第19話 この手に帰ってきたもの
「まあいい。おまえの処刑を続行しよう」
精霊刀・水月を手に、ミクマリが近づいてくる。
「させ、ません……」
呻き交じりの声を出しつつ、ソラが立ち上がった。
ミクマリが目を丸くする。
「立っただと……?」
立ったのはソラだけではなかった。ラシャも大太刀を支えにして立ち上がった。
「姫様! 私が時を稼いでいる間に、勇者殿を!」
ラシャが声を張って再びミクマリに斬りかかる。
唸りをあげる大太刀を、ミクマリは飛び退いてかわす。
すかさず、ラシャは距離を詰め、大太刀を振り回す。
氣炎の法で自己強化したラシャの攻撃は、暴風のような激しさでミクマリを攻め立てるが、かすりもしない。
「勇者、様……っ」
ソラが苦しげに顔を歪めつつも、デインに駆け寄ってきた。
「くる、な……」
デインは立てない。あがくほどに腕が泥に沈んでいく。
「今、癒やしの魔法を……」
「邪魔だ」
水飛沫とともにラシャが吹っ飛ばされた。
ミクマリが、水月を手にゆっくりと近づいてくる。
ソラは庇うようにデインの前に立った。
「どけ。その男に何を期待しても無駄だ」
「どきません。勇者様は言いました。もう一度勇者になって世界を救う、と。その言葉を、わたしは信じています」
「信じる?」
ミクマリが笑う。嘲るように哀れむように。
「だが、その男は信じていないぞ? 我は水鏡。我の言葉はその男自身の言葉だ。おまえが信じる勇者デインは、自分自身を誰よりも信じていない。その男は、とっくに諦めているのだ。すべてをな」
「違います」
「違わない。見ろ。その男は立ち上がることさえできてないではないか。おまえとあの赤毛の女は立って我に向かってきた。立てない程度に痛めつけたにもかかわらず、だ。たいした精神力だと褒めてやる。だが、その男は立てずにいる。それはなぜか? 諦めているからだよ」
諦めている。ミクマリの言葉が、デインの胸に突き刺さる。
(俺は、諦めているのか?)
もう一度勇者をやると、もう一度世界を救うと決心して山を下りた。だが、ルーベの村の人々を救えなかった。デインの二度目の旅は、失敗で幕を開けた。
自分が弱くなった事実を、嫌というほどに思い知った。かつての強さを取り戻せないことも。
(俺は、もう諦めているのか?)
デインは自問する。
ミクマリは言う。デインはもう諦めていると。
(俺は……)
「勇者様は諦めていません!」
底なし沼に落ちかけていたデインの意識を、ソラの声が叩いた。
「その証拠に、勇者様はずっと立ち上がろうとしています!」
デインはハッと顔を上げた。
「だが、今もそいつは這いつくばったままではないか」
「勇者様は! 勇者デインは、不屈の人です! どんな苦境にも屈することなく立ち上がり、前に進み、世界を救う! それが、勇者デインです!」
「……っ」
ソラの声と気迫に叩かれたミクマリが、わずかにたじろいだ。
「何故、そこまでその負け犬を信じられる」
ソラは胸を張り、堂々と言い放つ。
「愛です」
「な……」
ミクマリが、またたじろぐ。
「お慕いする人を……愛する人を信じるのに、理由が必要でしょうか」
「私も、信じている」
ソラに圧され後ずさりするミクマリの背後で、ラシャが身を起こし、言った。
「勇者殿は、真の勇者だ。何者にも、己にも、決して負けはしない」
ミクマリはソラとラシャを交互に見た後、諦めたようにため息をついた。
「だ、そうだ。ここまで言われて、それでもまだ這いつくばったままのつもりか?」
「んなわきゃ、ねーだろうが……っ!」
デインは目を見開き、口を大きく開いた。深く息を吸い込む。肺を空気で満たす。
(命よ、燃えろ)
そして、デインは己の命の炎を燃え上がらせた。
氣炎の法を使ってもなお、足は言うことをきかない。感覚がない。
(もっとだ! もっと燃やせ!)
