第21話 もっと歳上なのかなと思ってました/34

 ☀



 リィンの様子がおかしい。


「わたし、初めてお料理作ったんですけど、美味しく出来てよかったです。といってもあれを料理と呼んでいいのかはわかりませんが……でも、基本的な事は教わったので、今度機会があればソルラクさんにまたお料理作って食べて欲しいです」


 昼食を食べてからずっと、前の席からしきりに話しかけてくる。こんなに口数の多い娘だっただろうか? とソルラクは戸惑っていた。


 それに、その両手は手綱を握るソルラクの腕にそっと添えられていた。これも昼食を取るまでにはなかったことだ。しっかりと掴む感じではないから邪魔という程のことはないのだが、何故か妙に気になってしまう。


 掴む場所がなくて不安定なのかも知れない。鞍にハンドルでもつけてもらえばよかったか、とソルラクは考えた。


「ソルラクさんは、お幾つなんですか? あ、年齢のことです。わたしは今11歳で、来月の5日で12歳になるんですよ」


 そして、たまにそんな質問を投げかけてくる。「ああ」でも「いや」でも答えられないタイプの質問。そういう問いを今まで彼女が慎重に避けてくれていたことにはソルラクも気づいていた。だがここに来て、急に聞いてくるのは何故だろうか。


「ソルラクさん」


 ソルラクの腕を握るリィンの手に、きゅっと力が込められる。


「お幾つなのか、教えてくれませんか?」

「……19」


 にこやかなのにどこか迫力のある声色に、ソルラクはなんとかそう答えた。


「思ったよりお若いんですね。しっかりしてらっしゃるから、もっと上かと思ってました。そうなんですね、8歳差……」


 何を言っているんだ、とソルラクは思う。年齢相応に見えないというのなら、リィンの方がよほどだろうに。確かに背丈や顔立ちは幼く見える。ややもすれば同年代よりも背は低いだろう。


 しかし中身はソルラクなどよりもよほどしっかりしているし、大人びている。頭もいいし気遣いも出来る、そんな少女だ。


 何者なのだろうか。今更ながらに、ソルラクはそんな事を思った。

 恐らくは高い身分の子供なのだろう、という事はわかる。しっかりとした教育を感じさせる言葉遣い。それに世間知らずで、警戒心がいまいち薄い。大切に育てられてきたどこかの箱入り娘だろう。


 問題は、そんな子供がどうしてこんなところにいるかということだ。おそらく親はルーナマルケにいるのだろう。子供一人で辿り着ける場所ではない。奴隷商人に捕まったのはこの辺りでのことであるはずだ。わざわざ遠い異国で売る意味がない。


 彼女を送り届けるのには、別にそんな事を知る必要もない。そう思ってきたが、なぜだか最近のソルラクは妙にそんな事が気になってきていた。


「ソルラクさんは、ずっと一人で旅刃士をしてらっしゃったんですか?」

「……いや」


 ずっと一人、ではなかった。ずっと、というのがどれほどを指しているのかはわからない。けれどソルラクが一人でない時期は、確かにあった。


「それ、は……女の人、ですか?」

「いや」


 妙なことを聞く、とソルラクは首をかしげる。そもそも女の旅刃士などという存在が殆どいない。


「じゃあ、ソルラクさんには、その、奥さんとか……恋人とか……好きな人とかは、いないんですね!?」

「ああ」


 それどころかまともに会話を交わせる友人すらいない。そんな事はリィンもよく知っているだろうに、と思っていると、リィンは「はー……」と深く深くため息をついた。


 呆れられている。


 まあ、無理もない。子供にだって呆れられる自覚はある。


「でも、一緒に旅をしていた方がいたんですね。その方は今はどちらに?」

「死んだ」


 ソルラクがそう答えると、リィンは押し黙った。何かまずいことを言ってしまっただろうか。


「……すみません。嫌なことを聞いてしまいました」


 やはり自分は何かまずいことを口にしてしまったらしい。唐突に元気を失うリィンに、ソルラクは焦る。


「爺さんは……俺の、剣の師匠だった」


 そして昔のことを思い返しながら、そんな事を言った。



 *



「爺さん」


 ソルラクがそう呼ぶと、その老人は決まって睨みつけるような鋭い視線をソルラクに向けた。


 名前は知らない。ソルラクはただ、彼のことを爺さんとだけ呼んでいた。何故彼と一緒に旅をしていたのかももはや覚えていないが、物心ついた頃には既にソルラクは彼とともに暮らしていた。


「もっと食べた方がいいんじゃないか」

「黙れ。二度とそんな口を叩くな」


 爺さんは極端に食が細く、ほとんど食事らしい食事というものを取らない人だった。そのくせソルラクには自分の分まで食事を押し付け食べさせようとしてくる。だが、さっさと自分の分を食べ終えた爺さんに鋭い目で睨まれながら食事を摂るというのは、幼いながらに気が滅入る作業であった。


