第5話 少しでも期待したわたしの方がいけなかったんだと思います/13
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無言で歩くソルラクの後ろを、リィンはただ黙ってついていく。彼がどこに行こうとしているのか、今どこを移動しているのかもわからない。森を歩いていた時とまったく同じだ。
だが、違いはあった。歩いているのが木の根や石ころが転がるデコボコとした道ではなく、歩きやすく舗装された町中の道だという事だ。
にもかかわらず、ソルラクが歩く速度は森の中とあまり変わらなかった。枝を折り、草を刈りながら進んでいたときと同じ速度で、雑踏の中を歩いている。
他にも道行く人々がいるからはっきりと分かる。彼は、歩く速度をリィンに合わせてくれている。それでも小さなリィンの足では少し駆け足になったり、小走りになったりを繰り返さないとついていけない程度の早さではあるのだが。
(悪い人じゃない……のかな)
怖いし、殆ど喋らないし、何を考えているのかまったくわからない。けれど彼はリィンを無理やりどこかに連れて行こうだとか、持っているものを奪おうとはしなかった。それどころか、二度も危機から助けてくれたのだ。
考えを巡らせるうちに、ソルラクはどうやら目的地に辿り着いたようだった。人通りの多い大通り、道に面した店にずかずかと入っていく。
「いらっしゃいませー」
愛想のいい、ふくよかな中年女性がニコニコしながら出迎えたそこは、どうやら服を売っている店のようだった。
ソルラクは店に入るなり壁に背を預け、腕を組んで目を閉じる。
「あの……お客さん?」
女性が戸惑ったように声をかけると、ソルラクは目を閉じたままリィンの方へと顎をしゃくった。
「あらっ、まあまあまあ! 可愛いわね、お嬢ちゃん! この子の服を見繕えばいいんで?」
リィンの姿を見た途端、女性は歓声を上げてソルラクに尋ねる。彼は案の定返事をしなかったが、女性はそれを肯定と受け取ったらしい。
「じゃあこっちでお洋服を見繕いましょうか。こんなに可愛いのにそんなボロボロの服着てるなんて勿体ないわ」
今リィンが着ているのは、あの追手達……リィンを捕らえ、檻に閉じ込めた男たちに着せられたものだった。元々着ていた服は奪われ、どうなってしまったのかもわからない。指輪だけでも隠し通せたのは僥倖だった。
「これはどうかしら。あら素敵! お父様に見せてみたら?」
服を幾つかリィンに押し当て、女性は楽しそうにそんな事を言う。確かに可愛らしい服だとはリィンも思ったが、それについてソルラクが何かを言うとはとても思えなかった。
「きっと……あの人は何も仰らないと思います」
というか、もし急に服を褒めてきたりしたら逆に怖い。
「そんな事ないわよ。もしこの姿を見て何も思わないんだったらどうかしてるわ」
しかしそうまで言われると、少しだけリィンもその気になってきた。
「ほら、あの部屋で試着してご覧なさいよ。あのムッツリお父さんも絶対驚くわ」
そんな風に勧められ、リィンは言われるがままに服を着替える。
「ど……どうでしょうか」
スカートを広げるようにつまみ上げ尋ねてみると、ソルラクは目を開き、リィンをじっと眺める。そしてややあって、言った。
「旅装にしろ」
☀
目が潰れるかと思った。
服を着替えたリィンの姿を見た時の第一印象がそれであった。
古着屋の店員の見立ても素晴らしい。愛らしいリィンの印象を損なわず、更に引き立てるかのような完璧な選択。ふんわりとしたスカートに、裾の長いケープ。少し大きめなのか、袖から指先だけがちょこんと出ているのがなんとも可愛らしい。
ソルラクにはもちろん、服の良し悪しなどわからない。だから店員に全て任せて正解であった。店につくなり一切のコンタクトを断てば、任せている事をわかってもらえる。それは口の苦手なソルラクなりの処世術であった。
だが、弊害もあった。
その服はリィンにとても良く似合っていたものの、どう考えても旅には向いていなかったのである。生地は薄くて繊細で、藪の中でも歩けばすぐに破れてしまうだろう。
リィンは旅に必要な道具を何も持っていない。ソルラクが貸せるものなら貸せばいいが、服や食料となるとそうもいかない。旅に出る前に、買い揃える必要があった。その一つ目が服だ。
古着屋の店員は何やら不満げにしながらも、しかしソルラクの頼みに完璧に答えてくれた。丈夫でしっかりした素材の旅装を、上から下まで揃えてくれた。ケープだけは先程試着したものと同じだったが、触って確かめたところ丈夫そうだったから問題ないだろう。
同じような服を合計三着買って、今まで着ていたボロボロの貫頭衣は処分してもらった。
服さえ決まれば後は楽だ。ソルラクは雑貨屋に向かい、背負い袋に毛布、水用の革袋に保存食をいくらか購入した。本来なら火口箱とナイフも欲しいところだが、子供に持たせるのには危ないし、必要なら自分のものを使わせればいいだろう。
「あの……」
買ったものを背負い袋にまとめて突き出すと、リィンは戸惑うようにソルラクを見上げる。
「もしかしてそれは……わたしの分を買って下さったのでしょうか?」
今更何を言っているんだ、とソルラクは思う。ソルラク自身は自分の分の背嚢をずっと背負っていたし、リィンの服装をなんとかしてやりたいとも出会ったときから思っていた。
ボロ布のような衣服に、無いよりはかろうじてマシという程度のペラペラのサンダル。そんな物で森の中を歩いたものだから、彼女の手足は細かい擦り傷だらけだった。
「自分で背負え」
ソルラクはリィンに押し付けるようにして、背負い袋を持たせる。
「あのっ、わたし、お金……持ってなくて、その」
無論ソルラクがそれに返事をすることはなかったが、今回に限って彼女は意外にしつこく話しかけてくる。
「いつか必ず……お返し、しますから」
子供がそんな事を気にする必要などない。そう思うが、上手く伝える方法がわからない。
言葉を探しながら、ソルラクはリィンを見つめる。
「……いい」
そして思わず、その口から言葉が零れ落ちた。
子供用の背嚢などというものはないから、リィンが背負ったそれは彼女自身がすっぽりと入ってしまいそうなほどに大きく、明らかに不釣り合いだ。だがそのミスマッチこそが彼女の持つ愛らしさをかえって引き立たせていた。
そもそもソルラクは、人間の美醜というものにいまいち疎いし、今まで興味もなかった。だがリィンばかりは別格と言わざるを得ない。彼女はソルラクでもはっきりとわかるほどに美しく可愛らしかった。
先程殴り飛ばした男のように子供に発情するような趣味はなかったが、執着するのもわからないでもない魅力がリィンには存在している。
「でも、そういうわけには……!」
眉根を寄せるリィンに、何の話かと一瞬思う。
「ただでさえ、他にもソルラクさんには色々とご迷惑をかけてしまっているのに……」
目を伏せて申し訳無さそうに言う彼女に、一拍遅れてソルラクは気づいた。彼が漏らした言葉を、代金は不要だという意味に捉えているのだ。
ソルラクにとってそれは好都合以外の何物でもなかった。なんと伝えていいかわからなかったものが勝手に伝わっているのだから。
「ソルラクさんっ!」
後は前言を翻さないだけでいい。ソルラクは踵を返し、困ったようなリィンの声を背に受けながら歩き始めた。
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