第6話 どうすればいいのか、わかりませんでした/11
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一通りの買い物を終え、リィンとソルラクが宿についたときには、辺りはすっかり薄暗くなっていた。午前中に森を出て町に辿り着き、昼頃に騙されて男に連れて行かれ、助けてくれたソルラクに服や旅道具を買ってもらった。
濃厚な一日だった、とリィンは思う。もしかしたら今まで生きてきた中で、一番長く感じる日だったかもしれない。
「いらっしゃい。お二人かい? 一泊15ソルだよ」
愛想よく迎えてくれた宿屋の主人に、ソルラクは無言のままじゃらじゃらと銀貨を取り出す。
最初は、嫌われているのだと思っていた。子供が嫌いな人間というのはたまにいるものだ。しかしソルラクはリィンだけでなく、誰に対してもこの態度だった。人間全体が嫌いなのかもしれないが、それにしては異常に親切だ。今も、リィンの分までお金を払ってくれている。リィンは申し訳無さでいっぱいになっていた。
ただでさえ遠い国への道案内をお願いしているのに、その上お金まで使わせてしまっている。そんな事をしても、ソルラクには何の得もないというのに。
せめてルーナマルケに帰ることができたら彼に報酬を渡してあげたいが、可能だったとしてもそれはリィンではなく、リィンの親の財産から支払われる物だ。リィンが報酬を約束することは出来ない。
例の指輪を売ればお金を作れるかも知れないが、リィンにはどこでどうやって売ればいいのかもわからないし、適正な値段がいくらなのかもわからない。突き返してきたソルラクに頼んでも無駄だろう。それに正直に言えば、できればこの指輪を手放したくはなかった。
「じゃあこれが鍵だ。二階の奥の部屋だからね」
そう言って鍵を手渡す店主に、リィンはあっと思った。渡された鍵は一つきり。つまりはソルラクと同室だ。
考えてみれば当然のことだ。リィンのように小さい子供が一人で部屋を取るとは思わないだろう。親子か兄妹だと思われたに違いない。今日回った店ではどこでもそうだった。
それに、二つ部屋を取ればその分お金もかかる。ただでさえ迷惑をかけているのに、これ以上負担をかけるのは気が進まなかった。
だけど、とも思う。
──本当に、ソルラクを信用してもいいのだろうか。
多分、悪い人ではないと思う。というよりも、してくれていることだけを見れば考えられないほど親切だ。だからこそ余計に不思議であった。何故彼はそんなにリィンに良くしてくれるのだろうか。
流石に二度もひどい目に合わされそうになって、リィンにも警戒心というものが芽生えていた。ソルラクは何か酷いことをリィンにしようとしているのではないか。そう考えた方が自然な気がするのだ。
けれどその場合、酷いこととはなんだろうか。
最初に出会った男たちには、檻に入れられ、服を着替えさせられた。多分あれは、奴隷というものにされそうになったのだと思う。リィンの暮らしていた国では奴隷制は存在しなかったが、他の国では一般的なものらしい、と聞いたことがあった。
けれどソルラクはリィンを閉じ込めたりはしないし、服だって古着ではあるものの、立派なものを買ってくれた。
今日町で出会った男がリィンに何をしようとしたのかは、よくわからない。しかし何か、おぞましいことをされそうになったのだという直感があった。
ソルラクも同じことをしようとするのだろうか。
ちらりと彼の顔を覗き見ても、やはりその表情から何を考えているのかは、全く窺い知ることは出来ないのだった。
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どうしてこうなった。鍵を手にして二階の部屋へと向かいながら、ソルラクは内心で頭を抱えていた。
鍵。そう、宿の部屋の鍵だ。手渡されたのは一本きりで、それはつまり借りられた部屋が一部屋であることを示していた。
なんでだ、二部屋分払っただろ! とソルラクは思う。
それが二日分として処理されていることに気付いたときには後の祭りだ。店主の勘違いを正すようなコミュニケーション能力は、ソルラクにはない。
どうしたものか、と思い悩みつつ鍵をあけ、扉をひらいたソルラクにさらなる衝撃が襲った。
あてがわれた部屋には、ベッドが一つしかなかったのだ。
「あの、ソルラクさん」
固まるソルラクに、リィンが声をかけた。
「改めて、お礼を言わせて下さい。今日は……いえ、昨日も。助けてくださって、本当にありがとうございました」
礼儀正しく、遠慮深い。それは、間違いなく彼女の美徳だ。だが時として、長所というのは短所にもなりうることをソルラクは知っていた。
「もしわたしに出来ることがあるなら、何でも」
「黙れ」
案の定そんな事を言い出すリィンの言葉を、ソルラクは慌てて止めた。
「余計なことを言うな」
勿論、ソルラクにそんなつもりは一切ない。一切ないが、一つしかベッドのない部屋で男と二人きりの時に何でもするなどと口にするものではない事くらいは、彼にでも理解できていた。
言われた通り、リィンは青ざめた表情で口をつぐむ。素直なのもまた、彼女の美点の一つだとソルラクは考える。
しかしその時、くるる、とリィンの腹が可愛らしく鳴った。そう言えば今日は朝に兎の肉を食べたきりだった。その後は殆ど歩きづめだったのだから、さぞかし腹が減ったことだろう。
ソルラクは部屋の中に荷物を放り込むと、踵を返して一階へと向かった。こうした旅人向けの宿はたいてい、二階が客室で一階は飯屋兼酒場になっているものだ。この店もその例にもれず、金さえ払えば食べ物を出してもらえるようだった。
「おや。あんた一人かい? あの可愛いお嬢ちゃんはどうしたんだ?」
一階に辿り着いたところで店の主人にそう言われ、ソルラクはリィンがついてきていないことにようやく気づいた。いつもは背後の気配を探りながら彼女がついてこれる程度の速さで歩いていたが、流石に宿屋の中でまではそこまでの気を回していなかった。
呼びに行くか、と考えて、すぐにそれを否定する。無理だ。なんと言えばいいのかわからない。今までは何も言わずとも後を付いてきたというのに、なぜ今回に限ってついてきていないのか、ソルラクには理解できなかった。
「ん? 部屋にいるってことかい?」
じっと二階を見つめるソルラクを見て察したらしく、店主は尋ねる。
「うーん……本当は、食事は一階で取ってもらう決まりなんだがねえ」
店主は周囲を見回すと、シチューを深皿によそってこっそりとソルラクに手渡した。
「特別だよ。あのお嬢ちゃんに部屋で食べさせてやりな。皿だけ後で返してくれ」
こくりと頷き、ソルラクは代金を支払うと両手に皿を受け取って部屋へと戻る。これなら、特に会話せずともシチューを渡せばいいだけだ。
しかし、問題がまた一つ発生した。
両手にシチューを持っていては、扉を開けられないのだ。皿にたっぷりと入ったシチューは少しでも傾けようものなら、すぐにこぼれてしまいそうだ。そうするうちにもシチューはどんどん冷めていく。シチューなどというものは、温かいからこそ美味いのだ。
もはやこうなったら、とソルラクは決意する。
この状況を打破する方法は、一つしか思い浮かばなかった。
気は進まないが、仕方ない。
──扉を、蹴破るしかない。
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