第3話 ファンタジーとは何か?

 本稿と関係あると言えば、関係があり、関係が無いと言えば、関係ありません。ファンタジー異世界の創作法を説明する前に、自分のファンタジー論を紹介します。

 異論も有るかと思いますので、読み飛ばして戴いても構いません。


 本稿で想定する異世界はトールキンの『指輪物語』的なものです。拙稿『エーレンドレ』も、自分なりのトールキンの模倣というつもりで創作しました。


――異世界ファンタジーとは何か?

 と問われれば、自分は迷わず『指輪物語』的なものと答えます。それがファンタジーの典型と信じて疑いません。


 しかし・・・・・・

 ファンタジー創作の為に、現実世界の魔法、或いは歴史的な魔法というものを調べた結果、あることに気が付きました。

 実は、魔法って言うのは、前近代の産物でもなければ、迷信深いオカルト信者の妄想でもないのです。合理主義を自認する現代人ですら、無意識のうちに囚われている迷信や幻想なんです。自分のように頭の良くない人間だけの問題ではありません。高学歴で頭の良い人でも抜けきれないバイアスなんです。


 こういうことを言うと社会を敵に廻してしまいそうですが、哲学、思想、宗教、迷信、呪術というものが魔法の正体だと思います。これを幻想、妄想、理想、ファンタジーと言い換えても好いでしょう。

 自分の考え方では、哲学と迷信の違いは、緻密な小説と稚拙な小説の差みたいなもんだと思っています。どちらも小説には変わりません。

 小説、小説以外の詩や和歌、俳句、その他評論など、傑作だろうが駄作だろうが作者のバイアスから逃れられません。ノンフィクションだって、作者のバイアスから完全に逃れるのは至難でしょう。そういうバイアスから逃れてるのは自然科学の論文くらいじゃないでしょうか?

 他にもあるかもしれませんが・・・・・・。

 斯くいう本駄文も作者のバイアスを経て書かれたもんです。


 要するに人が文章書く以上、その殆どがファンタジーってことです。SFはサイエンス・フィクションの略称ですが、フィクションである以上ファンタジーなんです。

 剣も魔法もドラゴンも登場しなくても、殆どの文学がファンタジーなのであります。


 ということでファンタジー小説とは物凄く広い概念なのです。


 例えば、新潮社日本ファンタジーノベル大賞という権威ある新人賞があります。受賞作の概要見る限り、『指輪物語』的なファンタジーって殆どない様に見えます。新潮社の賞は、ファンタジーを広い意味でとらえているのです。

 自分が魔法とファンタジーの関係に気が付いた時、非常に納得したのでした。


 自分の考えを他人に押し付けて論破、説得するつもりなど毛頭ありません。それぞれの人がそれぞれのファンタジー観を持てば宜しいかと思います。


 尚、自分が上の様な見解を抱くきっかけを作ったのは、フレイザーの名著『金枝篇』であります。『金枝篇』に対して、自分とは異なる見解をもってる人も少なくないようです。だから、『金枝篇』読んだからと言って、自分と同じ考え方をするとは限りません。

 『金枝篇』既読でも、「犬単于は何言ってるか意味解らない」という方も当然いるでしょう。世の中そんなもんでしょう。

 自分の愚見に、賛成の方にも、反対の方にも、魔法や呪術に関心が有れば、『金枝篇』はお薦めの一書であります。


 第何話になるか未定ですが、魔法とファンタジーの件は後述することになるでしょう。

 

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