第18話 急にそういうのは反則だと思うんです/10

 ☪


「本当に行っちゃうんだね……」

「はい。アーニャさん、お世話になりました」


 瞳を潤ませ己を見つめるアーニャに、リィンは深々と頭を下げた。


「ああーもう、うちの子になりなよ! 店長もこのまま雇えるなら雇いたいって言ってるし!」

「お気持ちは、とっても嬉しいです」


 アーニャの隣で、店主がうんうんと頷く。それも悪くないのかも知れない。そんな事を思うほどには、『銀の魚亭』は居心地のいい場所だった。


 けれど、リィンにはやるべきことがある。


「良い? ソルラクに変なことをされたらすぐに警吏に駆け込むのよ」

「もう、アーニャさんったら」


 リィンに耳打ちするような仕草でアーニャは言うが、声の大きさはいつものままだ。明らかにソルラクにも聞こえてしまっている。


「ここから東は魔物や山賊も多いって言うからね。十分に気をつけて行くんだよ」

「大丈夫です。ソルラクさんは、とっても強いですから!」


 リィンがそう答えると、アーニャは疑わしそうな目でソルラクをじろりと睨む。


「ソルラク。あんた、死んでもリィンの事守るんだよ」


 先程はソルラクを疑うようなことを口にしたくせに、そんな事を言う。このあけすけな物言いが自分にも出来れば、もうちょっとソルラクとも気軽に会話を交わせるのだろうか、と思わないでもなかった。


 それにしたって死んでもとは、言葉の綾とはいえ重い覚悟を要求し過ぎではないだろうか。


「ああ」

「……っ」


 そんな事を思っていたら、躊躇いなく頷くソルラクに、リィンは思わず頬を抑えた。

 まただ。また、何やら頬が熱い。

 言葉の綾だ。言葉の綾であって、深い意味なんかない。

 リィンは必死にそう言い聞かせる。


「リィン……あんたさ……」


 するとどこか呆れたような、それでいて心配するような目でアーニャがリィンを見つめた。


「なんですか?」

「……いや」


 彼女は複雑な表情を見せた後、ため息をつく。


「竜の尻尾にゃはたかれたくないからね」

「ピアはそんな事しませんよ。とっても優しいんです」


 そういうこっちゃないよ、とアーニャは苦笑の顔で手をふった。彼女のいう意味がわからなくて、リィンは首を傾げる。


「じゃあ、元気でね」

「はい。アーニャさんも」


 ぎゅっとリィンを抱きしめてくれるアーニャを、リィンは抱き返す。リィンに母親の記憶は殆どない。彼女が今よりもっと幼い頃に亡くなったからだ。


 けれどもし母がいたら、こんな感じなんだろうか。アーニャに言ったらそんな年じゃないって怒られるだろうし、多分母親よりは姉という感じなんだろうけれど。


 それでもリィンは、少しだけ、そんな事を考えた。



 ☀



「ソルラクさん、街を出る前に竜具屋さんに寄っていきませんか?」


 アーニャたちとの別れを済ませ、街を出る門へと向かおうとしたその時。リィンが腕の中でソルラクを見上げてそういった。


 ああ、と言うべきかいや、と言うべきか。悩んだ末、無言のままソルラクは竜首を巡らせて、行き先を竜具屋に向けた。


「こんにちは、竜方さん」

「へえ、こんにちは、旦那さんに嬢ちゃん。どうしやした。何ぞ具合でも悪くなりましたかね」


 竜具屋に辿り着くと、いつもの竜方が顔を出す。


「いいえ。今日で街を発つので、ご挨拶に伺いました」

「はあー……そりゃまたご丁寧に」


 竜具を納品されてからも、リィンは度々この店にやってきては、笛竜の世話の仕方や竜具の手入れの方法を聞いていたから、すっかり顔なじみになってしまっていた。


 なるほど、そういう場合は挨拶するものなのか。その発想はソルラクには全く存在しないものだったため、彼は深く感心する。


「お世話になりました。それと、この子に立派な竜具を作ってくれてありがとうございます」

「なあに、仕事ですし、代金も旦那からたっぷり貰ってますからね。しかしわざわざ挨拶に来てくれたんだ。ちょいと時間を頂けやすか?」


 竜方が言うと、リィンがちらりとソルラクを見る。少しして、自分に許可を求めているものだと気づいた。


「……ああ」


 多少出るのが遅くなったところで、ここから先の道はどうせ殆ど野営になる。ソルラクが頷くと、リィンは律儀に「大丈夫だそうです」と伝えた。

 くくく、と何故か笑みを漏らしつつ、竜方は一旦店の奥に引っ込むと、何やらキラキラと光るものを持ってきた。


「それはなんですか?」

「竜の鱗でさぁ。それも亜竜じゃない、本物の竜、真竜の鱗でさ」


 日の光を受けて七色にひかるそれは、まるで宝石のようだ。本物の竜。それは四つの脚と一対の翼を持つ、獣達の王だ。ソルラクも一回しか出会ったことがない。


 竜方は手慣れた動作でそれに革紐を巻きつけ、縛ってペンダントのように吊るす。そして、リィンにそれを差し出した。


「どうぞ。お代は結構でさ」

「えっ……そんな、貴重なものを頂いちゃって良いんですか?」


 リィンは慌て、竜方の顔と竜の鱗、そしてソルラクの顔を交互に見る。


「貴重ったって切れっ端でさ。何にもなりやしないが、嬢ちゃんを飾るくらいはできらぁな」


 真竜の身体というのは鱗の一枚から血の一滴までが貴重な資材の塊だが、彼の言う通り流石に指先程度の大きさの鱗では剣にするにも鎧に編み込むにもまるで足りない。


「旦那、似合うくらいは言ってやんなよ」


 それを首にかけ、嬉しそうに見つめるリィン。竜方はソルラクにそっと近づくと、小声で囁いた。


 なんだそれは、とソルラクは思う。まず『似合う』という言葉の意味がよくわからなかったし、そうだとしてもそれをわざわざ口に出さなければならない理由もよくわからない。


「ソルラクさんっ」


 だが。


「頂いちゃいました」


 はにかむリィンの胸元で輝く竜の鱗は、確かにこの上なく美しく見えて。


「……似合っている」


 思わず、ソルラクはそう呟いていた。途端、リィンはぴしりと固まる。


「あ、あ、ありっ……がとう、ござ、います……」


 顔を俯かせ、ぎこちなく礼を返す彼女に。


 やはり言うんじゃなかった、とソルラクは後悔した。

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