第25話 魔の鎧


「もう、終わりにしよう」


 呟いて、息を吸う。細く、深く。


(命よ、燃えろ)


 己の生命を炎に見立て、肺に溜め込んだ空気を燃料にして燃え上がらせる。――氣炎きえんの法。

 心臓が激しく脈打つ。増えた血が全身を駆け巡り、力が漲る。


 シュナイデルが振り返るのと同時に、デインは地面を蹴った。増強された脚力が爆発的な加速を生む。

 瞬きよりも疾い、まさに刹那の間に、デインはシュナイデルの背後に回り込んでいた。


 シュナイデルの白と黒の目は、脇を駆け抜けるデインの姿をしっかり捉えていた。

 本来の彼であれば、迎え撃つこともできたはずだ。しかし、冷静さを失い、歪な強化によって疾さを犠牲にしてしまった今は、一歩も動けなかった。


「氣炎の法、奥義――千狼万牙せんろうばんが


 水月の青い刃が、虚空に無数の剣閃を刻んでシュナイデルを打ち据える。

 その数は優に百を超える。

 千の狼が万の牙を突き立てるが如くの怒濤の連続斬撃。故に、千狼万牙。


 氣炎の法によって極限まで身体能力を高めて繰り出す剣閃は、その一撃一撃が必殺の威力を誇る。

 デインが唯一名前をつけた技であり、そして、二十年前に魔王グインベルムにとどめを刺した技でもある。


(いっ……てえっ!)


 氣炎の法を使用した状態で全身全霊の大技を放てば、肉体にかかる負荷は尋常ではない。

 身体中の筋肉が引きちぎれるような痛みに、デインは心の中で悲鳴をあげた。

 だが、当然、千狼万牙を喰らったシュナイデルの痛みは、その比ではない。


「――っ!」


 シュナイデルは悲鳴すらあげられず宙を舞い、為す術もなく地に落ちた。

 歯を食いしばって激痛に抗いつつ、デインはシュナイデルに意識を向ける。


「ぐ……あ……が……っ!」


 仰向けに倒れた格好のシュナイデルは、目を剥き、苦しげに喘いでいる。四肢は脱力し、完全に戦う力を喪失していた。


「やった……か」


 二十年前の――全盛期の千狼万牙であれば、斬撃の数は軽く三百を超えていた。

 今は、その半分にも届いていなかったが、どれだけ屈強でもシュナイデルは人間だ。強固な鎧で守られているとはいえ、デインの全力の斬撃を百回以上も浴びて、立ち上がれる道理はない。

 しかし。


(鎧は……残ってるのか)


