第32話 【真血覚醒】
自分の身体のすぐ後ろで、シルファは圧縮した空気の塊を指向性を持たせて爆発させる。
爆発によって生じた風圧に乗り、予備動作の無い予測困難な移動を連鎖して行う。
この移動方法はもともと風を詠むことができるロバートの技術だったが、今ではもう瞳に捉えられない速度を出せるシルファの方が使いこなしてると言える。
しかし、それも当たり前のことだったのかもしれない。
どうしても自然に起きた風に対してのみしかアプローチを仕掛けられないロバートとは違い、シルファは自分の好きなところに好きな風向で風を作ることができる。
その風は強さのコントロールも自由自在で、さらには空中に風の塊を作って足場にすることにより、上昇気流、下降気流を使って三次元の移動をも可能としていた。
四方八方、上下左右から迫るシルファの猛攻をロバートは咄嗟に身を投げ出すことで避け、地面を転がって追撃を凌ぎ、たまに手足を抉られながら必死に回避を続ける。
いつの間にか紳士然としていた表情は余裕のない焦りと必死さに崩れ、地面に這いつくばるその姿には相対した時の優雅さは微塵も感じない。
それもそのはずで、今、ロバートは、シルファが風を操りロバートの周囲一帯を無風状態にすることで得意の風を使った回避を封印されている状態だ。
シルファにとって相性が悪いと思われた戦いは、むしろその逆も逆で圧倒的な優位に立てていた。
なんとかロバートがギリギリ戦えているのは、これまでオールドデウスで培ってきた戦闘経験と、”風を詠む”という能力の真骨頂である”風を見る”ことでシルファの攻撃方向を推測したり、ピストルを使ってシルファが空中で足場にしている風の塊を拡散させることができるからだ。
それでも、捉えきれないシルファの動きに翻弄され徐々に追い込まれていく。
シルファの持つ槍が、絶対に武器を合わせてはならないというのも直感で分かるため、それもロバートのピンチに拍車をかけている原因だ。
今もまた、シルファの槍の突撃を服の裾をかすめさせて、もう何度目かもわからない紙一重の動きで回避する。
「本当にしつこい方ですね! いい加減諦めてはいかがです?」
目の前の敵を倒し、今すぐにでもリオンの下へ向かって戦場を共にしたいシルファは、彼女に似合わない少々苛立った声を出した。
「はっ‥‥‥はっ‥‥‥そういうわけには、いきません、ね」
対するロバートは荒い呼吸を繰り返しながら、シルファの初動の予兆である風魔法を見逃さまいと必死に目を凝らす。
ロバートは既に、自らの力でシルファを倒すことは諦めていた。
残念だが、目覚めたシルファとの相性は最悪の中の最悪であり、自分の攻撃は届かないことは、これまでの攻防で思い知ってる。
けど、だからこそ、ただただ回避に専念して時間を稼ぐ。
そうすれば、どこかで戦闘を終えた仲間の誰かが直ぐに向かって来るはずだ。
幸い、シルファはまだ”風に乗る”という移動方法に不慣れなようで、直線でしか飛んでこない。
それでも目に捉えられないスピードは脅威だが、戦闘経験の差でギリギリ避けることができている。
(なのでこのままひたすら避けまくります。遊撃に来るとしたらダヴィドさんでしょう。彼ならば、シルファさんに勝てる。だからそれまで時間を——)
改めて情報分析と作戦方針を定めていると。
ふと、シルファが妙な動きをした。
最初は再び突っ込んでくると思い警戒したが、どうやらそうではないようで。
「仕方ありません‥‥‥えぇ、仕方がないんです。とっても残虐ですけど」
俯き、ぶつぶつと呟きながら、シルファは静かに槍を掲げる。
すると、穂先で渦巻いていた鮮血の嵐が徐々に収まり、荒ぶっていた細かな血液が先端で凝縮していく。
やがて現れた赤黒い一滴の血の玉を見て、ロバートは得体の知れない何かに先ほど以上の恐怖を感じた。
