第4話 少年と少女

『カツッ、カツッ、カツッ……』


『ザッ、ザッ、ザッ……』


静かで薄暗いダンジョンに、二人の足音だけが響き渡っている。


「…………」


「…………」




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先ほどから二人とも会話をすることもなく沈黙している。


会話が途切れた時のほんのわずかな時間の沈黙が、かえって話しかけるハードルを高くしてしまった。


ダンジョンに響き渡る二人の足音が緊張感を増して、話し掛けることをより困難なものにしてしまう。




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(ヤ・バ・イ!)


オレ、むちゃくちゃ緊張している。


さっきまでは何も考えずにキルケーと話ができていたのに。


普通に話ができていたのに。


ほんの一瞬だけ会話が途切れたとき、オレはよからぬ事を考えてしまった。




(こっ、これって……、“デート“みたいじゃん!)




デートというのは大袈裟であることは分かっている。


でも、オレには見知らぬ女の子と二人っきりで歩くという経験が無い。


初対面の女の子と二人っきりの時間を過ごしたことが無い。


しかもここは薄暗いダンジョンの奥深く。


オレたち以外は誰もいない、たった二人だけの空間……。


そんな状況でオレは出会ったばかりの可愛い女の子と肩を並べて歩いているのだ。


ただ“歩いているだけ“なのに、何だかむちゃくちゃ緊張する。


ハッキリ言ってドラゴンと戦っていたときより何倍も何十倍も緊張しているのが分かる。


『ドクッ、ドクッ、ドクッ……』


心臓の鼓動がハッキリ聞こえる。


緊張のあまり口から心臓が飛び出しそうだ。




(どうしよう……。こんなとき何て話しかけたら良いのだろうか……)


キルケーとオレは出会ったばかりの関係だ。


お互いのことなんて何も知らない。


ハッキリ言ってしまえば”赤の他人”に等しい。


そんな女の子と二人っきりで……、いったいどうしろと言うのだ!




そして、さらに気になることがある。


キルケーは何で黙っているのだろうか。


さっきまではあんなに普通に話しかけてくれていたのに……。


さっきよりも冷静さを取り戻して、見知らぬ男(オレ)に対して警戒しているのだろうか。


多分そうなんだろう。


デートとか言って浮かれているのはオレだけなんだ。


見知らぬ男とダンジョンで二人だけの状況。


普通の女の子なら警戒度MAXの状況のはずだ。


悲しいけど、これが現実……。




いや、でも待てよ。


警戒度MAXにしてはオレのすぐ横を歩いている。


キルケーが本当にオレのことを警戒しているのなら、もっと距離を取って歩くはずだが……。


そう考えると……、いやしかし……、あれこれ考えていると本当に何も話せなくなってしまった……。


一年以上も家で引きこもりの生活をしていたオレにとって、今のこの状況は拷問に等しい。


何か突破口を見つけなければ……。




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『これって、デートみたい』


二人とも頭の中で全く同じことを考えていた。


二人とも同じことを考えて、同じように緊張していた。


それが沈黙の原因。


二人とも視線が定まらず、心ここに在らずの状態で、浮き足立ってそわそわしている。


二人とも緊張しているので、相手がどんな様子なのかを伺う余裕も無い。


相手の様子を伺う余裕がちょっとでもあれば、無駄に緊張をする必要など無いと分かるのに。


キルケーは緊張のあまり顔が赤くなっていた。


そのことをマサヤに気付かれないようにするため、顔を少し壁の方へ向けて歩いていた。




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このまま無言で歩き続けるのも、それはそれで堪え難いことだ。


何よりもオレは“この沈黙“に耐えられるだけの強いメンタルを持ち合わせていない。


ここは勇気を振り絞って話しかけるべきだ。


しかし……。


(一体、何を話せば良いのだ?)


デートといえば、まず会話で女の子を楽しませるもの。


会話で女の子を飽きさせないことが大切と聞いたことがある。


いや、しかし、これはデートじゃない。


オレはただの“見知らぬ怪しい男“なのだ!


相手の素性も分からないのに楽しませるなんて難しすぎる。


ハードルが高過ぎる。


会話の糸口が見付からない……。




(……そうだ!)


そうなのだ。


オレは何も知らない。


キルケーのことも、ダンジョンのことも、この世界のことも何も知らない。


知ることから始めようじゃないか。


とにかく、分からないことを聞いてみよう!




「あ、あの……」

「あ、あの……」




心臓が止まるかと思った!


勇気を出して話しかけたら、キルケーからも同じタイミングで話し掛けられた。


こんな静かな空間で急に声を掛けられると、心臓が止まる!


