第10話 もう少しだけ続く聖女


 今日は、一段と肌寒い日だった。

 夜に雪が降ったのだろう。石畳の地面は所々湿っている。


 秋だった季節も終わり、もう冬だ。

 澄んだ空気が心地よい。

 絶好の旅立ち日和だった。


 シャノンは一人、街の中を歩いていく。


 向かうのは、街の外だ。


 この街でやるべきことは終わった。


 この光景を見るのもこれが最後だと思うと、感慨深い気持ちになってくる。


 自然にゆっくりとなる歩調。

 身を包んでいる使い古しのローブ。

 化粧はしておらず、おしゃれな服も着ていない。

 それでも、この街に戻ってきた時よりも、シャノンは大人びた女性になっているように見えた。


 耳をすませば、いつもの日常の会話が聞こえてくる。

 平和で、楽しそうな会話だ。


 ……かと思ったら、物騒な噂話も聞こえてくる。


 たとえば、街の近くの森で、凶暴な魔物の目撃情報があっただとか、なかっただとか。

 今は、騎士団が調査に行っているらしい。おって報告があるとのことだった。


 喜び、悲しみ。

 恐怖、心配。

 人がいる所には、いろんな感情がある。



 その中を歩いていると、ふと、一人の青年の姿が目に入った。



 あれは、宝石店だろうか。

 街の王通りにある結構豪華なお店。カランコロンとベルの音が鳴り、その店内から青年が出てきた。


 その青年は一人だった。

 手には、手のひらサイズの四角い箱が見える。その箱を持っている彼は、幸せそうな顔を隠そうとしているも、喜びが溢れていると言った様子で、笑みを浮かべていた。


 彼はそんな口元がプルプルと震えた状態で、弾む足取りで歩き出した。よりにもよって、自分が歩いている、こちらへと向かって。


「…………っ」


 一歩、一歩、近くなる。


 そして、何事もなくすれ違う。


 その際、目線も動かさず、シャノンはただただ歩くことを意識した。


 ……本当は胸が詰まりそうだった。

 だけど、最後にまた会えて、これはそういう運命だと思うことにした。


 その時だった……。


「あ、あのっ」


「…………」


 すれ違って3歩ほど歩いた時だ。


 後ろから、青年の声が聞こえた気がした。


 懐かしい声だ。

 ずっと聞きたいと思っていた声だ。


 誰に対して放たれた声だろうか。

 もしかして自分だろうか……。だめだ、違ったら、なんとも言えない雰囲気になる……。


 と。


 そう思いつつも、立ち止まり、振り返ってみる。


「あなたは、この前の方ですよね」


 自分の顔を見て、彼が恐る恐ると言った感じで聞いてきた。

 シャノンは頷く。頷くと、彼はホッとしたように肩を撫で下ろしていた。


「やはりそうでしたか!」


「先日は、親切にしていただいて、ありがとうございました」


 なるべく平静を保つのを心がけて、シャノンは先日のお礼を言う。

 彼は彼だ。自分の初恋だった片想いの彼で、シャノンが恋焦がれていたあの彼だ。

 自分でもびっくりするぐらい、落ち着いた声で話すことができた。


 あの時の傘はすでに、騎士団の詰所に届けてある。


「直接、お返しできなくて申し訳ございませんでした」


「あ、いえいえ、とんでもない。門番をしていた同僚から聞きました。とても丁寧に持ってきていただいたと」


 彼は人好きのする顔で、頭をかいて笑みを浮かべた。


 ああ……かっこいいな、と今でも思う。

 やっぱり、優しいなとも思う。


 やっと。

 ようやく。

 普通に話すことができていた。


 この街を出ようと思った日に、こうしてまた彼と再会できて、なおかつ、ようやく会話をすることができている。