「‥‥‥なにをしているのですか?」
警戒心をさらに高めたその声に、シルファはゆっくりと俯けていた顔を上げる。
「これからとてもとても綺麗な嵐が起きます。あなたは見れませんが、周りにいる人たちが巻き込まれてどこまで大きくなるのか見ものですね? あはっ」
その表情はこれから起こる惨劇を思い起こして愉悦に恍惚し、瞳に狂気を宿しているようにも見えた。
「それは、どういう‥‥‥——まさかっ!?」
目の前の戦闘に神経をとがらせていたからだろう。
ロバートはいつの間にか、自分の仲間たちがシルファを囲むようにして攻める機を伺っていることに、今更ながら気が付いた。
自分たちの戦闘が終わって、ロバートの援護をしに来たのだと思うが、それがシルファに何かをする決定打になってしまったようだ。
そしてその何かは、”風を見る”ロバートには容易に想像できた。
シルファの持つ槍の先端、その先に現れた赤黒い小さな塊。
そこには、まるで大型の台風を大量に詰め込んだような、想像できない強さの風が秘められているから。
時経て、シルファは紡ぐ。
「【
瞬間、血玉が弾け、血潮の渦を巻き、鮮血の嵐がすべてを飲み込む。
「やめっ——」
まずは一番近くにいたロバートが声も上げれずに一瞬で切り刻まれる。
次に周りに集まりつつあったロバートの部下たちをミンチにした。
いたるところで血しぶきが上がり、悲鳴が上がり、痛みが広がる。
被害者の血液をも飲み込んで、巨大化していく紅い狂飆はもう誰も止められない。
そんな本物の地獄のような景色に変わった中心で。
髪を荒れる血風で紅く染めたシルファは、まるで祝福を浴びるように両手を広げて、舞い散る血汐にさらされながら嗤う。
「あはっ‥‥‥あははははっ! 気持ちいわぁ!」
クルクルクルクルと周りながら、狂ったように嗤う‥‥‥。
そうしてひとしきり嗤った後、ふと我に返った。
「あっ! そうでした、こうしてはおれませんね。今すぐにリオン様のところに向かいませんと」
呟くと、シルファはまるで何事もなかったかのように飛翔して、巨大戦艦にいるリオンの下へ飛び立った。
≪
しかし、それでも収まらない嵐を見て、途中ですれ違ったエルドラドには思わずため息をつかれ、巻き込まれそうになっていたウェルテクスに文句を言われるのはその後の話。
血の嵐はエルドラドのブレスで吹き飛ばしました。
■■
シルファとロバートの決着がついた時、もう一つの戦場もまた、終わりを迎えようとしていた。
蒼白の焔と細剣が次ごう何度目かの衝突をする。
相対したのはほんの一瞬で、フロガとダヴィドの二人は直ぐに距離をとり合った。
そうして次の瞬間、再び両者の姿が見えなくなったと思えば、戦場のど真ん中でぶつかり合う。
交錯する視線の先、フロガは獰猛な笑みを見せ、ダヴィドは驚愕を隠せない。
再度、二人の距離が一気に離れる。
(アイツ、俺の動きについてきやがる‥‥‥いや、徐々に速さが増してる、か? さっきまで目で追うのがやっとだったくせにな)
ダヴィドの速さは、たとえ腕を一本失ったとしても変わることは無い。
重心がずれるために、多少下半身の力の入れ方に工夫が必要だが、遅くになどならないのだ。
だからダヴィドとの戦闘を真正面から行えているのは、フロガがダヴィドの速さに追いついたということを意味する。
それだけなら、関心はすれどもダヴィドが驚くことは無い。
しかし、一合一合、拳と刃を重ね合わせる度に、少しずつフロガの速度が上がっていくことには、ダヴィドでも流石に怪訝に思わざる得なかった。
(それだけならいいが‥‥‥いや、いずれ俺がついていけなくなる。何とかしなければ‥‥‥それより、この部屋の気温が上がっている気がするのは気のせいか?)
