零-一、豊穣の神(調査員:阿彦佑星、切間蓮二郎※欠席)
七夕にご要望があって書いたSSを編集して格納します。SSという長さではない。
時代は第二部直前ですが、第三部までのネタバレを含みます。
以前もFA動画をいただいた夏井トヲル様から豊穣の神単体の支援動画をいただきました。予想だにしなかった人気で驚いています。ありがとうございます!
https://m.youtube.com/watch?v=zq3w8ev6wpw
***
「まるで七夕伝説のようですね」
俺の話を聞き終えた
俺は肩を竦める。
「そんないいもんじゃないって前置きしただろ」
「そうですか? 貴方の名前も
「昔あの子にもそう言われたな」
俺が苦笑すると、冷泉は目を細めた。
「ほら、やっぱり織姫と彦星ですよ。それに、例の男を隔てて此岸と彼岸が分たれたんですから」
俺は言葉を失う。冷泉が銀の匙をグラスに突っ込むと、縁からバニラアイスと混じって白濁したメロンソーダが零れた。
「阿彦さんが私に思い出話をしてくれたのは、こう思ってるからですか。例の男が領怪神犯絡みだと」
俺は顎を引いて肯定を示した。
ジュークボックスから流れる曲が鳶茶色の店内を満たす東京下町の喫茶店を見渡しながら、我ながら何故今自分がこうなったのかと疑問に思う。
あの子が消え、親戚中から忘れられても、七夕の前夜にあったことが脳のどこかに引っかかっていた。
忘れようとするたび、記憶の中の彼岸花が縁どる川と、手の甲に残った半月型の傷が邪魔をする。
あの白髪の男は何者だったのか。
「阿彦さんは彼が人間ではないと考えてるんですね」
「自分でも突拍子もない話だと思ってるよ。最初は心療内科にも行った」
「医者は何と?」
「従姉妹を救えなかった罪悪感が生み出した幻だとさ」
「でも、納得できなかったんですね」
東京の大学に進学し、民俗学を専攻したのは、七夕伝説を研究したかったからだ。子どもでも知っている御伽噺を紐解けば、疑念の鍵が見つかるかもしれないと思った。
当然答えが出るはずもなく、凡庸な卒業論文を書いて、学芸員の資格を取り、大学が運営する資料館に就職した。
よくある文学青年崩れの人生が変わったのは、資料館で行われた展示の際、俺が作品につけたたった五行の注釈だった。
学部生時代に世話になった民俗学部の
俺は無実の罪で連行される容疑者のような気持ちで
三原の研究室に通され、領怪神犯の名を知った。
その日を境に、神や怪異は迷信ではなく、現実になった。
冷泉は口元を濡れたおしぼりで拭う。
「お話を聞いていくつか気になったことがあります。オカルト雑誌記者のこじつけを元学芸員に聞かせるのは釈迦に説法だと思いますが」
「いや、助かるよ」
「まず、阿彦さんが白髪の男性と会った場所は墓地の裏の山奥と河原。どちらも伝承や怪談でひとならざる者が現れる彼岸と此岸の境ですね」
俺は首肯を返す。
「そして、二度目に彼と会ったとき、河原に彼岸花が咲いていたと言いましたが、通常なら開花は九月です。秋の開花までは休眠するので、異常気象でもない限りそれはおかしいんですよ」
「元の起源の中国から輸入された二倍体なら開花が早いはずだ。少しは調べたさ」
「残念ながら、日本で原生するのは種で増えることがない三倍体のみです。彼岸花の有毒性を使って、地中の害獣を退けたい人間によって植えられ、分布を広げてきたんですよ」
「オカルトだけじゃなく植物も詳しいんだな」
「記事の文字数を稼ぐための雑学です。本題は、白髪の男性がいた場所に季節外れの花が咲いていたこと。つまり……」
「伝承における死者の国の特徴だな。四季が異なる花が吐き乱れるとか」
「その通り」
クリームソーダを飲み終えた冷泉は煙草に火をつける。重く甘い香りの煙が白いテーブルクロスを這う。俺もアイスコーヒーを啜り、煙草を手に取る。右手の甲の半月型の傷がちらついた。
「最も気になるのは、白髪の男性が牡丹の花が咲く場所にいると言ったことです」
「俺もそれは引っかかってたんだ」
「牡丹の名所は各地にありますし、文化的にも多く愛用されたモチーフですから絞るのは難しいですが、彼岸花と同じく中国から伝来した花ですね」
「皇帝が愛し、花の王とも呼ばれたらしいな」