 対面での会話なんて、ずっとしたいと思っていたことだった。


 そして、今の彼は幸せそうな顔をしている。

 その顔を向けられると、こっちまでドキッとしてしまいそうだった。


 だけど、その幸せな顔の理由は、シャノンとは別のところにあることは考えなくても分かることだった。


 彼女さんがいた彼。


 彼の手にある四角い箱。

 せっかくだということで、聞いてみることにした。


「とても幸せそうな顔をされてますね」


「そ、そうでしょうか……?」


「ええ。先ほど、宝石店から出てくる姿を拝見いたしました」


「す、すみません……! お、お恥ずかしいところを……!」


 彼は茹で蛸のように、真っ赤な顔になった。


「実は、婚約指輪を、思い切って買ってしまいまして。俺、今度結婚するんです! 今、付き合っている彼女と!」


(ぐはぁ……!)


 だと思った……!!


 宝石屋、幸せそうな顔、可愛らしい彼女の持ち。


 プレゼントの類かと思ったら、やっぱりだ。しかも、婚約指輪だった……! 


 ああ……苦しい。

 苦しくて死んでしまいそうだ……。


 聞かなければよかった。


「給料一年分の指輪なんですけど……少し奮発し過ぎてしまいました……」


 そう言った彼は、微塵も後悔していない様子で、むしろ誇らしげであった。何かをやり遂げようとする、覚悟の決まった漢の顔だ。


 純粋に羨ましいと思った。

 

 愛し合っている彼に、指輪を嵌めてもらって、永遠の恋を誓う。

 彼は今まさに、それを叶えようとしているのだ。


「で、でも、やっぱりまだ早かったでしょうか……。もしかしたら、嫌がられるかも……」


 もじもじとしながら、そんなことも言う彼。


 今日の彼は、私服姿だ。今日は休日なのだろうか。


「今日は休みをもらったんです。前々から申請して、ようやくの休みです」


「お仕事、お疲れ様です」


 シャノンは労いの言葉をかけた。

 シンプルなシャツと足が長く見えるズボンを履いている彼は、爽やかな印象を受けるままの姿で、軽く敬礼をしてくれた。

 今の言動と、服装と、顔つきのギャップが、たまらなく可愛いと思った。


 そして、彼はこんな話もしてくれた。


「でも、プロポーズは、また別の機会にした方がいいかもしれなくて……。なんでも……今、結婚をするのは、ジンクス的にあまりよろしくないみたいなのです。噂で聞いたのですが、先日、この街で挙式を挙げた夫婦が、数日で離婚したとか……」


 故に、この街で今結婚すると、破局してしまうという噂があるという。

 彼はそれを気にしており、不安に思っているようだった。


 それぐらい、彼は相手のことを想っているみたいだった。


「ふふっ。彼女さんのこと、好きなのですね」


 シャノンは自然と心から彼に対しそう言っていた。


「ええ、彼女は僕のことをそばでずっと支えてくれたんです。挫けそうな時も、辛い時も、そばにいて背中を押してくれたんです」


 幸せそうな顔で彼は言う。


 そばにいてくれた女性に、これからもそばにいて欲しいことを願うように。


 それからは、なんとも言えぬ惚気話の時間だった。

 彼が、自分の彼女のことを、まるで子供がねだるように語り始めたのだ。


 楽しそうに話してくれる彼。部外者で、ほぼ初対面に等しい自分に彼女とのことを話してもいいのだろうか……と思いもするものの、こういうのは身内には話しづらいのかもしれない。何も関係ない第三者にだからこそ、自分の正直な惚気をするというのが気楽なのかもしれない。


 ただ……。


(じ、地獄だ……)


