第15話 命の炎 憎しみの炎


 焼け残っていた納屋なやからすきを拝借して、デインとラシャは村の隅に人が入れる大きさの穴を、命を奪われた村人の人数分、掘った。


 デインには、生き残った村人たちにかける言葉も渡す金もなかったが、墓を掘ることならできた。

 二十年前にも、デインは同じように救えなかった人々の墓穴を、幾度となく掘った。相棒だったサクラには、あまりいい顔をされなかった。


(そんなことしてたら、デインが余計に辛くなるよ?)


 サクラの言うとおりだった。墓を掘るという行為は、救えなかった人々の命の重さを、デインの心により深く刻み込んだ。

 だが、それでもデインは墓を掘ったし、結局はサクラも手伝ってくれた。


「よし、これで数は足りるな」


 鋤を地面に立てて、デインは額の汗を手の甲で拭った。


「悪いな、手伝ってもらって。あんたのおかげであっという間だったぜ」

「この程度、お安い御用です」


 デインが一つの墓穴を掘っている間に、ラシャは三つ、四つと掘っていた。あれだけの激闘の後だというのに。


「身体はどうだ? あちこち痛んでるんじゃないか?」


 訊ねられたラシャは、身体の感覚を確かめるように、片方の掌を握ったり開いたりを数度繰り返して、答えた。


「多少の痛みはありますが、どうということはありません」

「そっか。さすがは鬼人の血を引いてるだけのことはあるな。……いや、若いからか」

「命を燃やす……あれが、貴方の強さを支えている技術なのですね」

氣炎きえんの法だ。俺にあれを教えてくれた師匠は、そう呼んでた」


 自らの命を炎に見立て、それを燃え上がらせることで一時的に己の限界を超えた強さを得る技術。


「失礼な物言いになってしまうかもしれませんが、貴方の教えはとても端的だった」

「はっきり言っていいぜ。言葉足らずだったってな」

「……悪い言い方をすれば、そうなります」

「だが、あんたは実践できた」

「それは……」

「たまたまってわけじゃないさ。あんたなら、あれだけ言えば十分実践できるって確信があったんだ。なにせ、氣炎の法は元々は鬼人の技術だからな」

「……!」

「東方の鬼人の戦士たちが使ってたって話だぜ。ちなみに、俺の師匠も鬼人の血が混じってた。だから、あんたと氣炎の法は相性がいいだろうって思っていたが、間違っちゃいなかったな」


 実際、初めて氣炎の法を使ったにもかかわらず、ラシャは平然としている。

 デインが初めて氣炎の法で己の命を燃やした時は、高熱と全身の痛みに苛まれ、丸一日動けなかった。

 今も、蜘蛛の魔獣たちを倒すのに一瞬命を燃やしただけで、強い疲労感を覚えている。


「このような技術が存在していたとは……」

「そこまで特別なもんじゃないさ。腕の立つ戦士は、似たようなことを無意識のうちにやってたりするしな。あんただって覚えがあるんじゃないか?」


 たとえば、絶対絶命の状況で、自分の実力以上の力を発揮して窮地を脱した、といった経験は、修羅場をくぐってきた戦士であれば一度ならず経験しているはずだ。

 そういった、ここ一番の底力を技術として確立したものが氣炎の法なのだと、デインは師に教わった。


「たしかに……」

「あんたが氣炎の法を実践できたのは、鬼人の血のおかげってだけじゃない。あんたが優秀な戦士だったからだ。よく、そこまで鍛えたな」


 デインの言葉に、ラシャは頬を赤らめた。


「ゆ、勇者殿に、そのように褒めていただけるのは、ほ、誉れです……」


 手にしていた鋤を顔を隠すように持ち上げ、恥じらう。


(うっ、調子が狂うな……)


 上背があることと硬質な態度で忘れていたが、ラシャもソラとそう年の変わらない少女なのだ。


「あ、あのっ、勇者殿」

「な、なんだ?」

「き、氣炎の法は、練度を上げることで長時間維持することも可能となるのでしょうか?」


 少女のように恥じらいつつも、ラシャが口にした問いは、戦士のそれだった。


「あー、それは無理だな。あれは自分の限界以上の力を発揮する技だ。練度を上げれば上げるほど、むしろ身体への負担は大きくなる。どうやっても長くは使えない技なんだよ」


 命を燃やすという行為は、いわば寿命の前借りのようなものだと、デインは説明を加えた。


「使えば使うほど身体にガタがくる。鬼人の血を引くあんたは、ただの人間の俺よりはガタがくるのが遅いだろうが、それでも必ず、反動はある」

「…………」


 ラシャが鋤を下ろし、デインをじっと見つめてきた。


「勇者殿は、二十年前には相当の回数、氣炎の法を使われたのでは?」

「……まあ、そうだな。だから、俺はいつまで生きられるかわからねぇ。この年まで生きられるとも思ってなかったからな」


 デインは自分の前髪の一房をつまんだ。

 もう若くないとはいえ、四十路前にしては些か白髪が多すぎる。それは、精神的な老け込みが影響している部分もあるのだろうが、若い時分に氣炎の法を使いすぎたのが主な原因だろうとデインは理解している。


「そんな……」

「俺のことはいいさ。せっかく教えた技だ。使うなとは言わない。けどな……」


 無茶な使い方はするなよ、と続けようとして、デインは思い留まった。

 ラシャは年頃の娘ではあるが、それ以前に彼女は戦士だ。死の覚悟はとうにできているだろう。そんな彼女を下手に案じるのは、野暮というものだ。


「……使いどころは、しっかり見極めてくれ」

「心得ました」


 ラシャは右の拳を自分の胸に添え、恭しく頭を垂れた。


「俺なんかに頭を下げなくていいぜ」

「私はこの命を姫様とフェリナ様に捧げていますが、真に敬意を払うべき相手には自然と頭が下がってしまうものです」


 頭を下げたままそう言ったラシャに、デインは疲れた笑みを浮かべる。


(俺は、本当に、人から頭を下げてもらえるような男じゃないんだよ……)