「食え」


 それでも何とか食べきったと思えば、爺さんは更に食料を投げてよこす。ソルラクにとって食事というのは、味気ないパンや干し肉を緊張しながら胃に詰め込む作業でしかなかった。今もなお、あまり食事は好きではない。


「いいか。敵を相手にした時は絶対に剣から手を離すな」


 言うと同時に剣の鞘が飛んできて、ソルラクの手の甲を強かに撃つ。


「離すなと言っているだろう!」


 その衝撃に木剣を取り落とすと、爺さんの目は更に鋭く見開かれ、叱責が飛んでくる。


「たとえ太陽が月に追いつこうと、剣からは手を離すな」


 それが、爺さんの口癖だった。どんな事があろうと、絶対に。そんな意味合いの言葉らしい。


 爺さんが肉親であったのか、それとも単にソルラクを拾い育てただけなのかはわからない。しかし厳しい師であった。間違える度に叩かれ、上手くできない度に叩かれ、ソルラクは何度打擲されたものか。


 しかし、ソルラクはそれを恨んではいなかった。今こうして生きていけるのは、爺さんがそうやって厳しく教えてくれたおかげだからだ。


 彼はソルラクに剣の扱いから竜の世話の仕方、町から町を繋ぐ道、何もない場所で方角を知る方法、食べられる野草の見分け方に野営の仕方まで、旅刃士として生きていくのに必要なことを全て教え込んだ。


 そして、ソルラクが殆ど叩かれることが無くなった頃、流行病であっさりと逝ってしまった。


 唯一教えてくれなかったのは、人との関わり方だけだ。爺さんは旅刃士として働きながら、ソルラクを他人と深く関わらせようとはしなかった。それが故意的な物であったのか、それとも単に彼自身が人との関わりを嫌ったのか、今となってはわからない。


 だが、結果としてソルラクは爺さん以外の人間と言葉をかわすことは殆どなく成長し、会話の仕方がわからないまま一人になった。


 他人の言葉を聞き取り、理解することは出来る。しかし自分の意志を伝えるのになんと言ったらいいかがまったくわからないのだ。


 それでも当初はソルラクも、わからないなりに人との交流を試みはしていた。だが、自分にはそれが不可能であるということを悟るのに、そう長い時間はかからなかった。


 ソルラクと会話していると、何故か人々は怒り出したり、怖がったりするのだ。何がいけないのかはソルラクにはまったくわからない。しかし、己の言葉の何かが相手を傷つけ不快にさせているのであろうということは理解できた。


 ソルラクの言葉は恐らく、自身の拳と同じだ。不器用な上に力の加減ができないから、不用意に触れれば人を傷つけてしまう。だからソルラクは極端に口数を減らし、喋らないようになった。勿論それでも変な目で見られることにかわりはないが、傷つける機会は少なくて済む。


 そうして、ソルラクは極僅かな相手を除いてなるべくコミュニケーションというものを取ることなく、今まで生きてきた。


 リィンは不思議な子供だ、とソルラクは思う。爺さんを除けば、こんなにもソルラクと長い間一緒に時間を過ごした相手はいないだろう。彼女もまたソルラクを怖がってはいたが、怒り出したり、泣き出したりすることはなかった。


 最近ではそれも随分と慣れて、ソルラクの方も会話というものが多少は出来るようになってきた気さえする。コロコロと表情を変えるリィンに、人というのはこんなに喜怒哀楽を表に出すものなのか、とソルラクは改めて思い知った。


 特に好きなのが、食事の時の表情だ。リィンはものを食べているとき、たとえそれが石のように硬いパンとパサパサの干し肉であっても、本当に幸せそうに食べる。小さな口で少しずつ、しかし信じられないほどの量を美味しそうに食べる彼女の姿を、ソルラクはついつい見つめてしまう。


 ……『美味しい』。


 今までソルラクはそれを、スープのような物を指す言葉であると思っていた。旅先で食べる堅パンと、宿屋で食べるシチューの違いくらいはソルラクにもわかる。堅パンよりもシチューの方が好ましいということも。


 だからソルラクは、『美味しい』とは、『温かい食べ物』の事を指す言葉であると思っていた。


 だが、そうではなかった。


 リィンが作ってくれたサンドイッチはまったく暖かくなかったが、それでもソルラクはそれを美味しいと感じた。おそらくは、生まれてから初めて。


 今までの彼の解釈は間違っていた。美味しいものとはつまり──


 リィンが作ってくれたもののことだ。

 ソルラクは、そう学んだ。

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