普段、戦闘では敵の心臓を一刺しで終わらせるダヴィドにとって、そこそこ長引いたフロガの最初の戦闘では疲れは感じたものの、汗をかくほどではなかった。
それが今は、額から流れてくる水滴があご先に溜まるほど汗だくになっている。
いくら動き回る量が多くなったとはいえ、これはおかしい。
(原因があるとすれば、あの蒼白い炎だな。鬱陶しい)
そう思いながら、もう一度フロガと激突し。
「——なっ!?」
ダヴィドは一瞬、拮抗していた細剣が力負けしそうになったことに、さらに驚きの声をあげた。
身体に染みついた習慣で、受け流すことができたものの、速さで押され始めている中、これは看過できない。
ダヴィドが足を止めたことにより、戦闘は一時中断。
フロガもその場に足を止めた。
「あぁん? どうしたよ?」
「‥‥‥お前、力が上がったか?」
「その通りだぜ! オレ様は今、絶賛絶好調だ!」
「この空間の温度が上がってるのは?」
「お、よく気が付いたな!」
「何をした?」
「別に何もしてねぇよ、激しく体を動かしてるだけだ。それより、次行くぞ! 燃え盛るのはこれからだ!」
「ちっ!」
会話は終わりだ、とばかりにフロガの姿が再び掻き消える。
それに追うようにダヴィドの身体も目に見えない速さで駆けだす。
しかし、見える人間がいれば、二人の速度はだんだんと開いていくのが分かっただろう。
フロガとダヴィド、二人の攻撃が鍔迫り合い、次の攻撃でダヴィドの体制が崩れ、その次の激突でダヴィドが一回の攻撃を繰り出すのに対し、フロガは二度の攻撃を行う。
ダヴィドは防御のモーションが増え、速度が落ち‥‥‥否、ダヴィドの速さは防御をしても変わらない。
変化していくのは、攻撃を繰りだす度に速度を増すフロガで。
やがて、ダヴィドの攻撃回数はフロガが三回攻撃するのに一度になり、それがあるかないかの一度になり、いつの間にかフロガの攻撃を追うので精一杯になっていく。
「おらおらおら! おっせぇぞ!」
ダヴィドは常に動きまわりつつも、左から迫る拳を咄嗟に身をよじりながら浅い傷をつけられつつ避ける。
頭上から落ちてくる踵落としを低い姿勢から後ろに下がろうとするも、避けきれずに足を砕かれる。
再び左から振りぬかれたタイキックを、少し下がって膝にわざとひびを入れられつつ、痛みをこらえて前のめりに細剣を突き出すも、フロガはそれを纏った焔で受け流して、その場から超加速で離脱する。
それは立場が完全に逆転した戦いだった。
圧倒的なスピードで翻弄していたダヴィドは、いつの間にか翻弄される側に。
狩られる獲物のようだったフロガが、獲物を狩るハンターのように追い詰める。
【
それがフロガが戦いの中で速さが増し、力が増していく原因。
フロガの【
ついでに自分の周囲の温度も上げることができて、それは敵の体力を奪うだけでなく、フロガ自身がどんどん強化される要因にもなり、さらに限界を超えると血液を発火させ、敵を内側から焼くこともできるという、おまけにしては破格の効果ももつ。
そうしてとにかく動き回るフロガは、どんどんどんどん速さが増して、そしてついにダヴィドでも目でとらえられなくなり‥‥‥。
フロガは、ダヴィドの真正面から拳を振りかざす。
「それじゃ、あばよ! ”
ダヴィドが最後に見た光景は、正面から迫る何の捻りもない蒼白い炎の奔流だった。
それは塵をも残さずダヴィドを焼き尽くし、痛みを感じる暇もなく体を蒸発させる。
全てが収まった後、そこには何も残っていなかった。
見届けてフロガはリオンの下へ足を向ける。
「おし! 行くぜ!」
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