第20話 この人のために生まれてきた
「勇者様っ」
声を弾ませたソラが、デインの前に回り込んできた。
「な、なんだよ」
「とってもかっこよかったです」
「ん?」
「今度こそ、真の勇者に、俺はなるっ!」
ソラは拳を高く掲げ、先ほどのデインの言葉を模倣した。
「な……っ!?」
「わたし、感動しちゃいました!」
「私も、感服致しました」
身体を引きずるようにして歩み寄ってきたラシャが、ソラに追従した。
ふたりはデインがそうしたように拳を胸に当て、声を揃えた。
「「それが、俺の……幸せだっ!」」
「やめろーっ!」
叫んで、デインはむせた。
「おまえら、おっさんをいじめるなよ……」
「いじめるだなんて、そんな。わたしはただただ嬉しいんです。愛する人のかっこいい姿を目の当たりにできて」
臆面もなく言うソラに、デインは「ぐ……」と呻いた。
「わ、わからん」
デインは顔を背けつつ、ソラに訊いた。
「なんだって、俺みたいなおっさんに、あんたみたいな若い娘が……その、恋だの愛だのなんて、そんな感情を抱けるんだ? 俺には、さっぱりわからん……」
「愛に理由が必要でしょうか?」
「ひ、必要だ! そういうものじゃないのかもしれんが、必要ということにしてくれ!」
二十年もの間、ロクに人と関わらずに生きてきたために、デインは異性どころか人そのものへの耐性が著しく低下している。
そんなデインにとって、娘のような年頃の少女から向けられる好意は、不可解すぎて、怖ろしくなってしまうのだ。
ソラは、フェリナからかつてのデインの活躍を、何度も聞かされたと言っていた。ソラにとって、つまりデインは御伽噺の英雄なのだ。
御伽噺の英雄に憧れるのは、理解できる。憧れ。そう、憧れなのだ。デインに対するソラの感情は。それを、年頃のソラは、恋と勘違いしてしまっているのだ。
「わたしは、母が語ってくれる勇者デインの冒険譚が大好きでした。憧れずにはいられませんでした。勇者デインに会いたいという思いで、いつしかわたしの小さな胸はいっぱいになっていました。……あっ、小さな胸というのは、あくまでも比喩ですよ?」
「ん……?」
「……あまり、大きくはないかもしれませんが」
デインは横目でソラを――ソラの胸を見た。
……たしかに、お世辞にも大きいとは言えないかもしれない。
ソラはフェリナによく似ているが、フェリナと比べるとソラは肉付きが薄いように見える。とはいえ、ソラはまだ十五歳だ。もう二、三年もすれば、かつてのフェリナのような、か細くも豊かな曲線を描いた肢体の持ち主に成長するのかもしれない。
(小娘相手に何考えてんだ、俺は!)
デインは頭を振ってソラから視線を背けた。
「勇者様?」
「な、なんでもない。続けてくれ」
「はい。……わたしは勇者様に憧れ、そして、恋をしました」
「ま、待て。憧れはわかる。だがな、会ったこともない相手に恋ってのは、やっぱ違うだろ」
「そうでしょうか?」
「あんたが、こ、恋した相手は、フェリナ様が語った勇者デインであって、本物の俺じゃないはずだ」
ソラが、くすっと笑う。
「わたしも同じように思っていました。実を言うと、ほんの少しだけ不安だったのです。本物の勇者様が、わたしの想像する勇者様と、大きくかけ離れていたらどうしよう、と」
「実際、違ったろうが」
「いいえ。あの日、勇者様と初めてお会いしたあの時、不安は一片も残らず消え失せました。感じたのです。ああ、この人だ、と」
ソラは胸に手を当てて言う。
「わたしが求めていたのはこの人だとわかりました。生まれて初めての感覚でした。頭の先から爪先まで、雷に打たれたような衝撃が走りました。そして、わたしの――心よりも、もっと深い場所にある何かが、震えたのです。あるいはそれは、魂と呼ぶべきものだったのかもしれません」
「魂……」
「はい。わたしは魂で確信したのです。わたしは、この人のために生まれてきたのだと」
「……わかんねぇ。運命だとでも言いたいのかよ」
「運命!」
ソラはぽんと手を合わせ、笑顔を咲かせた。
「はい。勇者様は、わたしにとって運命の人なのです」
(運命……か)
人の生き方、その人生の結末が予め定められているという考え方は、デインは好きではない。信じてもいない。
だが、二十年間腐っていた自分の前に現れたソラは、奇跡のような存在に思えてならない。
その奇跡が運命だというのなら、自分にはまだこの世界で成すべきことがあるということだろうか。
「勇者様っ」
ソラが勢いよくデインに向けて両手を伸ばしてきた。
「な、なんだよ」
「今もまだわたしの愛が信じられないのでしたら、わたしの胸に飛び込んできてください。大きくはありませんが、精一杯、愛してさしあげます!」
「はあっ!?」
「さあ、どうぞ!」
「うぐ……っ」
初めて会った日に、いきなり唇を奪われたことを思い出し、デインは後じさった。
「勇者殿は、何故、姫様の愛情に難色を示されるのでしょう?」
ラシャが疑問を差し挟んできた。
「姫様は、女の私から見ても可憐極まる容貌の持ち主。男であれば、誰しも情欲を抱かずにはいられないものなのでは?」
「年の差ってもんがあるだろ! あと情欲とか言うな!」
「王城では、親子ほど年の離れた若い女性を妻に、あるいは愛人にしている貴族は珍しくありませんでしたが。年の差というものは、それほど気にするようなものでしょうか」
「俺は気にするんだよ!」
「大丈夫です、ラシャ。わたしは必ず、勇者様を振り向かせてみせますから」
ソラに笑顔を向けられ、デインはたじろいだ。
愛らしく無邪気でありつつも、ソラの笑みは抗いがたい色香を帯びていた。
(これだから女ってやつは……!)
