第17話 初めてお返しができました/28
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「リィン、ちょっときてー」
「では、こちら注文のお料理になります。とっても美味しいですが、熱いので火傷しないように気をつけてくださいね。……はあい、ただいま」
運んできたシチューの皿を客の前に置き、いつものように一言付け足してから、リィンはアーニャに返事をして厨房へと向かう。
「だいぶ女中の仕事も板についてきたって感じだね」
「はい。仕事を教えてくださったアーニャさんのおかげです」
リィンがこの宿で働き始め、数週間がたった。
客であり、従業員でもあるというのはなんだか不思議な感じだったが、店主もアーニャも、そして他の客たちもリィンにはとても親切にしてくれて、リィンはすっかりこの『銀の魚亭』が気に入ってしまっていた。
「ところで、お呼びですか?」
「うん。これあげる」
てっきり追加の料理が出来たのかと思えば、アーニャから小さな袋を渡されて、リィンは首をかしげる。
「何でしょうか」
「開けてみて」
促されるままに口を開いて中を覗き込むと、そこには銀貨が何枚か入っていた。
「お給金だよ」
「そんな、頂けません! わたし、大したことは出来ていませんし……」
まだ小さなリィンが出来たことと言えば、料理を運ぶとか、注文を聞いて厨房に伝えるだとか、その程度のことだ。後は部屋の掃除くらいのもので、それだって大半はアーニャがやっていた。
情報収集と、後はソルラクが働いている間の暇つぶしに行っていたことで、お金をもらおうなどとは全く考えていなかったのだ。
「それがリィンが手伝ってくれたおかげで連日満員でさ。店長が是非って。まーそんなに大した額じゃないから受け取っておきなよ」
「でも……」
軽い口調で言うアーニャに、リィンは困ったように逡巡する。
「どうせソルラクの奴からお小遣いなんて貰ってないんでしょ? それで好きなものを買いなよ」
だがその言葉に、リィンははっと息を呑んだ。
「そう……ですね。では、ありがたく頂きます!」
「うんうん。貰っときな貰っときなー。それと今日はもう、仕事上がっていいよ」
「はい。ありがとうございました!」
ぎゅっと袋を大切に抱きかかえ、リィンは部屋へと戻る。
「今日のお仕事、終わりました!」
「……ああ」
部屋に戻ると、ソルラクは篭手の手入れをしているところだった。ソルラクはだいたい二日か三日に一度のペースで仕事に向かい、大抵はその日のうちに、遅いときでも次の日の午前中には帰ってくる。
初めて夜を跨いだときは心配で眠れなかったが、アーニャが言うにはそもそも旅刃士の仕事は普通一日で終わるようなものではないという。
リィンは素直に「ソルラクさんは仕事が早いんだな」と思ったが、アーニャは刃局の印章の入った受領書を見るまで、実は仕事なんかしてないんじゃないかと疑っていた。
「ソルラクさん。ソルラクさんは──」
何が好きですか。そう尋ねようとして、リィンは思いとどまった。アーニャのおかげで「ああ」と「いや」は答えてくれるようになってくれたソルラクだが、それ以外の会話については相変わらずだ。おそらくそういう聞き方では返事は返ってこないだろう。
アーニャさんみたいに、「ちゃんと答えなさーい!」って怒鳴ってしまえば答えてくれるようになるのかな、とリィンは思う。けれど自分にはそんな事はできそうもなかった。
ソルラクを恐れているからではない。見た目ほど怖い人じゃないというのは、最近だんだんと分かってきた。出会ったばかりの頃に何度か怒らせてしまった記憶は未だにリィンの脳裏に焼き付いていたが、ソルラクは怒ったとしてもそれを引きずらない。
けれど多分、ソルラクにとって人とのおしゃべりというのはあまり楽しいものではないのだろう、というのもわかってきていた。こんなにお世話になっているのに、無理をさせたくない。
リィンが途中で言葉を切ったので、何だ、とでもいいたげに視線をまっすぐ向けてくるソルラク。そこでリィンは聞き方を少し考えることにした。
「食事は、お好きですか?」
「いや」
そんな気はしていた。ソルラクは放っておけばすぐに食事を忘れるし、平気で保存食のような質素なもので済ませてしまう。リィンにとっては信じられないことだったが、彼にとって食事というのは喜びではないらしかった。
「じゃあ、じゃあ、えーと……お花は好きですか?」
「いや」
かと言って美しい花を愛でるわけでもない。
「お洋服とか……」
「いや」
ですよね。としか言いようがなかった。ソルラクはいつも上下ともに真っ黒な服だ。何らかの美意識があってそうしているのかと思っていたが、どうやら単に汚れても目立たないからというだけの理由であることを、リィンは薄々察しつつあった。
だが他に、男の人が好きなものなんて見当もつかない。リィンにとって一番身近な男性と言えば、父親だ。好きなものを尋ねた時、彼はなんと言ってたか思い起こす。確か……
『そんなの決まってる。リィンだよ』
「わ……」
わたしは好きですか。そう聞きかけて、リィンは口をつぐんだ。
そういうことじゃない。
お礼をするために、ソルラクの好きなものを聞き出そうとしているんだった。その質問にソルラクがどう答えるかは凄く気になりはしたが、そんな事を聞いている場合ではなかった。
