第23話 貴様が勇者を語るな
シュナイデルの剣は、
疾風の如く疾く、烈風の如く鋭い。暴風さながらに荒れ狂ったかと思うと、無風のようにつかみどころがなくなる。
ただ強いだけでなく、巧みだ。
幾多もの死線をくぐり抜けて磨き抜かれた腕であることがわかる。
「どうした、勇者デイン! 貴様の力はその程度か!」
一瞬でも集中を欠けば、その刹那に切り刻まれてしまいそうなほどの超高速の連続斬撃を、デインは辛うじて
攻撃の疾さも、重さも、シュナイデルのほうが上だ。
それでもどうにかデインが対応できているのは、精霊刀・水月のおかげだった。
水の精霊の力を宿す水月は、敵の攻撃を、まさに水に流すように受け流す性質を有している。この性質によって、水月は使い手を守りつつ、無敵に近い強度を誇る。
「ぐ……っ!」
だからといって衝撃を無にできるわけではなく、一撃受けるごとに、デインの体力は削られ、鈍い痛みが全身に蓄積していく。
「弱い! 弱い弱い弱い弱い弱いっ!」
猛撃に耐えかねて、水月が腕ごと頭上に弾かれる。
がら空きになったデインの鳩尾を、シュナイデルの拳が打ち据えた。
「がはっ!」
呼吸と、そして心臓が一瞬止まる。
踏ん張ることもできず、デインはその場に崩れて両膝をついた。
そのまま前のめりに倒れることは免れたが、それはデインの意志によるものではない。白髪頭をシュナイデルに鷲掴みにされて、倒れさせてもらえなかったのだ。
「まだだ。まだまだ、こんなものじゃ、貴様の罪は到底購えない」
髪を容赦なく引っ張られ、力ずくで立たされる。髪がぶちぶちとちぎれた。
「おっさんの、髪を……
「ほう。軽口の余裕があるのか」
シュナイデルはデインの髪を放し、その手で、今度はデインの腹を殴り――。
「……!」
白い左目だけを見開いた。
シュナイデルの拳は、デインの腹に突き刺さる直前で、デインの掌に阻まれていた。
痛む肺でどうにか呼吸しつつ、デインはシュナイデルの拳をつかむ手に力を込めた。みしり、と骨が軋む。
「離せ!」
剣を振りかぶったシュナイデルの顔面に、デインは頭突きをかます。
鈍い打撲音が響く中、仰け反ったシュナイデルは、デインが拳を放すと、そのまま後ろによろめいた。
「貴、様……っ!」
片方の手で顔を覆い歯を軋ませるシュナイデルの額からは、血が流れ出ていた。
「よく、それだけの強さを身につけたな。たいした奴だよ、おまえは」
「なに……?」
「誰か、師匠はいるのか?」
デインの質問の意図を計りかねたのだろう。シュナイデルは焼けつくような目でデインをしばらく睨んだ後に、答えた。
「……我流だ」
「そうか。我流でそこまで。本当に、たいしたものだ」
デインの質問に深い意味はなかった。ただ、知りたかったのだ。シュナイデルという男のことを。
「おまえが強くなったのは、俺を殺すためなのか」
「違う」
シュナイデルは、今度はきっぱり答えた。
「姉さんのためだ。姉さんが命と引き換えに守ったこの世界の平和を守るために、俺は強くなったんだ」
「サクラの……?」
「全部、貴様のせいだ!」
突然、シュナイデルの姿が消えた。
否、消えたと見紛うほどの疾さで動いたのだが、デインの目はシュナイデルの動きを捉えていた。
(左後ろ……!)
