第六章 決戦の日

 それから一ヶ月間。守は一日も怠ることなく修行を続けた。羊との実戦訓練も羊の操る本の量が増え、より一対多を想定したものになっていく。

 そして、決戦の日がやってきた。

 羊の予言の書に従い、守と羊は結界の中心まで移動する。

「本当にここに来るのか?」

「他の魔術師がここまで追い込んでくれる手はずになっているわ。それに、この町一帯に罠も仕掛けてある。ここで待つのが私達にとって最も得策だわ」

 つまり、最初からここを決戦の地にするつもりだったのだろう。

 その時、空から隕石が降ってきた。

「始まったわね」

 羊が小さく呟く。間違いなく真滅の攻撃だろう。それは分かる。だが、問題は――。

(こんなもん、どうやって避けるんだ……)

 「防ぐ」という選択肢は最初から頭から抜け落ちていた。

 守の魔術は数秒しか発動できないため、隕石の落下を数秒止める程度のことしか出来ない。それでは、結局のところ問題の先延ばしにしかならない。

 羊の魔術も知識という面では役に立つが、攻撃や防御といった戦闘面ではあまり役に立たない。

 過去に栄華を飾っていた恐竜が滅びたのは、隕石が衝突したからだという説が最も有力であるが、そのクレーターの直径はおよそ一〇~一五キロメートル程度だとされている。

 たったそれだけの規模の衝突で、世界中、人間よりも多くの大陸に栄えていた恐竜が絶滅するのだ。あの隕石一つで、この町一つ位なら、簡単に消し飛ばせてしまうことだろう。

(真滅は、この町ごと、俺たちを消し飛ばすつもりだ……)

 停止していた思考が濁流のように押し寄せる。だが、妙案は浮かばなかった。自分で解決できない問題が起きた際、最も人間がすることは――他人に押し付けることだ。

「どうするんだ師匠! このままじゃ、この町もろとも俺たちも死ぬぞ‼」

 羊は隕石に手を重ねるように、空へと手を伸ばす。

「守るにはまだ見せたことなかったわね」

 うわごとのように羊が呟くが、不思議とその声には落ち着きがあった。

「見せてあげるわ。《本》の魔術師の力を」

 その言葉がトリガーになったかのように、本が羊の家はもちろん、図書館、民家……ありとあらゆる場所から空へと集まってくる。それこそ、空を埋め尽くすほどに。

(何だこの量……。この町の本だけじゃない、世界中の本が集まって来てる……のか?)

 数秒もしない間に、空を覆う本の盾が七重に出来上がった。

「これでも止まらないなら、諦めるしかないわね」

 本と言うのは紙でできているという性質上、火に弱い。そして、隕石は大気圏突入の際に、高熱で焼かれる。

 まず、最初の本の盾は勢いよく燃え尽きた。効果が出始めたのは二層目の盾から。

 そして、二層目の本の盾が隕石を受け止めている間に、一層目の本の盾の中で無事だったものを新たに八層目の盾として再利用する。

 それを繰り返し、十枚目の盾が破壊されたとき、隕石が止まった。

「……成功だ」

 守るが呆然と呟くが、羊は身体を反転させて走り出す。

「守! あなたも走りなさい‼」

「え? でも、隕石はもう――」

「落ちてくるわ!」

 守が上を見上げると、上空で本の盾が瓦解し、支えていた威力を失った隕石もろとも落ちてくるところだった。

 これにはたまらず、守も身体を百八十度反転させて勢いよく走り出す。

「何で魔術を解いた⁉」

「ずっと維持できるわけないでしょう! 魔力が持たないわ‼」

 隕石の威力と言うのは、加速によるところが大きい。一旦止めた上に隕石自体は小さいため、そこまでの威力にはならないだろうが、それでも真下にいれば危険だ。

 しかし、対真滅用に用意したトラップが二人を簡単に遠くへは逃がしてくれない。

(こうなりゃ一か八かやるしかないか――)

 隕石はもう眼前まで迫っていた。

「師匠、こっちへ!」

 有無を言わせず、守が羊を庇うように抱きしめる。

 心臓の鼓動と時計仕掛けの魔術師の秒針を同調させ、自分の身体をその時間の状態のまま固定する。これによって守の身体は魔術を維持し続ける限り、どんな変化も受け付けない。老化すらも。

