第22話 賢者の弟


「俺はシュナイデル! 賢者サクラの弟だ!」


 シュナイデル。

 初めてその名前を聞いた時、デインは小さなひっかかりを覚えた。

 シュナイデルは、数百年前の勇者の名だ。だが、それとは別に、どこかで誰かがその名前を口にしていた。


 今、ようやく思い出した。

 サクラだ。


 孤児院で育ったサクラは、同じ孤児院で暮らす子供たちのことをよく話していた。

 その中に、シュナイデルという名前もあった。


(私の弟にね、シュナイデルっていう子がいるの。あ、弟っていっても、血が繋がってるわけじゃないよ。同じ孤児院の子。その子はね、他の子たちに名前のことでよくからかわれてたの。ほら、シュナイデルって、昔の勇者の名前でしょ? 弟のシュナイデルはね、虫も殺せないような優しい子なの。だから、剣術とか、そういう荒っぽいことには向いてないって思ってたんだ。でもね、私が魔法使いになりたいって夢を話したら、シュナイデルはこう言ったの。姉さんが魔法使いになるなら、僕は勇者になるって。ねぇ、デイン。この戦いが終わったら、あの子に会ってあげて。そして、勇者のなんたるかを教えてあげてほしいの。デインなら、きっとあの子を導いてあげられると思うんだ)


 今の今まで忘れていた。


「賢者サクラの弟!? デイン殿! シュナイデル将軍とデイン殿は既知であったのですか!?」

「いや……」


 ラシャの問いかけに、デインは喉元を伝う汗を手の甲で拭いつつ答える。


「知り合いってわけじゃない。ただ、サクラの弟……同じ孤児院で育った弟分に、そんな名前の奴がいた」


 拭った汗の冷たさに、デインは身震いした。


「ソラ様、貴女には心から感謝している」


 シュナイデルが腰に吊した剣を抜いた。

 陽光にかざされた刃が、精霊真銀ミスリル特有の青みを帯びた輝きを放つ。


「その男を、俺の前に連れてきてくれたのだからな!」


 声を響かせながら、シュナイデルは自らが跨がる馬の首を剣で刎ね、その背から飛び降りた。

 馬が首の切断面から血を噴いて倒れる。

 真白い髪と鎧を、そして横顔を血に染めて、シュナイデルは凄惨な笑みを浮かべる。


「な……!?」


 その様相に、ラシャはたじろいだが、ソラは表情を動かさない。


「二度、刺客に襲われました。デインが暮らしていた山とルーベの村で。あれは、わたしではなくデインを狙ったものだったのですね」

「ええ。老いたその男のさびを、少し落としてやろうかと思いましてね」

「そんなことのために、あの村の人たちを犠牲にしたのか」


 デインは一歩前に出た。


「錆びついた貴様を殺しても、面白くないからな。どうだ? 少しは錆が落ちたろう?」

「おまえの目的は、俺への復讐か」

「復讐? そんな安い言葉で片づけられるものか。だが、貴様を生かしてはおかない。姉さんを死なせた貴様には、俺がこの手で惨たらしい死を与えてやる」


 デインは片方の手で顔を覆った。

 またしても、過去が牙を剥いてきた。

 サクラを死なせてしまったという、デインにとっての最大の罪に対して、シュナイデルという罰が現れた。


「とんだ逆恨みを!」

「待て」


 抜刀の構えを見せたラシャを制して、デインはさらに一歩前に出た。


「あいつとは、俺一人で戦う」

「デイン殿!」

「頼む」


 デインはラシャに言い、そしてソラを見た。

 ソラはデインの視線をまっすぐ受け止め、頷いた。


「デインの心のままに」

「姫様!」

「恩に着る」


 デインはソラに感謝し、ラシャに目で「すまん」と詫びて、シュナイデルに向き直る。


「見くびられたものだな。だが、一騎打ちは望むところだ」

「見くびっちゃいないさ。おまえが強いってことは、気配だけでもわかる」

「ほう」


 シュナイデルは目を刃物のように細めた。


「相手の技量を見抜く程度のことはできるか。ならば少しは楽しめそうだ!」


 シュナイデルの闘気に草花が震える。

 水月の柄に掛けたデインの手も震えていた。


 怖かった。

 シュナイデルが、ではない。

 この二十年の間、目と耳を塞いで、見えないように聞こえないようにしたものと向き合うことが、怖ろしかった。

 だが、逃げたいとはもう思わなかった。


 すべてを救うと決めた。ならば、すべてと向き合わなければならない。

 デインは水月を抜いた。水月が陽光を浴びて放つ輝きは、シュナイデルの剣にも増して青い。


 細く細く、深く深く、デインは息を吸い込む。

 シュナイデルの吸気もまた、深い。

 

 そして。

 

 吸気が呼気に転じるのと同時に、デインは、シュナイデルは、動いた。


 かつて勇者と呼ばれ世界から忘れられた男と、今まさに勇者と称えられる男が、刃を交える。


 曙光しょこうの丘に、高い金属音が響き渡った。

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