「あっ! どうぞ、お先にどうぞ」


思わず会話を譲ってしまった。


ここ一番でチキンっぷりを発揮してしまうオレ。


どこまで受け身なんだよオレは……。




「あの、この世界に召喚したことなんだけど、謝らないといけないと思って……」


「え? いや、そのことならさっき謝ってもらったからもう気にしなくて良いよ」


意外にもキルケーはこの世界にオレを召喚したことを再び謝ってきた。


さっきも謝ってたのに。


何をそんなに気にしているのかな?


「召喚したことはもちろん申し訳ないと思っているんですけど……。その……、マサヤを元の世界に戻すことは出来ないのです。……これから先、マサヤはずっとこの世界で生きていくしかないの。そのことをお伝えしていなくて……。そして、そのことを謝罪しないといけないと思って……」


「あぁ、そういうことか……」




そうか。


オレはもう元の世界には戻れないのか……。


元の世界に戻るという選択肢は考えていなかった。


ハッキリ言ってこの世界のことすらまだ何も分かっていない。


この世界が気に入れば問題は無いのだけど、ここが嫌な世界だったら元の世界に戻りたいと思ってしまうだろう……。




引きこもりの生活をしていた時から、前の世界に未練は無いと思っていた。


新しい世界で人生をやり直したいと思っていた。


異世界に行きたいと思っていたのは紛れもない事実だ。


でも、引きこもりの生活をしていたとはいえ親や親戚や昔の友達などなど、前の世界の人たちとはもう誰にも会えないと分かるとやっぱり寂しい。


好きだったアニメや漫画も、もう続きを観ることが出来ない。


(ネットもスマホも使えないのか……)


誰とも繋がっていない孤独な生活をしていると思っていたが、ネットの向こうにはたくさんの友達がいた。


オレは孤独では無かったのだ。


ある日突然、自分が生きていた世界とサヨナラするのは思ってる以上に堪える。


オレみたいな引きこもりでもこれだけ落ち込んでしまうとは本当に予想外だった。


突然の死を迎えて、未練を残して成仏できない幽霊たちの気持ちが今なら分かるような気がする……。




「うん、大丈夫。気にしなくて良いよ」


全然大丈夫じゃ無いのに、なぜか『大丈夫』と言ってしまった。


別に見栄を張ったわけじゃない。


ただ、何となく口に出た言葉だった。


「大丈夫なの? その……、家族とか友達とか……」


ハッキリと言えないのは、キルケーが責任を感じて気を遣ってくれているからだろう。


元の世界に戻れないことの確認は、言い方次第では相手を絶望させることでもある。


相手の気持ちを思えば、辛い現実を突きつけるような言葉は言い出しにくいだろう。


「うん、平気だよ」


オレは全く気にしていない”フリ”をした。


「その……、前の世界では人間関係ですごく嫌なことがあってさ。それ以来、辛い現実から背を向けて逃げ出して、部屋に閉じこもって一人っきりの生活をしていたんだ」


嬉しいことも嫌なことも何も起こらない”完全なる平和”が約束された部屋。


主体性のないオレにはピッタリの世界だったのかもしれない。


「夢も希望も未練もなくて、どこか新しい世界で一から人生をやり直したいなって思ってたんだ。だから、この世界に呼んでくれたことは感謝しているくらいだよ」


いつもいつも逃げることが習慣になっていた。


この世界に召喚されてもオレは逃げていた。


大きなドラゴンを目の当たりにした時、何も考えられなくなって傍観者になっていた。


自分の命が掛かっている状況でも、無意識のうちに現実から逃げ出していた。




でも、キルケーのおかげで目が覚めたような気がする。


ドラゴンと戦っている時、キルケーが声を掛けてくれたおかげでちょっとだけ冷静になれた。


現実に背を向けて俯いていたけど、キルケーの言葉のおかげで自分の意思で前を向けたというか。


すごく些細なことかもしれないけど、それがすごく嬉しいというか自信になったというか。


だから、前を向くきっかけを与えてくれたキルケーには感謝している。




「そりゃ、前の世界に未練がないと言えば嘘になる。でも、オレはもう大丈夫。気にしなくて大丈夫だよ。むしろ、こっちの世界に呼んでくれて感謝しているくらいだから」


「そうなんだ……。何か困ったことがあったら遠慮なく言ってね。その……、マサヤがこの世界でちゃんと生きていけるようになるまで可能な限りのサポートはするから」


「ありがとう」


サポートをしてもらえるだけで助かる。


召喚しておいてドラゴン倒してくれたから『ハイさよなら』じゃ流石に困るからな。




とは言うものの、この世界で生きていくことを考えると不安しかない。


前の世界ではまともに生きていくことが出来なかった。


主体性がなくて、いつも周りに流される性格。


そんなオレが、何も知らないこの世界でちゃんと生きていけるのだろうか。


キルケーに発した前向きな言葉とは裏腹に、オレは不安に襲われて徐々に俯き加減で歩くようになっていた。






(…………ん?)


「このダンジョンってさ、どうやって作られたの?」


俯き加減で歩いていて、オレはこのダンジョンのことが気になってしまった。

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