第16話 王妃と将軍
ソラは生き写しといっていいほどに母に似ている。
蒼天のような髪も瞳も、母から受け継いだものだ。
フェリナ=ピア=アズール。
ソラの母であり、アズール王国の王妃である彼女は今、
かつてアズールの至宝とまで呼ばれた美貌に浮かぶ表情は、険しい。
フェリナはある一室の前で足を止めた。
「お、王妃様っ」
扉の前には兵士が二人。
フェリナは凛とした声で言い放つ。
「通しなさい」
二人の兵士は「うっ」と呻きつつも、
「王は誰にもお会いになりません。どうかお引き取り下さい」
扉を開けようとはしない。
「王の寝室に王妃が立ち入れない道理がどこにあるか!」
フェリナの声が通路に響き渡る。
フェリナはただ美しいだけの王妃ではない。若かりし日のフェリナは、賢者と称されるほどの魔法の使い手でもあった。その腕前は、かの賢者サクラにも並ぶと言われたほどだ。
そんなフェリナの一喝に、並の兵士が耐えられるはずもない。
「ひいっ!」
すっかり気圧された兵士たちは、顔を見合わせて扉の前から退こうとしたが、
「おやおや、これは王妃様」
割って入った声に、慌てて背筋を伸ばした。
フェリナは声の主を見た。
白が目立つ男だった。
まず、髪が白い。束ねられ、肩口に垂らされた髪は、解けば背中の中程まではあるだろう。フェリナは男の正確な年を知らないが、三十前後といったところか。年齢からして、生まれついての髪色なのだろう。
男は瞳の色が左右で違った。右は黒で左が白。白といっても濁っているわけではなく、瞳の部分だけが殊更に白い。
頭部以外をくまなく覆っている鎧もまた白い。男の鎧は王国から支給されたものではなかった。故に、白い鎧の胸部分には王国の紋章が刻印されていない。代わりに、王国の紋章が背面に大きく刺繍されたマントを身につけていた。
男の名はシュナイデル。その肩書きは、アズール王国の全軍を束ねる、将軍。
孤児であったという彼に姓はない。
初め、彼は一介の傭兵にすぎなかった。魔王軍の残党との戦いでめざましい戦果を上げ、瞬く間に将軍の地位にまで上り詰めた。
市井の人々は彼をこう呼ぶ。勇者シュナイデル、と――。
だが、フェリナはシュナイデルを勇者とは認めていない。
フェリナにとって、勇者は未来永劫一人だけだ。
「このような夜更けに、どのような御用でしょうか」
穏やかな笑みを浮かべて、シュナイデルは言う。
「そなたに用があるのではない。控えよ」
フェリナは鋭い視線と声を向けたが、シュナイデルの笑みは崩れない。
「王はどなたにもお会いになりません。それがたとえ王妃様であっても」
「王に会ってたしかめる」
「
フェリナを王に会わせる気は、一切ないらしい。
シュナイデルの登場で強気になったのか、兵士たちは扉の前で槍を交差させ、決して通さないという意を示している。
「おまえのいう政とは、戦の準備か」
「左様でございます」
シュナイデルは臆面もなく答えた。
「王妃様もご存知のとおり、大陸西部では四つの国が覇権を争い、戦は年々激しさを増しています。東部にまで戦火が及ぶのは時間の問題でしょう。その前に我がアズールが東部を統一し、備えるのです」
「王は戦など望んではいません」
「我が王は聡明な御方です。アズールのために戦が必要とあれば、迷いません。今も、王はアズールの未来のために思索に耽っておられるのです」
「……っ」
フェリナは怒りを噛み殺し、シュナイデルを睨むだけに止めた。
ここで口論しても無意味だ。この男は決してフェリナを王に会わせようとはしないだろう。
「……いつまでも、そなたの好きにさせはしない」
フェリナは踵を返し、その場を去った。
(あなた……)
国王であり夫であるローウェンは、武勇に秀でたわけでも知恵者というわけでもない。凡庸といえば凡庸な男だが、常に民を案じ、平和を尊ぶ心根の持ち主だった。
