第32話 最高にカッコいい姿を

 デインが、最後の突撃を敢行する。


 一直線に、しかし速度に緩急をつけて、鎧の魔将に迫る。

 最速で飛び込んでくるかと思いきや、一瞬、遅い。

 その動きに惑わされたヴィルガイムが爪撃を空振りさせる。


 それでも、烈風はデインを捉える。

 切り裂かれた左腕から血の飛沫があがる。

 炎による追撃は、やはりない。場に働く水の理の力が強くなったことで、炎の攻撃は弱くなっている。


 その上、デインが手にしている水月は、その力をかつてないほどに高めている。

 今のデインに、火に属する攻撃は一切通じない。


 傷の痛みにも動きを鈍らせることなく、デインはヴィルガイムに肉薄し、水月を振るう。

 刹那の間に四度、青く輝く刃は黒い鎧を打ち据えた。


 打った箇所に亀裂が生じる。――が、それは、亀裂が広がり破砕に至る前に、修復されてしまう。


「私は初めて人間に感謝していますよ! シュナイデル! 彼はいい! 勇者に憧れながら勇者を憎む。そのねじれた精神が、私に最高の力を与えてくれた!」


 デインは攻撃の手を止めない。だが、打っても打っても魔の鎧は砕けない。与えた傷が、瞬時に消えてしまう。


(まったく、現役復帰したてのおっさんを、あんまりいじめるんじゃねぇよ)


 心の中で愚痴りながらも、デインは研ぎ澄ませていく。


 何を? ――覚悟を。


 ヴィルガイムを倒すために必要な力は、ソラが与えてくれた。あとはデイン次第だ。

 さて、ヴィルガイムの修復能力を、どう攻略する?

 思いついた方法は、一つだけ。


 修復速度を上回る速度で、水月を打ち込み続ける。要はゴリ押しだ。

 デインには、ソラのような真実や未来を視る目はない。だが、剣士としての勘が他に方法はないと告げていた。


 歯を食いしばり、肺に、心臓に、全身の筋肉に、力を振り絞れと命じる。


氣炎きえんの法、奥義。――千狼万牙せんろうばんが!」


 かつて勇者と称された時分に編み出した、最速にして最強の剣技を繰り出す。

 青を極めた刃が、人の目では到底捉えきれない疾さで魔の鎧を八方から攻め立てる。


 ヴィルガイムは足を地に据え、両腕を交差させた防りの体勢でデインの奥義を受ける。


 一斬ごとに、身体中が悲鳴をあげる。骨が砕けんばかりに軋む。二十年前の技に、今の自分がついていけていない。

 遅い。軽い。

 二十年前の、全盛期の千狼万牙は、こんなものではなかった。


 水月は確実に魔の鎧を捉えているが、砕くには至らない。生じた亀裂は、やはり瞬時に修復されてしまう。

 腕の隙間から覗くヴィルガイムの眼は、勝利を確信して笑っていた。


 ヴィルガイムも鎧の修復に相当な力を使っているはずだが、デインのほうが先に力尽きるのは明白だった。

 腕も足も、今にも止まりそうだ。肺も心臓も、破裂寸前だ。


 ――限界だ。


 空気を求めて口が開く。

 その口を、デインはすぐさま閉じる。折れるほどにきつく歯を食いしばり、剣を振るい続ける。


(あ、き、ら、め、る、なっ!)


 この程度の危機は、過去に何度も経験している。その度に、乗り越えてきたのだ。

 ――だがそれは、デインが若く、傍らにサクラがいたからだ。

 サクラはもういない。そして、デインは若さを失った。

 今のデインに、かつてのような力はない。

 人は老い、弱くなる。これはあらがえない世の摂理だ。


 ……本当に?


 本当に、そうなのか?

 人は、時間とともに枯れてゆくだけなのか?


(そうじゃねぇだろ!)


 もう一度、勇者をやると決めたのだ。

 今度こそ、本当の勇者になると誓ったのだ。


(俺は、前に進むんだ!)


 前に。

 かつての自分が辿り着けなかった、その先へ。

 加速する。水月の青を極めた刃が、より疾く、より鋭く、より強く、魔の鎧を打つ。


(もっとだ! もっと!)


 加速する。

 一斬ごとに、デインの剣閃が加速していく。

 肉体は、とうに限界を迎えていた。


(限界がなんだ! 限界ってのはな、超えるモンなんだよ!)


 誰よりも、デイン自身がそれを知っている。


(超えろ!)


 限界を。

 今の自分を。

 かつての自分を。

 超えて、前に進め。


(俺はな、見せたいんだよ! サクラに! 俺はもう、大丈夫だって!)


 腕に、脚に、力が満ちる。同時に、無駄な力みが抜けていく。


(見せてやりたいんだよ、ソラに! 俺の、最高にかっこいい姿をな!)


 肺が、心臓が、雄叫びをあげる。沸き立つ血が、全身を駆け巡る。


 奥義、千狼万牙。


 千の狼が万の牙を突き立てる様を思い描いて名付けた技だが、一息の間に千の斬撃を繰り出すことは、全盛期のデインにさえ叶わなかった。

 しかし、今、デインの斬撃は、文字どおり千の狼となって、万の牙をヴィルガイムに突き立てる。


 魔の鎧が、ひび割れ、そして砕けていく。

 一撃では砕けない。一撃目で生じた亀裂が修復されるその前に、二撃目、三撃目を叩き込む。


「あっ、あああ……っ!? あああああ――っ!」


 ヴィルガイムが恐慌の声をあげたが、デインには聞こえていない。

 デインの頭は真っ白だった。

 思考は弾け飛び、ただ無心に剣を振るう。


 若い頃より力は落ちたが、その分、今のデインの剣からは不必要な力が抜けていた。

 そして、無心に至ったことで、デインは『頭』ではなく『身体』で剣を繰り出していた。

 昔に経験した幾多もの激闘、死闘。その記憶を、『身体』は『頭』以上に覚えている。

『身体』に刻み込まれた戦闘経験が、デインの動きを最適に導く。

 全盛期より二十年の時を経て、デインの剣は最速を極めていた。


 魔の鎧が、ヴィルガイムが、粉々に砕けていく。


「嫌だ! 壊れたくない! 壊さないで! あああああ! 嫌だあああああっ!」


 破片をさらに粉砕されて塵となり、ヴィルガイムは冷たい風に流されて、消えた。

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