三、ひとつずつ降りてくる神

 俺と宮木は村の公民館で綿が薄く畳の感触が直に伝わる座布団に座らされ、苦笑を浮かべる住民と向き合っていた。


「端的に言いますと、」

 宮木が俺を不安そうに見上げる。こういう話し合いの場において適切な物言いというのが不得手なのはわかっているが、気にしていられない。

「あの目玉や耳は降ってきて終わりじゃありません。あれはこの土地の山か地中に還ろうとしているんだと思います」

 ここの村長という老人とその秘書の中年の女が顔を見合わせた。


「その場合はどうなるんでしょうか……」

 秘書の方が先に口を開いた。

「憶測ですが、あの大きさで動き回られた場合、納屋やガソリンスタンド程度の被害では済まないかと」

「今すぐという訳ではありませんよ。ただこれ以上御神体の一部一部が増えて、合体して動き出せるくらいになったときにはということで……」

 宮木が取りなすように両手を振る。


 子どもの学習塾代わりに開放されているのか、壁一面に「私たちのための納税」や「明るい未来」など白々しい言葉を拙い筆遣いで記した半紙が貼られていた。


「我々はどう対処するべきとお考えですか」

「納税」の字を両肩に背負う形になった村長が難しい表情で顎をさする。

「まず、今ある御神体を全部土に還した方がいい。それから道端で壊れていた石像、あれ全部をちゃんと作り直して元あったところに置き直してください。たぶん、あれがバラバラになったせいで守り神の身体もバラバラになったんだ。今ある道を潰してならすことはできなくても、その場しのぎくらいにはなるはずです。人間にできることは誠意を示すことくらいしかできませんから」



 沈黙の後、気遣うような笑みで秘書がおずおずと答えた。

「石像に関してはもう大丈夫かと……」

「何?」

 思わず声が低くなった俺を宮木が小突く。

「ああ、あれですね。我々もまずいと思ったんですよ。村に腕が降ってきた次の年、次は目玉が降ってきましたでしょう。これはやっぱり神様を怒らせてしまったんではないかななんて言ってね」

 村長が言葉を受け継いだ。

「ですから、壊れた石像は神社で供養して、元あったところには新しいものを作り直して全部置いてあるんですよ。古いもので土に埋まっててどうしても抜けなかったものなんかはそのままですけどね」

 俺と宮木が顔を見合わせる番だった。



 公民館の滲み出すような明かりを背に俺たちは外に出る。枯葉と山道の下の村から漂う生活の匂いを絡ませた風はひどく冷たい。

「ああ、ほら、あそこです」

 薄いスーツの両腕を寒そうに擦りながら隅の一角を指差した。


 公民館の裏手に木の看板だけが立つ駐車場の奥、椿の木に埋もれるように石像が立っていた。

 俺は屈んで橙色の光を浴びる表面を指でなぞった。凹凸の感触があった部分を注視すると、「九十九年十一月三日」の文字がある。


「これだと駄目なんでしょうかねえ……」

 詰るような宮木の視線と不安げな村長と秘書の視線を背中に感じる。俺は立ち上がって膝の埃を払った。

「一旦、この案件は持ち帰らせていただきます」

 俺は苦し紛れにそう答える。役人らしい答えができたと思った。



「どうするんですか、片岸さん」

 村長の見送りを断って街灯ひとつない坂道を下る俺の背中に宮木が呟く。

「どうするったって、じゃあもう埋めるしかねえんじゃねえのか……」

 ペンライトで照らす道のりは感覚が狂いそうなほど代わり映えのしない土を削った道路に小石が点々と落ちているだけで、月面でも見ているような気分になる。


「やっぱり道を分断したのがよくなかったんでしょうか。片岸さんの言ったように今更道路を潰してならすなんて無理ですよ」

「そうだな」

「新しい石像を建ててもらってもまだ不満なんですかね、神様は」

「どうだろうな」

 虚ろな返事だけを返し、俺は坂道を下る。何かを見落としているような気がした。


 宮木が蹴った小石が跳ねて俺を追い越し、道端の石像に当たった。

「罰当たり」

 宮木がくすりと笑った。

「今どのくらい御神体が集まってるんでしたっけ。目玉は両方で、腕が……」


 突然、脳裏に納屋を壊された老婆の声が蘇った。

 右目か左目かはわかりませんが。

 俺は廃校舎でドアを突き破らんばかりに押し寄せてきたふたつの眼球を思い出す。

 片方の目玉は瞳孔がひと回りもふた回りも大きかった。ひとつの身体でそんなに大きさが違うことがあるだろうか。


 俺は足を止めて振り返る。

「宮木、腕はまだ片方しか降ってきてないんだっけっか」

「ええと、ちょっと待ってくださいね」

 宮木は暗がりの中で鞄を漁り始めた。俺は近寄って鞄の中をライトで照らす。探り当てたファイルを一頁ずつめくって、宮木があっと呟く。

「もう両方揃ってますね」

「見せてくれ」

 俺は宮木からファイルをひったくって該当する頁を探す。ひとつは学校のプールに落ちてきた腕。もうひとつは十字路を横断するように投げ出された腕だ。

 ライトを咥えて両手で写真を持ち上げてみたが、写真には二の腕から肘にかけての湾曲と手首までしか写っていない。指先は折れた信号機に隠されている。


「くそっ……」

 俺はライトを口から外して吐き捨てた。

「宮木、もう一度廃校舎に行くぞ」

「冗談でしょう」

 心底嫌そうな顔の宮木の肩を叩き、俺は坂道を駆け出した。



 南京錠を開けるための数字は昼間に盗み見て覚えてある。

 悲鳴のような音を立てて鉄の扉が開き、中へ滑り込んだ俺に宮木が情けない声を出した。

「やめましょうよ、公務員が不法侵入なんてまずいですって」

「安心しろ、公務員じゃなくても不法侵入はまずい」

「余計に駄目じゃないですか」


 俺はライトを片手に白線がかすかに残る校庭を進んだ。視線を上げると明かりのない校舎が闇に溶け出すようにそびえている。バラバラになった神の棺桶か共同墓地になった廃校舎を照らしながら、俺は足を早めた。

