第29話 それは、最も青く冷たきもの


氷烈槍葬アイシクルランス!」


 水の理に干渉し、空気中の水分から熱を奪って氷を作り出す。

 氷は槍の形状を成して、冷気を放ちながら虚空を滑る。その数は、優に二十を超えている。


「そんなもので!」


 ヴィルガイムには刺さらない。両腕で、軽く払い除けられてしまう。

 だが、ソラは狼狽えない。どのみち、当たったところで魔の鎧に傷はつけられない

のだ。


 二十数本の氷の槍のうち、半分ほどはヴィルガイムに砕かれてしまったが、残りは周囲の地面に突き刺さっている。

 地に突き立った状態でも、氷の槍は冷気を発していた。


 灼熱していた空気が、急速に冷えていく。

 ヴィルガイムの振り撒いた炎によって、この場は火の理が強くなっていた。それが、冷気によって弱まり、逆に水の理が優位になっていく。


「ぬ……!」


 ヴィルガイムが地相の変化に気づいた。

 口から吐き出す熱線。爪撃から生じる炎。ヴィルガイムが火の攻撃を得意としていることは明らかだった。


 ヴィルガイムが試すように爪を振るう。烈風が生じ、その後に炎が発生するが、勢いが弱い。そして、すぐに消えた。

 水の理が強く働いている場所では、相反する属性である火の力は弱くなる。


「ふん、小賢しい真似を。ですが、この程度で私を攻略できるとでも?」


 もちろん、思っていない。

 この場の火の理を弱め、水の理を強めたのは、布石にすぎない。


「水の理よ」


 ソラは胸の前で手を組み、祈りの構えを取った。


「我が祈りに応えよ」


 理に己の魔法力を媒介として干渉し、一時的に支配することによって奇跡を導く。それが、魔法だ。

 しかし、今、ソラは水の理に対し、支配を試みるのではなく祈りを捧げていた。

 人の身では、到底支配しきれないほどの大きな力を導くために。


「水の理よ。我が祈りに応えよ」


 視界が揺らぎ、ソラは片膝をついた。しかし、すぐに立ち上がって祈りを続ける。

 魔法力が水の理に吸い上げられていく。

 魔法力だけでは足りない。足りない分は、命で補う。


「水の理よ。我が祈りに応えよ」


 ソラの周囲で、空気が震えた。


(きた)


 祈りが、届いた。

 水の理が、ソラの全魔法力と命さえ捧げた祈りに導かれて、顕現けんげんする。


「――『青龍せいりゅう召喚』」


 虚空から湧き出た大量の水が、ソラの背後に集まって、太古の神獣を象る。

 その身を水で成す青き龍――青龍。

 水の理そのものが、この世界に於いて物質的に具象化した姿だ。


「青龍だと……!? ありえない! おまえのような小娘に、どうしてこんな大魔法が使える!?」


 ヴィルガイムが白い眼を剥いて叫ぶ。

 驚いて当然だ。


氷烈槍葬アイシクルランス』で場の水の理を強め、青龍が顕現しやすい環境にしたとはいえ、青龍召喚はヴィルガイムの言うとおりの大魔法だ。ソラの身の丈を、遥かに超えている。


 青龍召喚を試みたこと自体、これが初めてだった。

 それでも、ソラには成功するという確信があった。


 眼が――天眼が、教えてくれた。必ず、青龍は顕現する、と。

 ソラは信じた。我が身に宿る、不可思議の瞳の力を。そして、デインの勝利を。


「吼えよ、青龍」


 ソラは前方に向けて片手をかざす。

 応じて、青龍は咆吼する。曙光の丘が震えた。

 青龍の、大きく開いた口腔の奥に、水流が生じていた。

 圧縮された膨大な量の水が、ヴィルガイムめがけてほとばしる。


「小娘が! なめるな!」


 鎧の魔将は、避けるのではなく迎え撃った。

 ヴィルガイムの口から放たれた熱線と青龍の水の吐息ブレスが、真っ向からぶつかり合う。


 熱と水との戦いは、せめぎ合いにもならなかった。

 熱線は瞬時にかき消され、超高圧の水流がヴィルガイムを襲う。

 水流は地を震わせ、砕き、さらに激しく渦巻きながら立ち上り、巨大な水柱と化した。


 水飛沫が横殴りの雨の如く降りしきる。

 ほどなくして、けぶった視界の向こうに、ソラはヴィルガイムの姿を捉えた。

 両腕を交差させた防りの姿勢で立っていた鎧の魔将は、ゆっくりと腕を下ろし――笑んだ。


「少し驚きましたが、この程度では、私に傷一つつけられませんよ。忘れたんですか? 私がかつてこの場所で戦ったのは、勇者デインだけではありません。賢者サクラとも戦ったんですよ。人間にしてはたいした魔法の使い手でしたが、あの女の魔法ですら、私にはたいして効かなかったんです。彼女と比べれば、あなたはまだまだ未熟。せっかくの青龍の力も、まるで引き出せていない。話になりませんよ」


 首を左右に倒し、さすりながら、ヴィルガイムが砕けた地を踏みしめ歩いてくる。


 ソラは崩れ落ちるように、がっくりと両膝をついた。

 まるで命の一部を切り取られたかのような、今までに感じたことのない疲労感に、少女はただ肩で息をすることしかできない。


(わかっています)


 自分が賢者サクラに遠く及ばないということは、よくわかっていた。

 母が毎日のように語り聞かせてくれた勇者デインの英雄譚。それは同時に、賢者サクラの英雄譚でもあったのだから。


(わたしには、サクラ様のようにデインと肩を並べて戦えるだけの力はありません。ですが、わたしはわたしのすべてを賭して、デインを支えると誓ったのです)

「うん? どこを見ているのです?」


 ヴィルガイムが気づく。ソラが自分を見ていないことに。

 ソラの目は――空色の瞳は、目の前に迫る魔人ではなく、彼方に立つ『彼』を見ていた。


「ソラ」


『彼』の声が届いた。


「たしかに、受け取った。あとは任せろ」


 はい、とソラは微笑んで頷く。


(デイン、最高にかっこいいあなたの姿を、わたしに見せてください)


 そんな、ソラの心の声が聞こえたかのように、デインは水月を掲げてみせた。

 

その刀身は、冴え冴えとした青い光をたたえていた。

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