第17話 青の森
「青の森……ですか?」
青の森は、地図でいえばアズール王国領内の南東部に位置している。
王都ヒンメルへは遠回りにはなってしまうが、どうしても寄りたい――否、寄らなければならない理由があった。
「青の森は、魔獣の巣窟と聞いていますが……」
「預けていたものを、取りにいく」
「それは、もしや、精霊刀・水月のことですか?」
ソラの言葉に、デインは目を丸くした。
「なんでわかった?」
「お母様に教わりました。勇者様の愛剣、精霊刀・水月は、青の森の奥に棲まう水の精霊王が鍛えた剣であると。そして今、勇者様は水月をお持ちになっていません。それで、思ったのです。勇者様は、水の精霊王に水月をお預けになっているのではないかと」
「……そのとおりだ」
ソラの洞察力に、デインは舌を巻いた。
「魔王との戦いでこっぴどく傷ついた水月を、修復のために預けてある。……もう、取りにいくつもりもなかったんだがな」
言いながら、デインは腰に吊した剣を鞘から抜いてソラに見せた。
「姫さんに謝っておく。この剣は、アズールの王様……前の王様だから、姫さんのじいさんだな……に、貰った物なんだが、こいつもずいぶん傷んじまった」
デインの剣はひどく刃毀れし、深いヒビも入っていた。
アズール前王からフェリナ救出の褒美として賜った剣だった。剣身に
「あ、あの、勇者殿……その剣の傷の原因は、もしや……」
ラシャがおずおずと声をかけてきた。
「私……ですか?」
「ああ……まあ、な」
半蜘蛛の魔人――名前はもう忘れてしまった――の糸に操られたラシャの猛攻を凌いでいるうちに、剣身がボロボロになってしまったのだった。
「も、申し訳ありませんっ! このラシャ、腹を切ってお詫びする所存!」
「やめやめ! なにかってーとすぐに自害しようとするんじゃねぇよ」
地面に頭から飛び込むように土下座したラシャに、デインはパタパタと手を振る。
「俺が上手く受け流せりゃすむ話だったんだからよ」
強烈な攻撃を真っ向から受ければ武器が、あるいはそれを振るう自分の手や腕が壊れる。当たり前のことだ。
昔のデインであれば、上手く角度をつけて受け流すことで攻撃の威力を殺いでいたところだが、それができなかった。
「……そんなわけで武器がいる。かまわないか?」
「もちろんです」
ソラが胸に手を添えて言った。
「この旅は勇者様が幸せになるための旅です。どうか、勇者様のお心のままに」
デインは複雑な思いにかられる。
「……まあ、今はその言葉に甘えさせてもらうよ。青の森にいく」
村人の亡骸を埋葬し、簡単にではあるが弔って、デインたちは村を後にした。
※※※
青の森までは二十日間の道程になった。
この二十日間、デインは徹底的に自分をいじめ抜いた。
具体的には、筋力の鍛錬とラシャを相手にした実戦形式の特訓だ。後者はラシャのほうから剣術指南を求められてのものだったが、デインにとっても勘を取り戻すためにちょうどよかった。
移動の疲労に加え、鍛錬と特訓。デインの疲労はこれでもかと積み上がっていった。十日目を過ぎた頃から、ただ歩いているだけでも意識を失いかけることがあったほどだ。
若い時分と違って、とにかく体力が回復しない。負傷であればソラの魔法で治せるが、疲労はそうはいかない。
それでもデインは鍛錬と特訓を続けた。おかげで全身が鉛のように重い。
「勇者殿、あまり無理をなさっては。過度の鍛錬はかえって毒です」
「二十年を棒に振ったおっさんには、これでもまだ足りねぇよ」
ラシャには心配されてしまったが、ソラは何も言わなかった。
「どうか、勇者様のお心のままに」
あくまでも、ソラはデインの意志を尊重する構えを貫いた。
デインが無茶をしたいというのであれば、それを止めるようなことはしない。言わない。
だが、デインが負傷すると、まるでそうなることがわかっていたかのようにデインに駆け寄り、癒やしの魔法を使った。
「天眼でわかるのか?」
「いいえ。ですが、勇者様のことばかり四六時中考えていたら、勇者様が何をするのか、勇者様の身に何が起きるのか、少しずつわかるようになってきました。これも愛の成せる業ですね」
「なんだよ、そりゃ。あとな、年頃の娘が枯れたおっさんのことばっかり考えるんじゃねぇよ」
そう言いつつも、内心では少し嬉しいデインだった。
忘れられた存在になっていたはずの自分を、憶えていてくれた人がいた。
フェリナと、ソラと。
フェリナの娘であるソラに好意を持たれているらしいという事実には、未だに戸惑うばかりだが。
それでも、ソラが向けてくる屈託のない、そして春の陽射しのようにあたたかな笑顔に癒やしを覚えている自分がいるのもまた、事実だった。
