第19話 その先はどうしても、聞きたくありませんでした/44
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のしのしと進むピアの背の上で、リィンは真っ赤に染まった頬をその長い紫の髪で隠すようにして押さえていた。
『……似合っている』
(わーっ。わぁ、わぁぁ……)
さっき言われた言葉を何度も思い返しては、頭の中で騒いでしまう。頬はゆるゆるとだらしなく緩み、熱を帯びた。
(お父様に言われたときと、ぜんぜん違う……)
似合うよ、可愛い、きれいだ。
リィンの父はとにかく事ある度に彼女を褒めそやした。勿論それが親の欲目などということはわかっているが、それでも褒めて貰えるのは嬉しい。しかしそれは、くすぐったいような嬉しさだった。
ソルラクに言われた言葉に感じるそれはまるで違う。心の底から湧き上がるような、このまま飛んでいってしまうような嬉しさだ。ふわふわとして足が地につかず、それでいて恥ずかしくて、ソルラクの顔をまともに見ることができない。
「あ、あの、ソルラクさん、今度はどこに向かっているんですか?」
ずっと黙っているのも変に思われるかも知れない、とそう尋ねるも、返事はなかった。しまった、とリィンは思う。イエスかノーかで答えられる質問ではなかった。けれど、大通りを外れたその道は、街の外に出る道ではないだろう。
段々と人通りも途切れ、店も姿を消していく。ソルラクがピアを止めたのは、細い路地の奥まったところにある小さな小屋だった。
剣の意匠を施した小さな看板がついているだけで、何かの店という感じでもない。
「らっしゃい。……なんだ、『黒曜』かい。この前も言った通り、もうあんたに渡せるような依頼はねえぜ」
中に入ると、人相の悪い中年男性がドスの聞いた声で、しかし親しげにソルラクに話しかけた。
「こちらは、もしかして旅刃士の人にお仕事をくれるお店ですか?」
「あん? なんだ、お嬢ちゃんは」
カウンターが影になって小さなリィンの姿は見えなかったのだろう。ようやく男性は彼女に気づき、じろりと睨みつけた。子供なら震え上がってしまいそうな強面だったが、ソルラクに慣れたリィンにとってはさほど恐ろしく思えなかった。
「えっと、リィンと申します。わけあって、ソルラクさんと一緒に旅をしています。多分ソルラクさんは、今日でこの街を発つのでお別れの挨拶に来たんだと思います」
「ああ」
ちらりとソルラクを見ると、リィンの言葉を裏付けるように彼は頷く。
「こいつぁたまげた……」
刃局の主人は目を大きく見開いて、リィンとソルラクを交互に見つめた。
「おいおい、なんだよこの別嬪な嬢ちゃんは。どこでさらってきた、『黒曜』!?」
「さ、さらっただなんて、とんでもないです! ソルラクさんはわたしを助けてくれただけで……」
リィンが慌てて弁明すると、主人は豪快に笑った。
「冗談だよ嬢ちゃん。しかしそうか、あんたが話に聞いてたリィンか」
「ソルラクさんがわたしの話をしたんですか!?」
「初日に、ちょっとな」
今度はリィンが驚く番だった。どんな話をしたのか根掘り葉掘り聞きたいところだったが、まさかソルラクの目の前でそんな事を尋ねるわけにもいかない。
「今回は妙に長居すると思ったらこんな別嬪を連れ込んでるたぁなぁ」
「そうなんですか? あ、えっと、その、長居するのは、っていう方です」
自分の外見的評価については、それほど興味がなかった。もしソルラクがそう言っていたのなら、なりふり構わず問いただすところだったが、この言い分ではそういうわけでもないのだろう。
「ああ。こいつが来るのは季節に一度、せいぜいが二、三日ってぇとこだ。まあその二、三日で厄介な魔物を片付けてくれるんだから、ありがたい限りだけどな」
だとすると、今回は随分長居させてしまったことになる。竜具が出来上がるまで一月かかったのは仕方ないことにせよ、そこから更に半月ほど逗留が伸びてしまったのは、リィンのせいだ。
『銀の魚亭』があまりに離れがたくて、ズルズルと伸ばしてしまった。
「……次に来るのは、だいぶ、遅くなってしまうかも知れません」
「どういうことだ?」
そして更に、刃局の主人にまで迷惑をかけてしまう。
「これから、ルーナマルケまで送ってもらうんです」
宿で聞き込みを続けた結果、ルーナマルケがここからはるか東、海を隔てた他の大陸にあり、竜に乗っても何ヶ月もかかる距離であるという事はわかっていた。ソルラクが現地まで送ってくれるつもりなら、ここに戻って来られるのは往復で一年以上かかってしまう。
「ってぇ事は、一年か二年か……いや、下手すると今生の別れってことになるかも知れねえなあ」
沈鬱に告げるリィンとは裏腹に、主人は軽い口調で「ま、旅刃士なんてどいつもそんなもんだけどよ」と呟く。
「なるほどな、ありがとよ嬢ちゃん。じゃあ『黒曜』頼りに依頼を出し惜しむのはやめておく。助かったよ。こいつぁ腕は確かなんだが、本当に何も言わねえからなあ」
「そういえば、その『黒曜』というのは?」
ソルラクの事を指しているのは流れでわかる。だが何故そう呼ばれているのかが気になって、リィンは尋ねた。
「こいつの二つ名さ。この辺の旅刃士で知らない奴はいねえ。どんな魔刃を使ってんだか知らねえが、こいつが倒した魔物の断面はまるで黒曜石みたいにツルツルになる。だから、『黒曜』だ」
主人の説明に、リィンは首を傾げた。カレドヴールフで折られた砂刃は、むしろ乱暴にねじ切ったような傷跡になっていた。魔物に対して使うとそんな傷口になるものなんだろうか?