 シャノンはダメージを受ける。


 自分から踏み込んでしまったとはいえ、自分が片想いをしていた相手である彼の、甘くて幸せな惚気話を聞くのは、正直しんどかった。

 ショックで死んでしまいそうだ。


 それでも……シャノンは思った。

 この人はいい人だと。昔の、思い出のままの人だと。


 今まで言葉を交わしてなくても好きだったのに。

 こうして言葉を交わすと、更に好きになってしまいそうになる。


 そして、そんなこちらの気持ちすら知らず、彼は惚気話を続ける。


「それで実は今日、この後デートをして、プロポーズをしようと思っているんですよ……!!」


「へ、へぇ……」


「……そのデートコースなんですけど、不安なので確認してもらえませんか!?」


「絶対、嫌ですよぉ!!」


 やっぱり、地獄だ。

 でも、悪くない地獄だった。


 こんな地獄だったら喜んで落ちてもいいかもしれない。

 そう思えるぐらいに、シャノンは、幸せそうな彼を応援したいと思った。


「彼女さん、喜んでくれるといいですね」


「はい!!」


 彼は照れたように、はにかみながら頷いていた。

 そして、そろそろ、というところで、シャノンは彼と別れてお暇することにした。


「すみません……! こっちばかり話をしてしまって……! 色々聞いてくださりありがとうございました!」


「こちらこそありがとうございました」


 では、と互いに別れの挨拶をして、背中を向けて一歩を歩き出す。


 それぞれの道へと。




 ……そんな時だった。

 街の入り口付近が、にわかに騒がしいのに気づいた。


「あれは……」


 騎士の服に身を包んだ人物数人が、仲間である者たちに抱えられて、必死の形相で助けを呼んでいる。


 血まみれだった。

 なんでも、街の外で危険な魔物が出現したらしい、ということだった。


 そのため、救援のために、騎士団への増援要請が行われている。それには非番の者も招集されるということで、大騒ぎになっているらしい。


「非番の者も……」


 シャノンは、先ほど別れた彼のことを思い浮かべた。

 せっかくのプロポーズの日だというのに、あんまりだと思う。


「さようなら」


 シャノンは歩き出した。


 もう、この街には戻ってくることはないだろう。



 ****************************



 一人の青年が街の中を駆けていた。

 私服のシャツのボタンは外れており、髪型が崩れることなんて気にする暇もなく向かうのは、騎士団の屯所だった。


「はぁ……はぁ……」


 どくどくと、心臓がうるさい。荒い息を吐きながら、それでも足を止める事なく走らなければならない。


 彼は騎士だった。今日は非番の日だった。

 しかし、急遽、任務が入ることになった。

 なんでも、街の外で魔物が出たとのことで、至急討伐せねばならなくなったそうだった。

 状況は悪いようで、非番の者も今日ばかりは招集されるとのことだった。


 彼は騎士だ。

 だから、こういう事態は常に覚悟していた。


 でも……と思う。


「どうしてこんな時に限って……っ。くそ……っ」


 彼の手の中には、綺麗に包装された四角い箱が持たれていた。


 中には婚約指輪が入っている。


 今日は、大切にしたいと思っている彼女にプロポーズをする予定だった。一生かけて、彼女のことを守りたいと思っていた。


 交際期間はすでに数年になる。

 ずっと先延ばしにしていたプロポーズだった。今日こそ、ケジメをつけて、その誓いをするはずだった。


 それなのに、魔物の出現。

 騎士団長クラスの者たちが数人出陣したとのことだが、先ほどすれ違った同僚の話では、状況は芳しくないという話だった。


 怪我人も、すでに何人も出ているという。


「怖い……」


 当然、彼だって、恐怖を感じる。

 騎士になった彼は、どちらかといえば臆病な騎士だった。それは心優しい人柄のせいでもあり、多くの者が死ぬのを実際に見てきたせいでもある。


 だから、彼は人に優しくすることを心がけていた。

 誰かと接するときには、助け合った方がいい。彼はそんな気持ちの持ち主だった。


 その気持ちから、騎士を目指し、今も騎士として働いている。騎士は命がけの職業だ。


 そんな自分は今日、死ぬかもしれない……。

 街の外に魔物が現れた際、彼はいつも恐怖を感じている。


 特に今日は勘弁して欲しかった。彼女にプロポーズしようと思っていた日だったからだ。

 プロポーズという良い報告をするはずが、悪い報告になってしまうかもしれない。ウエディングドレスを彼女に着てもらいたかったはずなのに、自分が死装束を切る事になるかもしれない。