恋心で結ばれた相手ではない。勇者デインが去った後、フェリナの結婚相手として、有力貴族の子息の中から選ばれた男だが、フェリナは夫を愛していた。積み重ねられた十七年という時間は、軽くはない。
ローウェンとは、もう長らく会っていなかった。半年ほど前から執務室にこもる時間が増えてはいたが、シュナイデルを名代に指名してからは、玉座の前にも姿を見せなくなった。
夫が正常な状態にないことは明らかだ。
こうなる前に手を打てなかったことが悔やまれてならない。
シュナイデルは武官たちから絶大な支持を得ている。国王がシュナイデルを名代に指名した際には、文官からは動揺の声があがった一方で、武官からは喝采があがった。
実際、シュナイデルの活躍はめざましく、王妃という立場を以てしても、彼の行動に制限をかけることは難しかった。
そこで、フェリナが頼りにしたのが、デインだった。
かつて、フェリナが恋い焦がれた勇者。フェリナにとっての、ただ一人の勇者。
しかし、彼の行方をつかむのに、時間がかかってしまった。
フェリナは臣下にデインの行方を捜させていたのだが、最終的にデインの居所を突き止めたのはソラの天眼だった。
フェリナの祖母以来、三代ぶりにアズール王家の女性に発現した、不可思議の瞳。
(ソラ、どうか……)
ソラに魔法を教えたのはフェリナだ。ソラが天から与えられたものは天眼だけではない。類い希な魔法の才能をも、ソラは生まれ持っていた。
砂地に水が染みこむように、ソラは魔法を修得していった。
あるいは、ソラであれば賢者サクラに並ぶことができるかもしれない。
フェリナの魔法の腕前を、サクラと比較して互角と評されることもあったが、その評は明確な誤りであるとフェリナは思っている。
サクラの実力はフェリナの遥か上をいっていた。フェリナにとって、サクラはまさに雲の上の存在だった。
魔王との決戦に臨むデインとサクラにフェリナが同行しなかったのは、王女という立場に縛られたからという理由だけではなかった。足手まといになると思ったからだ。
だが、魔王グインベルムとの戦いで、デインはサクラを
フェリナは悔いた。ただただ悔いた。
もし、フェリナもついていっていたら。それでも何も変わらなかったかもしれない。だが、何かが変わっていたかもしれない。フェリナ自身が命を落としたとしても、あるいは、今もデインの隣にはサクラがいたかもしれない。
どれだけ後悔しても時は戻らない。だから、フェリナはソラに、自分が教えられるすべてを教えた。
いつの日か、ソラにデインを救ってもらうために。
自分の後悔を娘に託す。それがどうしようもないエゴであることはわかっている。
しかし、ソラが天眼と魔法の才能を持って生まれたことには、何か大きな意味があるのではと思えてならない。
ソラが在るべき場所は、アズールの王城ではなく、デインの傍らなのではないかと思えてならないのだ。
だから、フェリナはソラを送り出した。そして、それはソラの意志でもあった。
ソラもまた確信しているのだ。自らが、勇者デインと共に在るべきだと。
フェリナは祈る。
かつて憧れ、恋い焦がれた勇者が、再び自分と世界を救ってくれることを。
そして、勇者の幸福を。
※※※
(……いつまでも、そなたの好きにさせはしない)
フェリナの言葉を思い出し、シュナイデルは喉の奥で笑った。
フェリナが何をしようとしているのか、シュナイデルは把握していた。臣下を使って監視しているのは、お互い様だ。
かつての勇者デインを呼び戻す。彼を迎えにいく役目を担ったのは、ソラだ。
阻止することは簡単だった。だが、シュナイデルはあえてソラを見逃した。
(連れてくるがいい。勇者を……いや、勇者であることをやめた、あの咎人を!)
黒い右目をすがめ、白い左目を見開く。左右非対称の笑みを浮かべ、シュナイデルは全身をわななかせた。
(デイン……! 必ず、貴様に罪を購わせてやる! 惨たらしい死を以てな!)
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