※※※
青の森は、『森』の名を冠しつつも、実際には湿原だった。
入り口こそ森になっているものの、そこを抜けると青い草地が広がっていた。それは比喩表現ではなく、青の森に生育する植物は、草も花も文字どおり青い色をしているのだ。
「ここが、青の森……」
ソラもラシャも、一面の青い光景に驚いているようだった。
デインにとっては懐かしい風景だ。
「湿原なので当然ですが、水の理の力が強く……とても強く働いていますね」
ソラが魔法の使い手らしい感覚を口にした。
「霧が濃いですね……視界が悪い」
ラシャは立ちこめる霧を気にしていた。
「ここは季節も時間も関係なくこんな感じだ。……進むぞ」
ただでさえ疲労という鉛を全身にぶら下げている上に、湿気がまとわりついてきて、余計に身体が重い。
さらに、魔獣の襲撃がデインを疲れさせた。
ソラが言っていたとおり、そして、デインの知っているとおり、青の森は魔獣の巣窟だった。
立ちはだかる魔獣を、デインは一人で倒した。ソラとラシャには、予め手を出さないように言っておいた。
魔獣は魔界由来の生物だが、その本性はやはり獣だ。森林や山岳といった場所を好んで棲息する。湿原もまた、そういった場所の一つだ。
現れたのは、金属をも溶かす酸を吐く巨大なカエル・アシッドトード。刀の如き爪を武器のする魚人型のスクラッチャー。頑強な甲殻に覆われたアーマークラブ。頭部には王冠のようなトサカを、そして胴体には四足を備えた大蛇・バジリスク。
どれも過去にさんざん戦った魔獣とはいえ、今のデインにとっては難敵だった。
特に厄介だったのはアーマークラブとバジリスクだ。アーマークラブの硬い甲殻を貫くのには殊更に体力と集中力を要したし、バジリスクの吐く毒液には触れたものを石化する効果がある。かすりもしないよう避けるのに、やはり大きな消耗を強いられた。
「はあっ……はあっ……」
バジリスクの首を切り飛ばし、倒したところで、デインはがっくりと片膝をついた。ぬかるんだ地面に、膝がずぶりと沈んだ。
「命の理よ。我が意に従い、彼の者に癒やしを与えよ。――『
すかさず、傍らに駆け寄ってきたソラが癒やしの魔法を使った。
アシッドトードの酸がかすめ焼け爛れた頬の皮膚が、再生していく。
「助かる」
礼を言いつつ剣を杖代わりにして立とうとして、デインは前のめりに倒れた。剣が、半ばからポッキリと折れてしまったのだ。
だましだまし使ってきたが、魔獣との連戦がとどめになってしまった。
「すまん」
謝るデインに、ソラは首を横に振った。
「形あるものは、いつか壊れます」
すまん、ともう一度心の中で謝って立とうとしたデインだが、足に力が入らない。
「勇者殿、無茶をしすぎです」
ラシャに肩を借りて、デインはどうにか立ち上がった。
「どうか戦いは私にお任せください」
「いいんだよ、これで……」
ラシャが助けを求めるようにソラを見た。
ソラは頷いて、言った。
「勇者様のお心のままに」
デインはラシャに肩を借りたまま歩みを進める。
ほどなくして、ただでさえ濃かった霧がさらに濃さを増した。
「これでは何も見えません。このまま進むのは危険です」
青の森には大小無数の沼が点在している。こうも視界が悪いと歩いているうちに沼に落ちかねない。ラシャの心配はもっともだったが――。
「ついたぜ」
デインは言って、肩を貸してくれていたラシャから離れた。
よろめきながら前に出る。そして、濃霧の先にいる『彼女』に声をかけた。
「よう、久しぶりだな」
霧が薄まり、湖と、その前に立つ人影が露になった。
ソラと同じ、青い髪の少女。
ソラの髪が澄み渡る空の色をしているのに対し、少女の髪はより青みが強く、深い。そして、ソラの髪が肩に届いていないのに対し、少女の髪は地に届くほどに長い。
背丈も年頃も、ソラと変わらないように見える。
白い装束は、ともすれば透けて見えそうなほどに薄い。袖はなく丈も短く、か細い手足が露出している。靴の類は履いておらず、裸足でぬかるんだ地面の上に立っている。にもかかわらず、少女の足は少しも汚れていなかった。
「ずいぶん若返ったな。前に会った時は、もちっと色気があったと思うが」
デインの言葉に、少女はおもむろに口を開いた。
「おまえはずいぶん老けたな」
美しい貌をしてはいるが、少女に表情はなく、その印象は幽鬼じみている。
「勇者様、あの方はもしや……」
デインは頷いて、答える。
「ああ。水の精霊王だ」
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