第3話 魔法

「あぁ、おはよう。体調はどう?」


オレは立ち上がって、キルケーの方へ歩み寄った。


キルケーの声を聞く限り、体調は良さそうに感じられた。


「うん、だいぶ良くなったかな」


「おかげさまでオレはこの通り回復したよ。水、飲む? あ、ごめん、飲みかけだけど……」


無意識に水を手渡そうとしたけど、オレが飲んだ後だと気が付いてちょっと躊躇してしまった。


いや、流石に飲みかけのペットボトルを渡すのはダメだろう……。




「ありがとう。いただくわ。私も喉カラカラなの」


そう言うと、キルケーはペットボトルを受け取り美味しそうに飲み始めた。


オレが飲みかけだったことは全然気にしていないようだ。


それにしても上品な飲み方だなと思った。


右手でペットボトルを持って、左手は髪の毛が垂れないように軽く抑えている。


ペットボトルの飲み口に、その小さな口を軽く添えて静かに水を流し込む。


その姿にオレは完全に見入ってしまっていた。


ただペットボトルの水を飲んでいるだけなのに、こんなに見惚れてしまうとは……。




「ふぅ。美味しい。少し生き返ったわ。それにしても珍しい器ね!」


キルケーは空になったペットボトルをまじまじと見つめた。


まぁ、確かに珍しい器かもしれないが……、それよりもこの世界の文明レベルはどんななんだろうか。


前の世界より進んでいるのか、それとも遅れているのか。


ダンジョンを出るまで不安だ。


「前の世界では、その器に飲み物を入れて持ち運ぶことが多かったんだ。軽くて持ち運びに便利だからね」


「ほんと、すごく軽いね。お水ありがとう。足しておくね」


そう言うと、キルケーは空になったペットボトルにスッと手をかざた。


ペットボトルの底から水がゆっくりと湧き出してきて、あっという間に満タンになった。


水の魔法だろうか。


かざした手から蛇口のように水が出てくるようなイメージだったが、実際に目にする水魔法は違っていた。


「すごいな。水の魔法?」


「うん。でもこれくらいの魔法なら少し訓練するだけでマサヤも使えるようになるよ」


「そうなんだ」


そう言いながら満タンになったペットボトルを受け取った。


「ごめん、ドラゴンの血を全身に浴びてしまったからかなり臭いと思う。近付かないことをお勧めするよ」


流石に『気にしないで』とは言えなかった。


この匂いは本当にキツい。


かなり気になるはずだ。


とにかく外に出たら何とかしないといけない。


服も体も血まみれの状態はかなり不快だ。




「洗ってあげようか? 水魔法で綺麗にできるよ」


「え? 出来るの!? もし出来るのなら是非ともお願いしたいです!」


オレは一気にテンションが上がった!


何よりもまずはこのベタベタ感と強烈な匂いからサヨナラしたい。


「じゃあ、そこに立って」


そう言うとキルケーは立ち上がって両手を前へ掲げた。


「おぉ!」


特に詠唱することもなく発せられた水の魔法で、オレの体は足元からゆっくりと水に覆われていった。


洗濯機のように派手にかき回されるわけでもなく、全身をゆっくりとソフトに洗浄してくれる。


鼻と口の周りだけは空気の層を確保してくれているので、安心して息も出来る。


至れり尽くせりの水魔法による洗浄だ。


オレの体を一通り洗い終えると、水は静かに蒸発していった。




「どうかな? 体の汚れは大体落ちたと思うけど。服の汚れは完全には落とせないけど、そこは勘弁してね」


「うん! 十分だよ! 大満足だ。本当にありがとう!」


本当にすごい!


ベタベタの汚れも、嫌な匂いも全部洗い流してくれた。


水魔法、便利だな。


オレも早く覚えたい!