「中国の山にはひとを攫い、人肉を好む怪異の話も多く存在しますね」
「関連付けるのは話の飛躍じゃないか」
「そうでもありませんよ」
冷泉は煙草片手に身を乗り出す。
「ご存知ですか。
俺は息を呑んだ。
俺が対策本部に招集されるきっかけとなった一枚の絵を、大学の資料館で見つけたのは本当に偶然だった。
全国津々浦々の祭事に纏わる絵の展示で、あの男に似た絵を見つけた。
土色に変色した和紙に描かれていたのは、墨の陰影を連ねた山脈と、赤茶けた牡丹の花。そして、白布で顔の下半分を隠した、白髪の男だった。
豊穣護国祭、それが絵の題だった。
南北朝時代に描かれた、作者も不明の作品だ。何の関連性もないはずなのに、何故かあの河原の記憶が結びつき、脳内に火花が走った。
俺は早鐘を打つ心臓を鎮めながら煙草を唇に押し当てる。
「豊穣の神……」
「領怪神犯にしてはありふれた名前ですよね。それ故に発見が遅れたとか」
「調査の結果は?」
「何の成果もなしです。ただ、調査員は帰り道、交通事故に遭い、ひとりは即死。もうひとりは怪我の後遺症を理由に退職しています。退職した方もその後の行方は不明だとか」
俺は絶句した。
「話聞いたことなかったな。追加調査が言い渡されてもおかしくないのに」
「それは私たちが不穏分子だからじゃないですか」
冷泉は声をあげて笑った。
まったくその通りだ。未知の領域と関わることは、自分では太刀打ちできないことに人生を放り投げるのと同義だと痛感した。
俺は最初、それなりに熱心な調査員だと思われていた。だが、いつの間にか長所は短所に変わっていた。知りすぎたんだ。
俺や冷泉は今や上層部から警戒される不穏分子となっていた。今だって対策本部室を使わず、隠れるように喫茶店で話し合いをする羽目になっているのがいい証左だ。
上層部は知りすぎた調査員を秘密裏に処理していると噂がある。死や事故の危険がある調査に行かせれば、外部に記録が残る恐れがある。だから、声がかからなかったのだろう。
俺はテーブルクロスの網目を見つめながら呟いた。
「俺が再調査に行きたいと言ったら許可は降りるかな」
「不可能ではないと思いますが難しいでしょうね。阿彦さんは健康面の問題もあります。最近眠れていないんでしょう?」
俺はグラスに反射する自分の顔を眺めた。目の下には濃いクマがあり、顔も青白い。昔、あの子に夏の大三角みたいだと揶揄われた、頰にある三つの黒子も、今はやつれたせいで歪な三角形になっている。
「阿彦さん、何故そこまで執着するんですか。失礼ですが、消えた従姉妹の女性とは特別な関係じゃなかったんでしょう?」
「自分でもわかってるよ。でも、あの子のためじゃない。俺の疑問だ」
「白髪の男性が領怪神犯だという確証は? 完全に人間に擬態し、発話を行う神は未だに観測されたことがありません」
「あの男はただ媒体で、本体は別にいるかもしれない。それに、確証と言うほどじゃないが……」
俺は法事の後、宴会が開かれた畳の間を思い出す。
「男に会った翌日、親戚の男の子が俺を見て嫌な顔をしたんだ。血みたいな、変な匂いがするって。あの子が消えてみんなで探してる最中も、ずっとその匂いがすると言って、しまいには吐いた」
「所謂"見えるひと"だったんですかね」
「そうかもしれないな」
小さな男の子は仏間の紫の座布団に乗って、兄の腕に縋りつきながら、俺の手を見て「怖い」と言った。男が残した傷は血が出るような深さじゃなかった。だが、血の匂いがするのだと言った。
少年は何かを感じ取ったのかもしれない。
「あの男が領怪神犯なら調査員として放置する訳にもいかない。それに、この傷に呼ばれてるのかもしれない」
冷泉は眉間に皺を寄せる。
「神に惹かれやすいひとというのはいますからね。気をつけてください。思うに、阿彦さんが執着しているのはあの子ではなく……」
冷泉は言葉を区切って目を伏せる。甘い煙草の煙が上へと昇り、俺は苦笑した。
「その煙草いつもどこで買ってるんだ?」
「欲しいなら一本あげましょうか」
「いや、気になっただけさ」
俺は吸殻をガラスの灰皿に押し付ける。
手の甲の赤い傷が笑う口元に見えた。
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