「腕がしまってあんのはどこだ……?」

 俺の独り言に後をついてくる宮木が返す。

「知りませんよ。というか、二十五メートルあるんでしょう。壁をぶち抜かなきゃ教室に収まりきらないんじゃないですか」


 どっと夜風が吹いて、校庭の向こうの歪な壁が揺れた。俺はライトをその方向に向ける。

 壁に見えた横長の覆いが風にはためいて中から押されているような凹凸を作った。ブルーシートだ。

 シートの端にある雨垂れで汚れた小さな小屋に男子更衣室の文字が見て取れた。

「プールだ、行くぞ」



 空気は金属のような隙のない冷たさが増していた。

 傾きかけたフェンスの一部を押すと抵抗もなく消毒槽へと続く道が拓ける。

「片岸さん、説明してくださいよ」

「したら逃げるだろ」

 俺は「そこから動かなくていいから持っててくれ」と宮木にペンライトを押し付けた。


 水垢で白くなったシャワーが茫洋と照らされる。打ち捨てられたビート板が黴で黒くなっていた。

 視界の隅に生き物のように暴れるブルーシートの端が入る。

 俺はプールサイドまで急いだ。


 二十五メートルのプールの端から端まで覆うようにかけられたシートは凹凸に雨水が溜まり、浮かんだ蜘蛛の死骸と枯葉の間で、月が光の檻のように揺れていた。

 プールの中央がふたつのこぶを作って隆起している。行儀よく揃えられた肘を想像させた。


 俺は宮木に足元を照らさせ、飛び込み台が並ぶ方へ走った。

 台の根元ひとつひとつ、ブルーシートを括った黄色と黒の紐を解く。手がかじかんでいる上に長年の雨と風で硬くなった紐は容易に解けない。無理矢理紐を引いた反動で跳ね上がった自分の手がシートの下の固い感触にぶつかった。

 薄い楕円の鉄板のような感触だ。爪だと思った。


 俺は残りの紐を引きちぎるように解き、ブルーシートの端を握る。闇が質量を持って押し寄せたような強い風が、俺が捲るより早くシートを巻き上げた。


 薄明かりの中で干からびたプールの底が見える。反射的に中央のものから目を逸らそうとしたが、飛び込み台の真下に円柱のような指が十本並んでいるのが目に入ってしまった。



「宮木、見えるか」

 答えはない。代わりに動揺を代弁するようにペンライトの光が上下した。

「両方、右腕だ」

 プールに横たわる巨大な腕二本は両方とも親指を上にして同じく消毒槽の方に手のひらを向けている。

「ここの守り神は三本腕でしたなんてことないですよね……」

 宮木の声が震えていた。


「俺たちが校舎の中で見た目玉、デカさが違ったんだ。それに、資料で見た守り神の絵に髪なんかなかった……」

 黄ばんだ半紙に描かれていた巨人は、頭から足まで一筆書きしたような丸坊主だった。



「じゃあ、あそこにあった髪は誰のものなんですか。というか、毎年この村に降ってきてるのって……」

「わかんねえよ……」

 古い守り神を蔑ろにして山や土地を開き、怒りを買ったと思った村人が新しく神を祀るための石像を随所に立てた。信仰を示す石碑が別のものに置き換わったこの村を見守るのは、本当に元いた神だろうか。


「別モンになっちまった守り神か……もしくは、元の土地神のふりした、全く新しい別の何かか……」

 プールの中の腕の手前の一本がひとりでに微かに動いた。

 風に揺られたのかと思った矢先、腕は青紫色の静脈が浮いた手首をこちらに向け、ゆっくりと反転し始める。

 後退る宮木の靴が地面を噛む音が聞こえる。


 ずっ、ずっ、と這いずる音を立てて、回転した腕は手のひらをこちらに向け、ゆっくりと人差し指以外の指を中に折りたたむ。残った人差し指が天を指すようにぴんと立った。

 黙っていろ、のジェスチャーのように。



 朝日が昇りきった村は水田も木立も燦然と輝き、不穏なものなど何ひとつないように見えた。


 プールのブルーシートを元通りにして腕を覆い隠し、逃げるように校舎を出たことなどおくびにも出さずに村が用意した宿に戻った俺たちは、今車の中で朝の村を眺めていた。

 土地を開いて通した道路をブルドーザーやクレーンなどの重機が横切っていく。塗装が反射する陽光が一睡もできなかった目に痛い。


「結局、埋めろって話したんですか」

 助手席の宮木が目を擦って言った。ハンドルにもたれかかりながら俺は重い頭で頷く。

「ああ、別の神だかわかんねえものがいるってことは言わなかった。元の土に還してあげましょうって言っただけだ」


「埋めた後、どうなるんでしょうね……」

「さあな。ここの本当の守り神がまだ生きてて、村のために地中に入ってきた訳のわからないろくでもないもんを倒してくれるとか……」


 トラクターの運転席から身を乗り出した老人が俺たちの車に向けて手を振った。俺はクラクションで返す。

 排気ガスが眩しい日光を乱反射させ、道路の向こうにそびえる山の稜線までもをなぞった。


「そう祈るしかねえよ」

 実際、神に対して人間ができるのはそれだけだ。

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