 隕石が衝突――ではなく墜落し、辺りに粉塵が舞う。

「ゲホ、ゲホ! 守、大丈夫?」

 羊が口を押さえながら守の腕の中から這い出て辺りを見回す。威力を殺したと言っても、本来町一つ消し去れるレベルの隕石だ。その半分以下でもかなりの被害が出る。

(住民を避難させといて正解だったわね……)

 羊が被害を計算していると、守が動き出した。

「師匠。どうやら無事だったみたいだな」

「ええ。あなたのおかげでね」

 魔術を解除し、羊を解放する。

「それにしても、真滅はどこにいるんだろうな?」

 守が何気なく呟く。

「え?」

「だって、この隕石を落としたってことは、自分は巻き添えになる場所にはいないってことだろ?」

 それを聞いて、羊は思考を巡らせる。

(近くにはいない。本当にそう?)

 高位の魔術師は、自分の魔術を抵抗(レジスト)することができることは魔術師の間では有名な話だ。

 もし仮に、真滅もそれができるとしたら?

 真滅は隕石に注意を集中させ、接近している可能性がある。

「守、真滅は近くまで来てるかも――」

「正解」

 砂煙の向こうから、真滅の拳が守の顔面に入り、守は吹き飛んだ。

「守!」

 羊は守の心配をしながらも、真滅から視線を外さず、距離を取る。

「まさかあの隕石を防ぐとはな。やるじゃねえか」

 羊は吹き飛ばされた守を視界の隅で確認しながら、真滅を分析する。

(装備品の中で魔道具は一つだけ。ということは、あれが――)

 羊の視線に真滅が気付き、左手首に付けられた腕輪を掲げる。

「こいつが気になるか?」

 腕輪に小さな地球儀が鎖で繋がれたその魔道具こそが――

「≪時計仕掛けの惑星|クロックワークプラネット≫」

 守が後方から真滅に迫るが、華麗に避ける。

「へえ、回復が速いな。《癒》の魔術師か?」

 真滅が軽口を叩くが、守の左手に巻かれている古めかしい時計を見て目つきが変わる。

「《時》の魔術師、時輪守だ」

 先程の真滅の攻撃で守が無事だったのは、隕石を止めた時と同様の魔術を使用したからだ。

 衝撃とは早い話が「原子の振動」である。たとえば、顔を拳で殴られたのならば、顔の原子が揺れたということだ。ならば、顔の原子の時を止めてしまえば、衝撃を殺せるのではないか? というコンセプトで考案されたのがこの魔術だった。

「そうか、お前が《時計仕掛けの魔術師|クロックワークマギ》の所有者か」

 真滅が言い終わるのを合図に、お互いに踏み込む。

「ぐはっ!」

「ごふっ!」

 クロスカウンターの要領でそれぞれの頬に拳がめり込む。

 初撃が互角ということは、おそらくは互いのトータルしたステータスも似たようなものだろうと羊は分析した。

(――つまり、守を勝たすのが私の役目)

 羊は隕石を防いでも尚無事だった本を二冊宙に浮かせ、守が戦いやすいように援護し、真滅が戦いにくいように牽制する。

(流石に二対一だとキツイか……)

 すぐに真滅が劣勢になる。

(こうなりゃ、一か八か、使うか)

 何を思ったか、真滅はビルから飛び降りる。

 守たちが現在戦闘をしているこのビルは、真滅の姿を一早く確認するために陣取ったこの町で一番背の高いビルだ。人が飛び降りて無事で済むはずがない。それどころか、命があるはずがない。

 だが、真滅は《星》の魔術師。この星に関する魔術もいくつか使える。

 真滅は空中で二つの魔術を使用した。

 一つは自分が助かるように、自分が落ちる地面を柔らかくする魔術。

 そしてもう一つは、《時計仕掛けの惑星|クロックワークプラネット》に貯蔵した魔力全てを使って行使する、この星の魔力を消滅させる魔術だ。

 空中で魔術を行使したため、守や羊が介入できなかったことが幸いし、真滅の魔術は成功した。

 この星に住む全ての魔術師は魔力を抜かれ、今後その魔力が回復することは二度とない。

 直前に真滅が行使した、地面を柔らかくする魔術が、この世界で行使された、最後の魔術となった。

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