命の炎を、デインはさらに激しく逆巻かせる。心臓が破れんばかりの速度で動き、熱を帯びた血が身体中を怒濤の勢いで駆け巡る。全神経が覚醒する。
「う、おおおおおおおおおおっ!」
青の森に咆吼を轟かせて、デインは立ち上がった。
「勇者様!」「勇者殿!」
振り返ったソラと、片膝をついた格好のラシャに、デインは笑みを見せる。
「立ったか」
「立つさ。俺は何度だって立ち上がる」
デインはミクマリを見据えつつ、ソラに声をかける。
「なあ、姫さん。あんた言ったよな。この旅は、俺が幸せになる旅だって。山を下りてから、俺はずっと考えてたよ。俺にとっての幸せは何なのかって。俺は何をしたら幸せになれるのかって。けど、いくら考えてもわからなかった」
息も絶え絶えで、デインは言葉を紡ぐ。
「結局、俺は戦うことしか知らない男だ。なら、戦うしかない。だから、俺はもう一度、勇者をやる。今度はやり遂げる。投げ出しも逃げ出しもしない」
「息巻くなよ。おまえは既に失敗している。ルーベの村を救えなかった」
「ああ、そのとおりだ。だが、もう失敗しない。俺はもう、誰も死なせない。この目に映る人たちを、この手が届く人たちを、一人残らず救ってみせる」
デインは右手を天高く掲げ、拳を握った。
「今度こそ、真の勇者に、俺はなる」
渾身の力を込めた拳を、デインは己の胸に――心臓にあてがい、言った。
「それが、俺の……幸せだ」
ぐらり、と身体が傾く。
(やべ……)
倒れかけたデインを、駆け寄ってきたソラが支えた。
デインが目で感謝を示すと、ソラは泥で汚れた顔で微笑んだ。
「おまえは、自分が何を言っているのかわかっているのか?」
ミクマリが問いかけてくる。
「一人残らず救う? それは、全盛期のおまえにさえ成し得なかったことだ。目の前で命がこぼれ落ちていく光景に心を苛まれ続けたことを忘れたのか」
「忘れちゃいねぇよ。忘れられるものか」
「おまえは、かつての最強だった自分にさえ成し得なかったことに挑もうというのか」
「そうだ」
「それがどれだけ困難な道か、わかっているのか」
「承知の上だ」
「諦めろ」
「諦めねぇよ。俺は諦めない。なにせ、俺は……」
デインは、自分を支えてくれているソラの肩を抱き寄せた。
「不屈の人らしいからな」
ミクマリはゆっくりと目を閉じ、口許に小さな笑みを浮かべた。
「そうか。ならば好きにするがいい。一番近くで見届けてやる」
そう言って、ミクマリは水月を目の前に突き立てた。
立ちこめる霧が濃さを増し、霧に溶け込むように、青い髪の少女は姿を消した。
「ソラ」
デインは支えてくれる少女の名前を呼んだ。
呼ばれたソラは目をぱちくりさせる。
「は、はい」
「俺を、あそこまで連れていってくれ」
ソラに肩を借りて、デインは水月の前まで歩いた。
ふらつきながらも一人で立ち、柄に手を伸ばすと、一息に引き抜いた。
精霊刀・水月。
水の精霊王の力を宿した刃は、文字どおり水に濡れたような輝きを放っている。ぬかるみに刺さっていたにもかかわらず、少しも汚れていない。
「鞘を」
デインが水月を右手に持って、左手を正面に伸ばすと、掌の前に水が湧いて細長い形を成した。――鞘だ。
デインは鞘に水月を収め、大きく息をついた。
(帰ってきた)
デインは多くのものを失ってきた。
サクラの命も、若さも、かつての強さも戻りはしないが、水月はこの手に帰ってきた。
多くのものを失っても、まだ、すべてを失ったわけではなかったのだ。
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