第26話 勇者と魔人


 鏖魔おうま十二将の一人、魔鎧のヴィルガイムが、二十年前と変わらない姿でそこにいた。


「どうして、おまえが生きている……!?」

「そりゃあ、生きていますとも」


 シュナイデルの声に、別の濁った声が重なって聞こえた。


「私は、死んでいなかったんですから」


 デインは奥歯を噛んだ。

 二十年前のヴィルガイムとの戦い。

 魔の鎧を砕くことはできなかったが、鎧の上から攻撃を繰り返してダメージを積み重ね、最後には首を刎ねてとどめを刺した。

 命を断ち切るたしかな手応えがあった。それなのに。


「まさか……」


 デインはヴィルガイムの顔からわずかに視線を下げ、魔の鎧を見た。


「その鎧が、おまえの本体……なのか」

「ご名答! ようやく気づきましたか!」


 二つの声が重なった歪で耳障りな声を、ヴィルガイムは響かせる。


「自らを鉱物と融合させる。それが私の魔術! 魔の鎧とは、すなわち、鎧と融合した私自身なのですよ!」

「そして、着用した者を乗っ取るってわけか」

「理解が早くて結構結構……と褒めてあげたいところですが、実際には二十年もかかっているわけですからね。遅すぎましたねぇ。そのせいで、あなたの相棒の弟が、魔人の宿主にされてしまいましたよ!」

「……っ!」


 怒りに目を剥き、水月を握る手に力を込めたデインを制したのは、ソラだった。


「デイン、挑発に乗らないで」


 ソラの声は、水のようにデインの心に染み入り、怒りの熱を冷ました。


「ああ、大丈夫だ」


 デインはソラを下ろし、ヴィルガイムの笑みを睨む。


「どうして、シュナイデルなんだ」

「私が、彼を宿主に選んだ理由を訊いているのですか?」

「そうだ」

「波長が合ったからですよ。私はね、波長が合った相手しか宿主にできないんです。彼はいい。実によかった。私と同じ感情に心を焼いていましたからね。……あなたへの憎しみですよ」


 ヴィルガイムは刃物のように目を細めて言った。


「人間でありながら世界を救った英雄を憎悪する。歪んでいますよねぇ」

「そいつが俺を憎むのは当然だ。歪んじゃいねぇよ」


 ふん、とヴィルガイムはつまらなそうに鼻を鳴らした。


「殊勝なことを言ったってダメですよ。私だって、あなたにこっぴどく痛めつけられたおかげで、十年以上も眠りっぱなしだったんです。あなたが憎くて憎くてたまらないんですよ……!」

「つまり、おまえの俺への憎悪が、シュナイデルを引き寄せたのか」

「そのとおり。彼は自分の力不足に思い悩んでいました。来るべき戦乱の時代を、今の自分の力で抑えられるのか、とね。まあ、人間にしてはなかなかの使い手だとは思いますよ? しかし、所詮は人間。少々剣の腕が立つ程度では世界を救うなんてできやしないと、彼はよくわかっていたんです。ああ、同じ人間でも、あなたは別格ですよ? あなたは本物の化け物だ」


 くっくっくっ、と喉を鳴らして、ヴィルガイムは続ける。


「私は、宝物庫を訪れた彼に呼びかけました。私を着れば、無敵の力を得られると。共に勇者デインに復讐をしよう、とね」

「……応じたのか、シュナイデルは」

「いいえ。何度拒絶されたことか。ずいぶん必死に私を破壊する方法を探していたみたいですね。ですが、私を破壊する術は見つからず、私は諦めなかった。得意なんですよ、私。人間の心の弱みに付け込むのが。彼の弱みはあなたです。勇者デインへの嫉妬と憎悪。そして、劣等感。彼は正しく理解していたんですよ。自分がどれだけ腕を磨いたところで、本物の化け物であるあなたには及びはしないとね。私は彼の劣等感を刺激し続けた。彼は日に日に憔悴していき、ついに私を受け入れたのです」

「…………」

「とはいえ、あなたも知ってのとおり、人間に魔人の武具は使えません。そこで」

「魔人の血を摂取させたのか」


「何事にも抜け道はあるってことです。魔人の血を宿した彼は、身も心も私の支配から逃れられなくなりました。本人は私を利用しているつもりだったようですがね。時間も手間もかかりましたが、おかげでいい肉体が手に入りましたよ」

「……シュナイデルの意識は今、どうなっている」

「眠っていますよ。ずいぶん、うなされているようですが。……くっくっくっ」

「何がおかしい」

「人間という生き物は実に脆弱だ。身体も心も、実に簡単に壊れる。そうそう、もう一つ、いいことを教えてあげましょうか。ちょうどソラ姫様もいらっしゃることですしね。姫様の御父上……アズール国王の現状です」


 デインは横目でソラを見た。

 ソラは動揺する素振りは見せず、何も言わず、まっすぐにヴィルガイムを見ている。


「国王は眠っています。私がシュナイデルに作らせた薬でね。ああ、安心してください。死にはしませんよ。肉体の時を止めているので、飲まず食わずでもいつまでも生き続けます。ただし、金輪際、目を覚ますことはありませんがね」


「貴様っ!」


 怒声をあげたラシャを、デインは片手で制する。


「国王も、ずいぶん悩んでいたみたいですよ。妻の愛が、自分に向いていないのではないか、とね」

「……なに?」

「王妃フェリナは、今も勇者デインに恋い焦がれている。これは、城の誰もが知っていることです。違いますか? ソラ姫様」


 ソラは答えない。


「国王は王妃を愛していましたが、自分が王妃から愛されているかどうかは、自信がなかったんですねぇ。王妃が勇者デインと凡庸な自分を比較し、落胆しているのではないかと疑心暗鬼にかられていました。私がシュナイデルに作らせた薬は心の弱い者にしか効かないんですが、国王には効果覿面でしたよ」


