつだって冷静で、勇敢で、恐れも戸惑いも無縁に生きているのだと、半ば無意識にそう思っていたからだ。


 そんな彼でも寂しいと思うことは、あるのだ。ソルラクがリィンと同じような感情を持っているのだという事に喜びを感じる一方で、そんな事をおくびにも出さない彼が、何故か無性に悲しかった。


 ソルラクはもしかしたら、口にする以上に色んな思いを抱えて生きているのかも知れない、とリィンは思った。


 勿論、誰もが思ったことを全てそのまま声に出して言うわけではない。リィンだってまさに今、そう簡単には口に出来ない彼への想いを抱いている。


 けれどソルラクのそれは、人一倍多いのではないか。彼の手のひらの感触を頭の上に感じながら、リィンは思う。


 最初、リィンは疎まれているのだと思っていた。ソルラクは子供が嫌いで、ろくに会話もしたくないのだと。しかし他の大人たちとの対応を見るに、どうやらそうじゃないということはわかった。リィンへの態度と大人への態度が変わらなかったからだ。


 人間が嫌いで関わり合いになりたくないという人もいる。けれどソルラクはそういうわけでもない気がしていた。もしそうであれば、そもそもこれほどリィンの面倒を見たりはしないだろう。


 彼は優しい人で、とても親切だ。これはどちらかと言うと希望的な思いでもあったが、嫌われているわけでもないと思う。


 だと、するなら──


 リィンは今まで目にしてきた彼の言動を踏まえ、じっくりと思考を巡らせて、ある一つの仮説を打ち立てた。


 ソルラクが嫌いなのは多分、おしゃべりだ。


 男性には長々としたお喋りが嫌いな人が多いというのは、リィンも聞いたことがあった。父親はそんな事はなく、仕事が忙しくない限りはリィンのお喋りに何時間でも付き合ってくれたものだったが、それは特殊な例と考えるべきであろう。


 特に自分の仕事や腕前に自信を持つ職人と呼ばれる類の男性たちは、己の実力を無闇に喧伝したり吹聴するような事は好まず、黙って成果を出すことによってその能力を示すことを美徳とする風習があると聞いたことがある。


 ソルラクは職人ではないが、己の腕前が全てという点では旅刃士も同じようなものだろう。それ故に、軽薄に喋ることそのものが嫌いだというのは十分考えられることだった。


 表情をほとんど変えないのも、プロフェッショナルならではの克己心の現れだとすれば納得できる。思えば彼は怒った時も、それを表情に出すことはなかった。内心ではリィンに呆れたり苛立ったりしているのかもしれない。だがそれをけして表に出さない自制心を備えているのだ。


(……だとしたら、あんまり根掘り葉掘り聞くのは控えないと……)


 ソルラクが何を考えているのか、どんな過去を背負っているのか。酷く気になることだったが、無闇に聞きすぎて嫌われてしまっては元も子もない。


 思い返せば、彼が珍しくはっきりと苦手であると口にしたアーニャはよく喋る人だった。これからは、気をつけないと。


 リィンはそう、肝に銘じた。



 ☀



 困った。


 リィンの頭を撫でながら、ソルラクは内心でダラダラと汗を流し、大いに恐れ戸惑っていた。


 つい、リィンの頭を何も考えず撫でてしまったのだ。撫でられていることに気付いていないのか、前方の鞍に座ったままリィンは無反応だ。


 彼女の紫色の髪は細くふわふわとしていて、酷く撫で心地が良い。普段手綱を操っている時もちょっとした拍子に手に触れて、くすぐったいような、気持ちのいいような心地になる。そのせいか、ほとんど無意識に触れてしまっていた。


 このまま何事もなかったかのように手をどかせば、気づかれずやり過ごせないだろうか。だが、髪は女の命だという。まだ幼くともリィンは立派な女だ。その髪に無断で触れておいて、謝ることもなしにやり過ごしてしまっていいものだろうか?


 だが、謝ると言ってもなんと言っていいのかわからない。

 ソルラクは必死に、己の中にある言葉を掘り返した。


「助けてくれ、命だけは」


 謝罪と言って一番に思い浮かぶのはそんな言葉だ。これは非常によく聞く台詞だったが、この場合にはあまり相応しいようには思えない。それに、これを口にした奴はたいてい、背を向けた瞬間に切りかかってくる。もしかしたら謝罪ではないのかも知れない。


「フライパン投げてごめんなさい」


 これは状況に照らして、もっとも謝罪らしき言葉だ。だがソルラクは、この台詞のすぐ後に大量の水を頭からかけられた。多分、謝罪ではない。


「すみません」


 最後に思い浮かんだのは、リィンがよく口にする言葉だった。

 だが、なぜリィンは謝るのだろうか。彼女は悪いことなど一つもしていない。

 謝罪というのは悪いことをした時に、それを許して貰うために口にするものだったはずだ。


 多少疑問点は残ったが、とにかく言うべき内容は定まった。後は実行するだけだ。ソルラクはそっと、リィンの頭から手をどける。


「あっ……」


 途端、リィンが声を上げて後ろを振り返った。


「……やめちゃうんですか?」


 悲しげで……それでいて、どこかこちらの反応を確かめるようなその表情に、ソルラクは衝撃を受ける。


「馬鹿なことを言うな」

「はあい。すみません」


 反射的に答えると、リィンはいたずらっぽくチロリと舌を出して前に向き直る。


 ──やはり、「すみません」も謝罪の言葉ではなかった、とソルラクは思う。


 リィンは何一つ悪いことなどしていないし……それに、謝罪とは許しを請うこと。言い換えれば、相手の感情を平静にする為の言葉であるはずだ。


 ならば。


 そんな言葉を投げかけられて、早鐘のように心臓が脈打つ事などあるはずがない。

 全力で走ったときのような──あるいは、『本物の竜』に出会ったときのような、鼓動。それは奇妙なことに、いつまで経っても収まる気配がしなかった。

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