第七章 魔術の守護者

 一方、状況を把握できていない守と羊はビルの屋上にいた。

「真滅を追う! 本を浮かせて階段状にしてくれ!」

 羊は指先一つで本を階段状に――できなかった。

「まさか、もう――」

 羊の魔術が遅いのに業を煮やした守は、自分の魔術を使うことにした。

「俺が行く!」

 勢いよくビルから飛び降りる。

「……。ええ、あとは任せたわ。守」

 羊は自分の無力を悟ると、祈るように手を合わせた。


 守の魔術は数秒しか持たない。故に、羊の様に自由自在に、好きなだけ魔術を乱用することはできない。

 故に、タイミングが非常に重要となる。

(そろそろか……)

 体感にして数秒の自由落下もそろそろ地面が近づいてきていた。

 守はバクバクと活動する心臓を日頃の訓練で落ち着かせ、時計仕掛けの魔術師(クロックワークマギ)と同調させる。

 自由落下が地面に墜落する寸前でピタリと止まり、加速を殺す。

 魔術は一瞬で心臓の鼓動が乱れたことでキャンセルされるが、加速を殺しておいたおかげで階段から足を滑らせた程度の衝撃で済む。そして、その衝撃すらも真滅の地面を柔らかくする魔術の影響でゼロとなる。

 地面に着いた守は、真滅を探す。

(どこに隠れた? まさかもう魔術で遠くまで――)

裏を読もうとする守の後頭部に瓦礫の破片が直撃する。

血が滴るが、時間遡行によって頭部の状態を数秒前まで再生させ、何事もなかったように守は瓦礫を投げ付けた真滅を見た。

「そこか」

 守が一直線に真滅の元へ向かう。

 真滅は瓦礫を投擲し続けるが、最初の一撃は位置が特定されていなかった上、不意打ちだったから当たったにすぎない。

 守は瓦礫が自分に当たる直前に瓦礫の時間を止め、軽々と避けていく。


 さほど苦労せず真滅の元へ辿り着くと、真滅は戦意を喪失したのか、へたりとその場に座り込んだ。

「何故魔術を使わない?」

 訝しむ守に、真滅は失笑しながら言う。

「この世から魔力を消し去ったからな。もうこの世に魔術師はいない」

 守は羊が魔術を使えなかったのを思い出す。

 だが、そうなると疑問が残る。

「なぜ、俺は魔術が使える?」

 真滅は包み隠さず全て教えた。

「お前が使えるわけじゃない。時計仕掛けの魔術師が使えるんだ。それは時計仕掛けの惑星と同じ作者が作った人間を魔術師にする魔道具だ。俺はこの世から魔力を消し去る魔術を使った。だが、時計仕掛けの魔術師は魔力をゼロから生み出すことができる。俺がこの町に来たのも時計仕掛けの魔術師を破壊して、この世から本当の意味で魔術師を滅ぼす為だ」

 守は、逡巡する。この世で魔術が使えるのは守だけになった。つまり、この状況を打開できるのは守だけだ。そして、守にはその方法が一つだけある。

 守は昔のことを思い出していた。まだ、無邪気に自分が魔術師になれるのだと信じて疑わなかった頃のことを――

「フッ」

「どうした? 絶望したか? それとも自分が世界でただ一人の魔術師になって優越感でも生まれたか?」

 守は真滅の問いに、時計仕掛けの魔術師を胸の前に持ってくることで示す。

「そうか……」

 真滅は諦めたように目を閉じる。その可能性があったから、真滅は時計仕掛けの魔術師を回収する為だけに計画を遅らせてまでこの町にやって来たのだ。

 全ては時計仕掛けの魔術師の回収に失敗した真滅の失態だ。

「俺は――魔術を守る」

 守は時間遡行を開始した。


 普段、守が数秒しか魔術を使えないのは、心臓への負担を最小限に抑えるためだ。逆に、心臓への負担を度外視すれば、もう少し時間を延ばすこともできる。

 今回の時間遡行は、真滅が時計仕掛けの惑星を使う前まで戻ることになる。


 真滅がビルから落ちようとする少し前。守は真滅がビルから落ちようとするのが分かっているので、一目散にビルの端へと駆け出すと、そのまま真滅ごとビルから落ちる。

 これが守の最後の力。

 既に心臓は限界を超えて鼓動を停止している。真滅をビルから落とせるだけの余力があったこと自体が奇跡なのだ。

 真滅は魔術を発動する間もなくグチャグチャの肉塊に変わり、真滅を下敷きにして落下した守の死体は原形を保っていた。


 ビルの端に備え付けられている階段を駆け下り、羊が守の亡骸にしがみつく。

「守……ごめん……ごめんね……」

 大粒の涙を流しながら、泣きじゃくっている羊の前に、一人の男が現れた。

「別れは済んだか?」

 涙を拭うと、羊はキッとその男を睨み付ける。

「お久しぶりですね、師匠」

 その男は、羊の師匠にして、守の父――《心》の魔術師、時輪想であった。

「あなたが遅れてきたせいで、守は――」

 想は煙草をくわえると、慣れた手つきで火をつける。

「俺の能力は戦闘向きじゃない。そして、俺の能力は、対象と面識があれば、遠隔からでも発動できる。ここまで言えばお前なら分かるだろう?」

 当初、羊は守を戦力として参戦させるのを躊躇っていた。守はまだ未熟な上、魔術師教会とまだ深い係わりがない。何も知らない組織の為に、命を賭けたくはないだろう。

 だが、想が急遽合流できなくなった為、渋々守を巻き込んだのだ。

「本当は、合流できないなんて嘘だったんですね」

 羊は本を浮かせる。それを見て、想は煙を吐いた。

「別にお前一人で立ち向かってもよかったんだぜ? 何故それをしなかった?」

 羊の動きがピクリと止まる。想の口がニヤリと吊り上がった。

「教えてやろうか? 自分が死ぬのが怖かったからだ。たとえ守を殺すことになったとしても、自分が傷つくのが嫌だった。まあ、お前は後衛だし、一対一には向いてないからな。こうして魔術師の世も守られた。結果オーライじゃないの」

 羊の本が飛んでくるが、想はヒラリと躱す。

「だがまあ、助けてやってもいい」

「え?」

 守の方を見て、鼓動を確認するが、間違いなく心臓は停止している。

「もう助かりませんよ。心臓が止まって――」

「俺は心の魔術師だ。もう一度心臓を動かすこともできるかもしれないぞ?」

 昔、心臓には心が宿るとされ、心と言う意味の「heart」とそのまま名付けられた。確かに心の魔術師との親和性は高いだろう。

「その代わり、後日守と二人で魔術師教会の本部まで来い」

「分かりました。守を蘇生させてください」

 想が手をかざすと、守へと膨大な魔力が流れ、心臓を強引に動かす。やがて、その動きが染み着いてしまえば、元通り心臓は勝手に動くようになるだろう。

「師匠……真滅は……?」

 守が目覚め、開口一番に羊に聞く。

「倒したわ。あなたが倒したのよ」

羊が想の方に視線を向けると、そこには一本の煙草の吸い殻が残されているだけだった。

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