年に関わらず、男の本能に誘惑の矢を突き刺してくることがある。
デインの目から見ても、ソラはこの上もなく可憐な少女だ。
純粋な意味の子供ではないが、大人の女性でもない。子供と大人の狭間である少女にしか持ち得ない、危うい美しさに充ち満ちている。
そんなソラの魅力にこの先も抗い続けるには、鉄どころか
「ああ、もう、この話はいい! そんなことより、おまえらに言っておきたいことがある!」
デインは強引に話を変えた。
「俺を、勇者様とか勇者殿って呼ぶのを、やめろ」
ソラとラシャは顔を見合わせ、小首を傾げた。
「俺が勇者だったのは昔の話だ。今の俺は元勇者……真の勇者を目指す、ただのおっさんだ。勇者様だの勇者殿だの呼ばれるのは、相応しくねぇんだよ」
呼称に関しては、山を下りてからこっち、ずっと気になっていたことだった。
いちいち訂正するのも面倒で好きに呼ばせていたが、真の勇者を目指すと決心した今となっては、改めておきたかった。
「わかりました。では、デイン様、と」
「様もいらん」
「デイン」
「そうだ。それでいい」
ソラは微笑み頷いて、
「デイン」
再度、今度はまっすぐデインの目を見て、噛みしめるように慈しむように、名前を口にした。
「…………」
親愛の情を込めて誰かから名前を呼ばれるのは二十年ぶりだった。
(不思議なもんだな。ただ名前を呼ばれただけだってのに、こんなにも許されたような気持ちになるなんてな……)
自分はまだ生きていてもいいのだと、存在を肯定されたように思える。否、間違いなく、ソラはデインを肯定してくれているのだ。
デインはソラに感謝しつつ、同時にこうも思った。
(いい加減、認めてやらないとな)
ソラが自分に向けてくるまっすぐな想い。それが本物であることを、もう認めないわけにはいかない。
相変わらず理解はできないが、それでもたしかにデインはソラの想いに救われているのだ。
「デインも、わたしの名前を呼んでください」
「……ん?」
「さっき、デインが初めてわたしを名前で呼んでくれました」
「そ、そうだったか?」
意識はしていなかったが、言われてみれば、たしかに呼んだような気がする。
「わたし、とっても嬉しかったんですよ?」
「ぐ……」
「じーっ」
「じーっと見るんじゃない。くそっ……」
デインのほうから名前で呼ぶように要求した手前、断ることもできない。
「ソ、ソラ……」
「んんー?」
気恥ずかしさと戦いながら、どうにか名前を口にしたデインだったが、ソラは容赦なかった。
「声が小さいですよ、デイン」
「わかった、わかったよ!」
下から顔を覗き込まれて、デインは観念した。
背けたくなる顔を気合いで目の前の少女に向け、空色の瞳をまっすぐに見つめて、デインは少女の名前を呼んだ。
「ソラ」
ソラもデインの目をまっすぐに見返し、
「はい、デイン」
陽だまりのように微笑んだ。
勇者様ではなく、デイン。
姫さんではなく、ソラ。
照れ臭くはあるが、しっくりきた。
「ラシャ、あんたもだ」
「で、では、デイン殿で」
「デインでいい」
「そればかりはご勘弁を。勇者殿……いえ、デイン殿を、私は師として仰いでおります。呼び捨てにすることなどできません」
頑ななラシャに、デインは小さくため息をついた。
「……ま、無理強いするもんでもないしな。それでいいぜ」
「感謝致します、デイン殿」
改めて、デインはソラとラシャを見た。
「まあ、なんだ……そんなわけで、俺はもう一度勇者を目指すことになった。誰一人取りこぼさない真の勇者に、俺はなる。こいつにも言われたが」
デインは水月を軽く持ち上げてみせた。
「我ながら無茶な挑戦だと思う。俺一人じゃ到底叶わない。だから、ソラ。ラシャ。あんたたちの力を貸してくれ。頼む」
デインは深く頭を下げた。
「もちろんです、デイン」
ソラは片方の足を斜め後ろに引きつつスカートの裾をつまみ、もう片方の足を軽く曲げてお辞儀をしてみせた。
「わたし、ソラ=ニア=アズールは、すべてを賭してデインをお支えします」
「姫様に同じく」
一方のラシャは、左手に持った大太刀を杖のように地に立てて、片膝をついた。
「このラシャ、我が身に流れる鬼人の血の誇りに賭けて、デイン殿の刃となってみせましょう」
デインは背筋を伸ばし、頷く。
「ありがとう」
それは、心から出た感謝の言葉だった。ふたりの存在は、本当に心強い。
生粋の剣士であるデインには、ソラの正確な魔法の腕前を測ることはできないが、それでも彼女が優れた魔法の使い手であることは、もう十分証明されている。
ラシャも強い。デインから見れば、技術的にはまだ未熟な部分もあるが、それは伸びしろともいえる。まだまだ強くなるだろう。
頼もしい仲間だ。
(仲間、か……)
サクラを喪ってから、デインはひとりだった。ひとりでいいと思っていた。
だが、今は、自分がひとりではないという事実が、嬉しい。
水月が、デインの手の中で軽く震えた。まるで、自分もいると主張しているかのように。
デインは笑み、踵を返した。
「遠回りは終わりだ。いくぞ、王都ヒンメルに!」
「「はいっ!」」
デインの、そしてそれに応えるソラとラシャの声が、青の森にこだました。
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