「……その魔刃は、もうない」
「ああ、そういや今回の魔物の傷跡は違ったな。ま、倒してくれるなら何でもいいけどよ」
かつては、別の魔刃を持っていたということだろうか。カレドヴールフは貰い物だと言っていたけど、どういう経緯で手に入れたのか。
改めて、リィンはソルラクのことを何も知らないのだと思い知る。
「それでは、今までお世話になりました」
「おう。道中気ぃつけてな」
主人はリィンに気のいい笑みを見せ、ソルラクに視線を向けてニヤニヤと笑う。
「良い女房をもらったなぁ、『黒曜』よぉ」
「にょっ……」
そして放たれた思わぬ言葉に、リィンの顔が真っ赤に染まった。
「黙れ」
だがソルラクの短い言葉に、場の空気は一気に氷点下まで冷える。
「ふざけたことを抜かすな」
その声色は本当に迷惑そうで、怒りに満ちたもので。
先程までふわふわと宙に浮かぶようだったリィンの心は、一気に叩き落されたのだった。
☀
わざわざ挨拶になど来るんじゃなかった。
ソルラクの頭の中は、後悔でいっぱいだった。
慣れないことなどするからこうなる。それを思い知った。
まだ幼いと言うのに、こんなろくに喋ることもできない男の妻扱いされたのだ。リィンはさぞ気を悪くしただろう。
本来守られるべき幼い子どもが何度も大人の悪意にさらされ、男の下卑た欲望に触れ合ってきた。その上、ともに行動する保護者であるべきソルラクまでもが自分をそのような対象であると見ているなどと思ったら、とても気が休まる時間がないだろう。
刃局の主人は冗談だろ、などと笑って誤魔化していたが、あれからリィンはどこか元気がないままだ。
「リィン」
「は、はいっ」
なにか言わなくては。
そう思うあまりに名を呼ぶと、リィンはびくりとして振り向いた。
やはり、怯えている。
「……えっ。ソルラクさん、今、わたしの名前を呼びましたか?
「ああ」
「ええっ!?」
頷くと、リィンは目をまんまるにして驚いた。名前を呼ぶくらいが何だというのか。
「あ、えっと、すみません。……なんですか?」
そしてそう問い返されて、ソルラクは回答に困った。なんと言うか考えていなかったのだ。
「お前は……」
頭の中で言いたいことを、必死で纏める。
「ガキだ」
まだ小さい子供だ。大人に守られるべきもの。安らかでいるべきものだ。
──いや。そうではない。多分それは、自分が言いたいことではない。
なぜなら、同じ年頃の子供が他にいたとしても、ソルラクはリィンを優先して守るだろうから。
「だから……」
ソルラクの舌というのは、とっさに言葉が出てくるようにはできていない。彼は悩みに悩んで、言葉を綴った。
「お前が……」
眉根を寄せるソルラクの頬に、そっと手が添えられた。リィンは彼の頬を撫でるように手を当てて、微笑む。
「わかりました」
「……ああ」
ソルラクはほっと息をつく。正直言って、自分がなんと言いたかったのかもわからない。だがリィンは敏い子供だ。彼女がわかったというのなら、言いたいことをわかってくれたんだろう。
だが。
ソルラクの胸のうちに渦巻く感情。
それを、どのように言葉にしていいか。それは結局どれだけ考えても、わからなかった。
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