「そしたら次は乾燥させるから、そのまま立っててね」


「え? 乾燥まで?」


また何も詠唱することなく、オレの体は緩やかな風に包まれた。


全身についていた水滴がゆっくりと弾かれていく……。


体はもちろん服も髪も綺麗に乾燥していった。


「あ、ありがとう……。これは風の魔法かな? 物凄く便利だね」


「どういたしまして!」


オレのお礼に対して、キルケーは笑顔で答えてくれた。




魔法と言うと戦闘中の攻撃や防御・回復魔法などを想像していたが、日常生活でも十分に活用できるんだなと思った。


「キルケーの服も血まみれだね。お腹の怪我はもう大丈夫?」


大きな瓦礫が腹部と頭部を直撃して大量に出血していたのだ。


回復魔法を唱えたとはいえ、オレの付け焼き刃のような魔法で本当に怪我が治っているのか心配である。


「怪我はもう大丈夫よ。回復魔法ありがとう。すごいね、この世界に来てすぐに回復魔法を使うなんて」


「あれは本当に偶然なんだ。一か八かで唱えた魔法がたまたま上手くいっただけで。でも偶然とはいえ、本当に治ってよかったよ」


あれだけ血を流していたんだ。


今、こうして普通に話していることすら奇跡のように感じる。


前の世界なら緊急手術をして、それでも命が助かるかどうか五分五分だったんじゃないかな。


「言われてみれば私も血まみれね。私も体洗おうかな」


「どうぞ。汚れを洗い流してスッキリ綺麗になってください」


水と風の魔法はもう一度見てみたいし、キルケーが汚れを落として綺麗になっていく様子をゆっくり見学するもの悪くはない。




「…………」


体を洗おうとしたキルケーが動きを止めて、オレの方を見つめてきた。


「えーっと……」


「ん?」


「あ、あの……。ちょっと恥ずかしいのでアッチを向いててくれるかな?」


少し頬を染め苦笑いをしながらキルケーはオレの後ろを指さした。


「あ、あぁ」


(ん? 恥ずかしいのか???)


意味もわからずオレは生返事をして素直に後ろを向いた。


別に服を脱いで裸になるわけじゃないのに、なんで恥ずかしいんだろうか?


キルケーが綺麗になっていく姿をゆっくり眺めていたかったオレは少しガッカリした。




「お待たせ。私の体も洗い終わったわ」


「あ、あぁ」


早いな。もう終わりか。


残念な気持ちが先行しすぎて、再び生返事をしてしまった。


少しくらい覗いても良かったかもしれない……。


「どうする? 体、大丈夫そうなら出発しようか」


「あぁ、そうだね。オレはいつでも出られるよ」


覗けなかったことは忘れよう。


今はダンジョンを出ることが先決だ。


見学はまたいつか、機会があれば……。


キルケーは身なりを整え、いつでも出発できるよう準備を終わらせたようだ。




「あのさ、ドラゴンの落とし物があるんだけど、これって……価値あるのかな? それともただのゴミなのかな?」


オレはドラゴンのドロップアイテムについて恐る恐る聞いてみた。


『ただのゴミ』と言われるとショックが大きい。


「あ、凄いね! ゴミなんかじゃないよ。ドラゴンの落とし物は希少だからどれも貴重だよ」


キルケーがほんの少しだけ上擦った声を上げた。


その様子だと本当に珍しいようだ。


ドラゴンの落とし物をまじまじと見つめている。


「角や牙は加工して武器にできるし、翼は魔法よけのマントとして使えるわ。一番需要があるのが鱗よ。剣の攻撃やあらゆる属性の魔法攻撃も全てを防いでくれるの。それに軽いから鎧の材料として最適なの」


「そうなんだ」


こんな硬い物を加工する技術がこの世界にはあるのか。


剣と鎧とマント、全てが赤みがかった装備で揃えるとカッコいいかもしれない。


「それなら、もっと鱗を剥がしておけば良かったかな」


「ふふっ。そうやって欲を出した結果、ドラゴンに殺されてしまった冒険者はたくさんいるそうよ」


オレの欲張りな考えは全てお見通しのようだった。


屈託のない笑顔と共に、オレの浅はかな考えは嗜められてしまった。




さて、どうやって持ち運ぼうか。


軽いとはいえ大きい。


角なんて2メートル近くある。


しかも二本。


1メートル四方の鱗は六枚。


二本の牙はポケットに入れられるとしても、大きな翼を含めて全てを持ち運ぶのは苦労しそうだ。


「半分持ってあげるよ。軽いから平気」


「あ、ありがとう」


さっきからオレの考えを全部見通されているような気分だ。


特殊能力……と言うわけでも無さそうだが。


なんと言ってもキルケーは『賢者』だもんな。


そう言うところは察しが良いのかもしれない。




結局、オレが全部を運ぶことにした。


翼を風呂敷代わりにして角と鱗を包み、結び目を首と肩に引っ掛けて背中で背負った。


両手は自由に使えるし、キルケーにも負担をかけないで済む。


「じゃぁ、出発しようか。道案内をよろしく!」


「うんっ!」

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