間章

間章

 領怪神犯特別調査課は公的には存在しない機関だ。


 会議や報告のための場所すらなく、調査員たちは書類上任意の部署に所属していることになっているか、公務員としての肩書きすら秘匿されている者もいる。

 どこからともなく集う、得体の知れない彼らを、一般の職員は「幽霊」と呼ぶこともあった。


 幽霊たちは今、唯一存在を許された特別機密用の書庫に集っていた。



 書庫に満ちる沈黙を破ったのは、中央に立つ切間きるまだった。

「先日の調査でも、知られずの神に対する有力な情報は得られなかった」

 片岸かたぎし宮木みやきは無言で目を伏せる。対照的に、六原が切間に一瞥を返した。


「睨むな、六原ろくはら。ふたりを責めている訳じゃない。誰を送っても同じ結果だったからな」

「睨んだことはありません」

 切間は僅かに肩を竦めて続けた。

「特別調査課の指針は『記録』。それが唯一にして全てだ。他の領怪神犯に対しては、被害を軽減するための対策を取れるかはともかく、記録だけは確実に行ってきた。しかし、知られずの神に対してはそれすらできていない」


 切間は膨大な記録が並ぶ書庫に視線をやり、静かに言った。

「この現状を打開し、失踪者の捜索に踏み切るため、今までとは調査の体制を変える。今までは現地に赴かなかった我々も協力して大々的な調査を行う。梅村うめむら江里えさと、創設期から所属するお前たちには率先して実地調査に出てもらう」

 梅村は声に出して同意し、江里は僅かに首肯を返した。

「六原、お前もだ」

「承知しました」

 六原は感情の読み取れない顔で頷いた。


「これは特別調査課の威信をかけた戦いになる。心して当たれ」

 書庫に切間の声が反響した。



 書庫を出て喫煙所まで来た片岸は、全身にまとわりつく重い空気を払うように大きく息をついた。傍の宮木が笑う。

「ひどい顔ですね、片岸さん」

「ひどい面にもなるだろ」

「でも、奥さんを探すためにはいい風向きじゃないですか?」

「それはそうだが……あの六原さんと仕事する羽目になるんだぞ。いっそ領怪神犯がチームに組み込まれた方がまだマシだ……」


 煙草に火をつけた片岸の背に、どこか機械じみた無機質な女の声が降りかかった。

「悪いことは言わない方がいいですよ。本当になるから」


 片岸と宮木は同時に振り返る。真後ろに見たことのない女が立っていた。

 スーツを纏い、長髪をひとつに纏めた彼女は、肌の色も髪の色も薄く、どこか輪郭が朧げな印象を与えた。


「失礼、自己紹介がまだでした。この度特別調査課に配属されました、穐津あきつと申します。ご指導ご鞭撻のほどよろしくお願いします」

 穐津と名乗った女が慇懃に一礼する。片岸は苦笑した。

「こんな時期に配属されるなんて運がないな」

「ここに配属された時点で運には期待しないものでしょう」

「とんでもない新人だ。悪運には頼っとけ。それが命綱だからな」


 穐津は口角を上げて義務的な笑みを作ると、宮木に向き直った。

「宮木さんもどうぞよろしく」

「あ、こちらこそ……私のことを知ってるんですか?」

「勿論。だって、私は宮木さんと同じところから配属されましたから」

「そうでしたか。ええと……」


 穐津は困惑する宮木に手を差し伸べる。握手に応じると、穐津は宮木の手首を掴んで引き寄せた。

「私は貴女のお仲間だよ。本当の意味で」


 宮木が息を呑む。穐津はまた口角を上げると、そっと手を離した。

「それではまた、現場で」

 冷たく響く声を残し、彼女は踵を返して去っていった。


 呆然とする宮木と気遣わしげに彼女を見る片岸だけが残される。

 背後の窓ガラスには、何年も変わらない東京の街が広がっていた。

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