 シュナイデルが着ている白い鎧は、全体に深いヒビが生じてはいるものの、砕けてはいなかった。

 水月でさえ容易に切り裂けない敵は過去にもいたが、ここまで頑丈な鎧はあっただろうか。

 ……あった。心当たりが、一つだけ。


「どう、して……だ。はな、しが、違う……」


 苦しげに喘ぎながら、シュナイデルは声を発する。


「俺は、無敵、に……最強に、なったんじゃ、ないのか……」


 デインは眉を顰める。


「何を言っている?」

「契約を、果たせ……」


 音もなく、黒いもやが上った。――シュナイデルの、白い鎧から。


「……!?」


 仰向けのまま、シュナイデルの身体がふわりと浮いた。

 中空で緩慢に起き上がり、ゆっくりと地に降り立つと、鎧の色が変わり始めた。白から黒へ。


 変色の過程で、デインの奥義が刻んだヒビが靄を発しながら修復されていった。

 さらに、肩や手甲部分、脚部からは鉤状の棘が生えた。

 その鎧に、その禍々しい鎧に、デインは見覚えがあった。


鏖魔おうま十二将……ヴィルガイム」


 水月でも容易に切り裂けなかった敵の中で、最も硬かった敵――それが、鏖魔十二将の一人、魔鎧まがいのヴィルガイム。


 ヴィルガイムの最大の武器は、鎧だ。鎧が武器というのは、決して語弊ではない。


 魔鎧という異名の元となった、ヴィルガイムの纏う魔の鎧は、デインの剣撃でもサクラの魔法でも破壊できなかった。

それはつまり、人間の力では絶対に破壊できない鎧といっても過言ではない。


「そうか……魔の鎧か。どうりで見覚えがあるわけだ」


 もっと早く気づくべきだった。

 水月でも切り裂けない鎧。そして、この場所。

 ヴィルガイムは、デインが初めて倒した鏖魔十二将であり、その戦いの舞台となったのが、ここ、曙光の丘だった。

 まさか、という思いはあったものの、鎧の色と形状が違っていたために、確信には至らなかった。


「ああ、そうだ。ようやく気づいたか」


 シュナイデルが笑う。

 立ち上がれないほどのダメージを受けているはずなのに、地を踏む足にはしっかり力が入っているように見える。表情にも声にも張りがある。

 鎧がシュナイデルに力を与えていつのは明白だった。


「その鎧は――」

「アズール王城の宝物庫に保管されていたよ」


 デインがヴィルガイムを倒した後、魔の鎧はどうなったのか。

 破壊することは叶わず、魔人の武具――魔人器を人間が扱うことはできない。ならば、警備が厳重な場所で保管するしかない。それが、アズール王城の宝物庫だったということだ。だが、デインが知りたかったことは、シュナイデルが魔の鎧をどこで手に入れたのかではない。


「どうして、おまえがその鎧を着ているんだ」


 魔人器は、人間には決して扱えない。

 魔人器を使った人間は呪われる。その末路は悲惨だ。もがき苦しんだ末に死ぬか、人ならざるものに成り果てるか、そのどちらかだ。原理はわかっていないらしいが、例外はない、ということだけははっきりしている。


 それほどに、人にとって魔人器とは危険なものなのだ。

 なのに、何故。


「デイン!」

「デイン殿!」


 ソラとラシャの声がデインの背中に届いた。

 デインは目は正面に据えたまま、意識の半分を後方に向ける。

 駆けてきたソラとラシャが、シュナイデルの変貌に息を呑む気配が伝わってきた。


「知りたいのなら、教えてやる。魔人の血を飲んだんだよ」

「……!?」

「生け捕りにした魔人の血を、毎日、少しずつ、な。初めは一滴。次の日には二滴。……一滴ずつ、量を増やしていった。そうやって、この身を魔人に近づけていったのさ」


 デインは愕然とした。

 二十年前には、魔王軍の側に与する人間とも何度も戦った。魔人器に手を出し、命を落とした者も化け物に成り果てた者も見てきたが、魔人の血を摂取することで魔人器の呪いを克服しようとした者は、さすがにいなかった。


「なんだって、そんな方法を……」


 いや。


「どうやって、そんな方法に行き着いたんだ……!?」

「ハッハッハッ!」


 シュナイデルは笑い声を響かせながら、鎧の胸当て部分に触れた。


「こいつに教わったのさ」

「なんだ、そりゃ。鎧に意志があるとでも――」

「あるさ! あるある、あああ、あるあるるる!?」


 突如、シュナイデルの口調がおかしくなった。


「あ、あ、あるぇ?」


 おかしくなったのは口調だけではなかった。黒い右目が大きく見開かれ、眼球が激しく震えている。


「あ、が……が……っ!」


 シュナイデルは右目を手で押さえ、悶え始めた。


「ああ、あ……があああっ!」


 シュナイデルの指の隙間から見えた光景に、デインは戦慄した。

 震えていた眼球がぐるりと裏返ったのだ。

 右目も、左目同様に白くなったシュナイデルは、剣を取り落とし、両手で頭を抱えた。


 苦しんでいる。明らかにもがき苦しんでいるにもかかわらず、シュナイデルの表情は、笑っていた。


「シュナイデル!」


 デインが名前を呼ぶと、シュナイデルはデインに顔を向け、大きく口を開けた。

 その喉の奥に不吉な赤い光が灯っているのを視認したデインは、


「避けろ!」


 叫びつつ地面を蹴った。ソラを片腕で抱きかかえ、跳ぶ。

 赤光が一直線に地表を切り裂く。

 一瞬遅れて、轟音と共に焼けつくような衝撃波が曙光の丘を薙いだ。

 凄まじい威力の熱線。まともに喰らっていたら――否、かすっただけでもひとたまりもない。


「姫様!」

「こっちは大丈夫だ」


 ラシャに、デインは水月を掲げて応える。

 熱線の射線上にいたのはラシャも同じだが、しっかり自力で避けていた。


「デイン、あれはシュナイデルではありません」

 ソラがデインに抱えられたまま、言った。


「ああ」

 デインは頷く。


 あの熱線には覚えがある。二十年前にも、曙光の丘を切り裂き、焼いた攻撃だ。

 灼熱する空気に顔を歪めつつ、デインは敵を見る。

 煙と陽炎の向こうからゆっくりと歩み出てきたシュナイデルは、もはやシュナイデルではなかった。


 その体格は、さらに二回りほども肥大していた。肌の色は青黒く変色し、左右のこめかみのあたりから、前方に向かって歪な形状の角が生えている。


「ヴィルガイム……!」


 鏖魔十二将の一人、魔鎧のヴィルガイムが、二十年前と変わらない姿でそこにいた。

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