「お前は」
「え?」
一瞬、自分が語りかけられているのだと思わずに、リィンは目を瞬かせる。
「好きか」
「えっ……」
真っ直ぐな視線で射抜かれて、リィンは狼狽えた。
どう答えたらいいんだろう。例えば、嫌いか、と言われたら絶対にそんなことはない。頼りにしてるし、いい人だとも思う。いや、好きと言っても好きにも色々ある。いろいろって、どんな好きのことを想定して自分は言ってるんだろう。そもそもなんでソルラクは、こんな質問を──
「食うのが」
「……………………好きですけどぉー……」
頬を膨らませて、リィンは答える。
するとなんとなく、ソルラクは戸惑っているような気がした。
けれどそれよりもリィン自身の方が自分に戸惑っている。
それは、間違いないように思えた。
☀
「それで、お金を貰ったので、買い物に行きたいんですけど……一緒に行ってもらえませんでしょうか」
「ああ」
リィンからそう誘われて、ソルラクは一も二もなく頷いた。ただでさえここのところ仕事にかかりきりで窮屈な思いをさせてしまっていたし、ちょうどそろそろ竜具屋に竜具を取りに行く頃合いでもあった。
ソルラクとリィンはピアを連れて街に繰り出す。
大通りには様々な店が並んでいて、リィンはそれを冷やかしながら歩いた。
なにか欲しい物があるなら買ってやりたいと思うが、それをどう告げたらいいかわからない。それに、リィンはいまいちどれもしっくり来ないらしく、何を見ても首を傾げていた。
「おっ、いらっしゃい、旦那。できてますよ!」
竜具屋につくと、早速竜方が竜具一式を取り出してくる。大小並んだ鞍にあぶみ、角輪と手綱。鞍の後ろには、荷物を乗せる鞄袋までがついていた。
「へへ。残金合わせても十分な量の手付金貰っちゃったんでね。サービスしときやした」
「わあ……凄い!」
リィンが目を輝かせて竜具を見つめる。ピアも嫌がる様子もなくそれを身に着けた。ぽんぽんと首筋を撫でてやると、笛角からぷおんと機嫌良さそうに音を鳴らす。
「鞍はここの留め金を外すと分離できますんで、お嬢ちゃんが大きくなったら取り替えてやって下さい。あぶみはここのベルトで調整できやす。こいつが手入れ用の布と油です。週にいっぺんくらいは、こいつを布にちょっと付けて表面を拭いてやって、その後こっちの乾いた布で乾拭きして下さい。油は竜具屋ならどこでも置いてやすからね」
細々とした説明を、リィンは熱心に頷きながら聞く。ソルラクにとっては、耳にタコが出来るほど叩き込まれた話だ。竜方も途中からソルラクではなくリィンの方に説明していた。
「……ソルラクさん。竜は好きですよね」
「ああ」
不意にリィンがそんな事を尋ね、ソルラクが頷くと、彼女はぱあっと表情を輝かせた。一体何ごとだろうか、とソルラクは思う。
「あの……」
そして彼女は竜方の服の袖を引き、その耳にこそこそと何事か伝える。
「へえ、勿論ありやすよ」
竜方は相好を崩して頷くと店の奥に引っ込み、そして何か包みを持ってすぐに戻ってきた。
「こんなのはどうでやしょ」
彼が持ってきたのは、円筒形をした金属だった。筒の下側は空いていて、中に吊るされている金属製の棒が筒に当たる度にカロン、カロンと軽い音がする。
「
「買わせて下さい。これで足りますか?」
リィンはそう言って、巾着袋から銀貨を一枚取り出した。
「へえ、十分でさ」
竜方から釣りとともに竜鐸を受け取り、リィンはそれをピアの鞍を止めるベルトにつける。はぐれた時に役に立つと言っても、笛竜は賢く自分で自分の居場所を鳴いて知らせることだって出来る。あまり役に立つとは思えなかったが、装飾としてみるのならなかなか悪くなかった。
だが、それはリィンが貰った大切な給金ではないのか。菓子や服でも買えばいいのに、とソルラクは思う。
「あの……わたしが、ソルラクさんにかけている迷惑には、これでは全然足りないとは思うんですけど」
まるでそんな考えを読んだかのように、リィンはソルラクを見上げて言った。
「それでも何か……お返しが、したかったんです。竜に関するものなら、少しは喜んでくれるかなって」
彼女の言葉に、ソルラクは目を見開く。
勿論、喜んでいる。
『ああとかいやとか言え』
脳裏にアーニャの言葉が響いた。だがこれは「ああ」の一言で済ませて良いものとは思えなかった。ソルラクはどう言うべきか悩みつつ、じっとリィンを見つめた。すると、その大きな瞳にじわりと涙が浮かぶ。
何故泣く!?
「ご、ごめんなさい、わたし──」
震えるリィンの声に、ソルラクは思い出す。じっと彼女の目を見るのは「違う」という意味ではなかったか。喜んでもらえるか、という問いに対してそう答えるのは、喜んでないという意味にはなりはしないか。
何と言ったらいい。何と言ったら、今の感情を伝えられるのか。ソルラクは必死に思考を巡らせた。恐らく今までの人生の中で一番頭を回したんじゃないかと思う。
「あ……」
そして、ソルラクはリィンの言葉を思い出した。
いつも、何度も、彼女が自分に伝えてくれた言葉。
「ありがとう」
潤んだ瞳が大きく見開かれ、涙を一筋こぼし、それはゆっくりと笑みの形に変化する。
「……どう、いたしまして!」
泣きながら笑う彼女の顔は、今までで一番、美しく見えた。
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