 そう思うと……やりきれなくなってしまう。

 そして、最悪のことを考えて、これまでの思い出が走馬灯のように駆け巡ってしまう。


 その中のほとんどが、今付き合っている彼女との思い出だ。

 しかし……その中には、昔の懐かしい思い出も見え隠れしていた。


 それは甘酸っぱい、もう掠れてしまった、淡い初恋の思い出。今、付き合っている彼女と出会う前、彼は一人の少女に心惹かれたことがあった。それは名前も知らないたった一度だけ、接点があった子だった。


 その子に心惹かれて以来、彼はどんな相手から言い寄られていても異性と付き合うことはなかった。同性が好きなのではないだろうか……と噂されるほど、彼には他の異性に見向きもしなかった。でも、結局、その初恋の相手と会えたのは一度だけだった。それっきりで、見かけることもなかった。


 そして今の彼女と出会い、心から大切にしたいと想ったのだ。


 だから、守らなければならない。


 思い出の詰まったこの街を。


 愛する彼女がいるこの街を。



「おい……! 見ろよ……! あれ……!!」



 ーーその時だった。


 空が小麦色の光に包まれていた。



「あれは……!」


 恐怖に包まれていた街が、一変していた。そして、人々は見た。街の外で、奇跡が起きている希望の光を。


 それは、先日、この世界を救ったといわれる小麦色の聖女シャノンの奇跡のような光だった。


 それが街の外で、起こっているのだ。


 つまり……。


「……もしかして、助かったのか……!?」


 誰かが言った。

 その言葉には、驚きは含まれていたものの、もう恐怖心はなかった。すぐに確認された事によると、問題が起こっていた街の外の魔物は、謎の光によって対処されたとのことだった。


 その事実に、街は大いに沸き、人々は自分たちが生きている今を喜んで、大切な人に抱擁しながら天に感謝したという。



 * * * * * * *



「私……まだ生き残っていました」


 街の喧騒から遠ざかった空の下、一人の少女が苦笑いをしていた。

 それはとっくに死んだ事になっている聖女シャノンだった。


 お役目を終え、失恋を経験し、つい先ほど、街の外に発生した魔物を自分の命を削って、魔法を発動し、対処したのはシャノンだ。流石に、今の状態で魔法を使ってしまえば、いよいよ力尽きて死んでしまうだろうと思っていたものの、シャノンはまだ生き残ってしまっていた。


 しかも、割とピンピンしている。

 もう生命力も残っていないはずなのに、それでも死なない聖女。それが、聖女シャノンという存在みたいだった。


「やっぱり人というのは、案外しぶとい生き物なのかもしれません……」


 苦笑いをする。


 まあ、いい。


 なんにしても、生き残ってしまったのだ。それは悪いことではない。

 ゆっくりとでもいいから、立派な死に場所を探すために、今度こそ旅立とう。


『ガウガウ……!』


「今度はおいたをしたらダメですよ」


 そんなシャノンの傍には、一匹の魔物の姿があった。何を隠そう、先ほどまで街を襲撃しようとしていた魔物である。

 その魔物は悪しき心に囚われてしまっていたのだが、聖女シャノンの奇跡に当てられて、今は無害な存在となっていた。


 そんな新しいお供を引き連れて、シャノンは歩き出した。一応、一人ではなくなった。一人と一匹、賑やかになった旅立ちだ。



 その日以来、シャノンがどうなったのかを知っている者は誰もいない。

 しかし、各地で何か問題が起きるたびに、ふいに小麦色の光が発生し、瞬く間に人々が救われる奇跡が起きるのだという。


 人々は、大切な人と共にあれることを心から噛み締めながら、その奇跡にたいそう感謝をしたそうだ。




     

      ーー完ーー







 ************:


 これで、一旦区切りになります。


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聖女のお役目が終わった。あとに残っていたのは、やり残していた恋だけだった。 カミキリ虫 @Chigae4449

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