 ソラは何も言わない。ただ、空色の瞳が、寒気がするほどの冷たい光を帯びていることにデインは気づいた。


「何もかもあなたのせいですよ、勇者デイン。シュナイデルも国王も、あなたに追いつめられたんだ」

「…………」


 デインは思い出す。

 二十年前、デインがアズールの王城を去った日のことを。

 あの日、誰にも何も告げず、夜も明けきらないうちに城を出ようとしていたデインの背中に、声をかけてきた者がいた。フェリナだ。


 デインにとって、フェリナは一番顔を合わせにくい相手だった。デインはフェリナから、「助けていただいたあの日から、ずっとお慕いしておりました」と好意を告げられ、そんな彼女を袖にしていたからだ。


「行ってしまうのですね」

「……はい」

「行かないで、とは言えません。あなたがここを去る理由は、わかっているから」

「…………」

「引き留めることができないのなら、せめてついていきたい。何もかも投げ捨てて、ただの一人の女として、あなたの傍にいたい。……でも、私は、それを選べない」

「姫……」


 デインは振り返り、フェリナを見た。

 空色の髪の可憐な王女は、髪と同じ色の瞳に涙を浮かべていた。


「私はアズールの王女。この国で成すべき務めがあります」


 デインは頷いた。


「あなたはアズールの光だ。どうか、この国の未来を明るく照らしてください」

「はい」


 頷いたフェリナの頬を、涙が伝う。

 泣きながら、それでも彼女はたおやかに微笑んだ。


「さようなら、勇者デイン。また会う日まで、どうかお達者で」


 フェリナの、世界一美しい笑顔に見送られて、デインはアズールを去った。


(そうだ……)


 フェリナは自分の立場を、務めを、正しく理解していた女性だ。


「俺は国王の人柄を知らない。それでも、フェリナ様は王妃として国王に敬意を抱き、妻として夫に愛情を注いでいたはずだ」

「母は」


 ソラが口を開いた。


「母は、父を愛していました。娘であるわたしが、一番わかっています」


 ヴィルガイムは白目をすがめ、口の端を歪めた。


「仮にそうだとしても、それが夫に伝わっていなければ意味がありませんよねぇ」

「おまえの言ったとおり、人ってのは弱い生きモンだ。目の前の、一番信じなきゃいけないはずのものさえ、疑っちまうことがある。信じるってのは、それだけ難しいことなんだよ」


 デインはソラの頭にぽんと手を載せた。

 信じることは難しい。だからこそ、まっすぐに寄せられる信頼は尊く、時として、どん底から救われることもある。


 ソラの信頼が、自分を救ってくれたように。


「同じ男として、国王には同情するぜ。フェリナ様みたいなとんでもない美人が嫁さんなんて、そりゃ気後れもするってもんだ。フェリナ様に見合う男なんて、この世界のどこにもいやしないんだからな」


 言って、デインはソラの髪をぐしゃっと撫でた。

 ソラはデインを見上げ、笑みを見せる。


「ふん……あなたたちが何と言おうと、国王も、そしてシュナイデルも、その脆弱な心故に私に支配されている。それが事実。アズール王国はおしまいです」

「おまえは、アズールを滅ぼしたいのか」

「それはもう。人という種のすべてを憎悪し、その生命を踏みにじることを美徳とする。それが、私たち魔人の性です。あなたには、誰よりもわかっているはずだ」

「……ああ、そうだな」


 人と魔人は、どこまでいっても相容れない。決定的に価値観が違うのだ。

 二十年前の魔王軍との戦いで、デインは嫌と言うほどにそれを思い知らされた。


「かつてこの場所で私はあなたに倒された。あなたは勇者と称され、人間どもの希望になってしまった。私の敗北が、人間どもの反撃の契機になってしまった。この汚名は、あなたの死だけでは濯げない。アズールの民を皆殺しにして、その血で濯がせてもらいますよ」

「させないさ。俺が……いや、俺たちが、おまえを止める」


 デインはソラを見た。ソラもデインを見上げていた。

 空色の髪と瞳の少女に、デインは言う。


「ソラ。一緒に戦ってくれ」


 ソラは微笑み、頷く。


「デインの心のままに。共に戦えることを誇りに思います」


 そして、ヴィルガイムに向き直る。

 デインは水月を軽く掲げ、後方のラシャに振り向くことなく声を飛ばす。


「ラシャ! おまえの力が必要だ!」

「この命に代えて、デイン殿の剣となり盾となってみせましょう!」


 張りのある声が返ってきた。


(頼もしいが、命には代えてくれるなよ)


 苦笑しつつ、デインはヴィルガイムを見据える。


「シュナイデルを返してもらう。国王もな」

「自分を憎み、殺そうとした者を救うというのですか?」

「救うさ。それが勇者だ」

「勇者!」


 ヴィルガイムの大音声が、曙光の丘を揺らした。


「勇者勇者勇者! まったく忌まわしい響きだ! 我ら魔人にとっての最悪の天敵! だが、老いて衰えたあなたは、もはや私の敵ではない!」


 全身に力を漲らせたヴィルガイムの体躯が、鎧ごとさらに一回り肥大する。


「――死ねぇ!」


 叫び、開いた口腔の奥に、不吉な赤い光が灯る。

 デインはソラを抱えて跳ぶ。


 再び、曙光の丘を熱線が切り裂いた。

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