見えているとはいえかわすまでの余裕はない。
斜め後方からの斬撃を、デインは水月を大きく振りかぶることで防いだ。――が、水月を以てしても衝撃を完全に受け流すことはできず、身体ごと吹っ飛ばされた。
受け身を取りつつ地面を転がって、すぐに立ち上がる。
「……っ」
腕の芯に痛みと痺れがきた。それほどに強烈な一撃だった。
「姉さんが守ったこの世界を、貴様は捨てた! その結果、どうなった!?」
シュナイデルの怒号が、デインを叩く。
「魔王軍の残党が暴れ回って、多くの血が流れた! 貴様が雲隠れしなければ、奴等も貴様を怖れて多少は大人しくしていはずだ! 貴様が戦い続けていれば、死なずにすんだ者は大勢いた!」
わかってるさ、とデインは心の中で返す。
デインが戦い続けていれば、救えていたかもしれない人々。デインにとって、その象徴はラシャだ。
ルーベの村での戦い以来、ラシャは自分を師のように敬ってくれるようになったが、だからといって彼女への罪悪感は消えてはいない。
「貴様が世を捨てた影響は、それだけじゃない! 魔王軍の残党が暴れ回っていた頃は、まだマシだった。奴等もあらかた退治されて、そしてどうなった!? 次に始まったのは、人間同士の争いだ! 大陸の西側では四つの大国が覇を競っている! その戦火は大陸中に燃え広がりつつある! 貴様がアズールの王か将軍にでもなっていれば、こうはならなかった!」
そうかもしれないな、とデインは心の中で返す。
魔王を打ち倒し、世界最強の存在となったデインが、王にせよ将軍にせよ、正式な形でアズール王国に属していれば、アズールは大陸一の強国となっていただろう。
あるいは、大陸を支配することさえできていたかもしれない。
デインにとって、それは最も憂いた事態だった。
勇者が戦争の抑止になるべきだったとシュナイデルは言いたいのだろう。だが、抑止とはすなわち脅威と同義であると、デインは思う。それでは、世界を脅かす存在が魔王から勇者に替わっただけではないか。
「何もかも貴様のせいだ! 姉さんが守った世界を、貴様が壊した! だから、俺が!」
再び、シュナイデルの姿が消えた。
今度は、右側面から。どうにか反応し、水月で受けたデインだが、やはり衝撃を殺しきることはできずに吹っ飛ばされた。
殴りつけるような、力任せの一撃だった。
「俺が勇者になって、大陸を統一する! 姉さんが守った平和を、俺が守り続けていくんだ!」
「……そのために、おまえは戦争の準備をしているのか」
デインは立ち上がり、水月を構えた。
「そうだ! まずは大陸の東部を統一し、西側にこちらから攻め込む! 勇者の力の前に、すべてがひれ伏すのだ!」
「……それは、もう勇者じゃねぇだろ。勇者ってのは、暴力と侵略から人を守るためにいるんだ。その勇者が侵略者になってどうする」
「勇者であることを捨てた貴様が、今更、勇者を語るな!」
「…………」
シュナイデルの言うとおりだ。
魔王軍の残党との戦い。さらにその後の平和の維持。シュナイデルがやっていることは、本来であればデインが成さなければならなかったことだ。いわば、シュナイデルはデインの尻拭いをしているのだ。
シュナイデルにすべてを負わせてしまったデインに、今更、勇者とはかくあるべし、などと語る資格はない。
もう、手遅れなのだ。デインとシュナイデルは言葉で語り合う機会を逸した。
もしも、サクラが生きていたなら、デインとシュナイデルはもっと別の形で出会い、師匠と弟子に、あるいは兄と弟のような関係になれていたのかもしれない。
だが、そうはならなかった。それが現実だ。
言葉で語ることができないのであれば、刃を交えるしかない。
元より、デインは剣士だ。剣以上に語れるものを持ち合わせてはいない。
息を整えつつ、水月の切っ先をシュナイデルに向ける。
「なんだ、その目は。もう実力差は十分に理解したはずだ。勇者の成れの果てでしかない貴様は、真の勇者である俺には勝てない」
「…………」
デインは、ただ静かに息を整える。
そのデインの態度を余裕と受け取ったのか、シュナイデルは声を荒げた。
「罪人め! この俺が裁きを下してや――!?」
シュナイデルは最後まで言えなかった。
言葉の途中でデインが動いたのだ。
デインは、シュナイデルから見て、大きく左方向に走った。
「逃げる気か!」
シュナイデルの視界ギリギリのところで、デインは進路を変えた。今度は、シュナイデルから向かって右――つまりは、逆方向へと。
(逃げやしないさ)
視界いっぱいまで走って、さらに進路を変える。再び、左へ。
「ぬ……!」
右へ、左へ、右へ。デインは蛇行を繰り返す。初めは一定のリズムで。次第に、動きに緩急をつけながら、シュナイデルとの距離を詰めていく。
「そんな動きに惑わされるものか!」
シュナイデルが声をあげたその瞬間、デインは軌道を変えた。蛇行から直進に。
真っ正面からシュナイデルに肉薄する。
水月の青い刃が頬をかすめ、シュナイデルは双眸を見開いた。
デインの繰り出した突きは疾かったが、シュナイデルであれば簡単に避けられたはずだ。にもかかわらず、まったく反応できなかったのは、左右の動きに目を慣らされた状態からの、突然の縦軸への動きの変化に、一瞬、身体が硬直してしまったからだ。
頭ではわかっていても、身体がついていかない。相手の動きをしっかり目で捉えているほど――つまりは達人ほど、ひっかかってしまう。
すーっ、と細く息を吐きながら、デインは突き出していた水月を引いた。
シュナイデルの頬の傷から、血が流れ出る。
「貴……様……っ!」
シュナイデルが声を震わせる。
「なぜ、喉を突かなかった……!?」
デインは答える。
「勇者は人を殺さない」
「ふ……」
シュナイデルの黒と白の双眸が血走り、怒りの赤に染まっていく。
「ふざけるなあっ!」
力任せに薙ぎ払われた剣を、デインは飛び退いてかわす。
「殺す! 殺す殺す殺す殺す殺すっ! 殺してやるっ!」
怒気を爆発させて、シュナイデルが突進してくる。
デインは水月を静かに構えて迎え撃つ。
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