 デインは手にした鋤を、そして、並ぶ墓穴を見た。

 もう一度、勇者の真似事をしてみようと山を下りた。早々、これだ。


(俺は、またこうして墓を掘っている)


 この村の人々を、全員は救えなかった。

 この村で虐殺が行われていることに気づくのが、遅かった。

 血の臭い、焼ける臭い、人々の悲鳴、魔獣の気配、魔人の気配。二十年前の自分であれば、もっと敏感に察知できたはずだ。


(情けないな……)

「あーっ、勇者様がラシャと浮気してますっ」

 デインのため息に、伸びやかな声が重なった。


 駆け寄ってきたソラに、デインは「そんなんじゃねぇよ」と返す。


「姫様! 滅相もありません。勇者殿はいずれ姫様の夫となられる御方。そのような御方が、私のような女など相手にするはずがありましょうか」

「あんたも何言ってんだ!」

「まあ、勇者様。ラシャが私たちの結婚を認めてくれましたよ」

「俺が認めてないからな!」


 声を荒げて、デインはむせた。


「姫様、お伝えしなければならないことが」


 ラシャが片膝をついて、神妙な声を出した。

 ラシャは、あの半蜘蛛の魔人がシュナイデルの刺客であること、その狙いがソラの命であると明言していたことを報告した。


「やっぱり、シュナイデルってのはそういう奴なのか……」


 ソラは「はい」と悲しげに頷いた。


「そういや、あんまり詳しく聞いてなかったが、姫さんよ。あんたがシュナイデルを危険な奴だと判断したのは……」


 ソラはっすぐにデインを見上げた。


「はい。この眼です」

「天眼、か……」


 偽りを見抜き、真理を捉え、千里の彼方まで見通すという不可思議の瞳。


「初めてシュナイデルと見えた時に、この眼が教えてくれたのです。彼の者は、危険だと」

「シュナイデルの目的は、何なんだ?」


 近隣諸国に戦争を仕掛け、大陸統一を目論んでいるという話だったが……。


「野心か?」


 ソラは首を横に振った。


「シュナイデルに、おそらく野心はありません」

「……どういうことだ?」

「彼を突き動かしているのは、断固たる決意と……憎しみです。熱く激しい憎しみの炎を全身から噴き上げているように、私には見えました」

「つまりは、復讐か」


 デインが世を捨てたその後に現れ、魔王軍の残党を打ち倒し、新たな勇者と称えられる男。

 そんな男が、一体何を、誰を、そこまで憎悪しているというのか。


「どういう素性の男なんだ?」

「ロトン国の孤児院で育ったと……それ以上のことは」

「ロトンの孤児院……?」


 ロトンは大陸南東の小国であり、サクラの故郷だ。


(サクラも孤児院の出身だったな……)


 思いがけない共通点ではあるが、孤児院なんてどの国にも無数にある。ただの偶然と捉えるしかない。


「フェリナ様は、シュナイデルのやろうとしていることを知ってるんだな?」

「はい。シュナイデルが危険な人物であることを、お父様とお母様に伝えました。お父様には信じていただけませんでしたが、お母様はわたしの言を信じ、信頼できる側近にシュナイデルの監視を命じました。そして、シュナイデルが複数の魔人と通じていることがわかったのです」


 魔人と魔獣を使って近隣諸国に混乱を与え、戦力を削いだところで侵攻する。というのが、シュナイデルの計画だ。


「お父様はシュナイデルに信頼を寄せておられましたが、彼の者が軍備の増強を推し進めるようになった頃から様子がおかしくなったのです」


 日中は執務室にこもり、玉座の間に姿を現すこともほとんどない。夜は夜で寝室にこもり、妻にも娘にも会おうとはしない。王の寝室とは、つまり王妃の寝室でもあるのだが、フェリナは長らくそこに足を踏み入れられていないという。


「王は、正気じゃないってわけか……」


 魔法か薬か、あるいは魔術で操られているような状態にあるのだろう。

 王が既に殺害されている、という最悪の想像もできるが、ソラの前でさすがにそれは口にできない。


「今は、シュナイデル将軍が王の名代として政の一切を取り仕切っています。誰も……王妃様でさえあの男を止められずにいるのです」


 ラシャが片膝をついたまま、顔を上げて言った。


「歯止めになれる人間がいないってことか……厄介だな」


 デインは後頭部を掻きつつラシャに訊ねた。


「シュナイデルって奴は、強いのか?」

「強い」


 ラシャは断言した。


「シュナイデル将軍が実際に戦っている姿を目にしたのは一度だけですが、まさに無双……鬼神の如き強さに、ただただ圧倒されました」

「あんたの目から見て、それほどか」

「ですが、勇者殿であれば互角以上に渡り合えるはずです」

「そいつは、どうかな」


 剣士として盛りであるはずのシュナイデルと、二十年を無為に過ごし腐りきってしまった今のデイン。仮に実力でデインが勝っているとしても、実際に戦って勝てるかどうかは大いにあやしい。


 嫌な予感がする。

 すっかり錆びついてしまってはいるが、それでもデインの剣士としての勘が告げている。

 今のままではシュナイデルに勝てない、と。会ったこともない相手だというのに、そう思えてならない。


「なあ、姫さん」

「はい」

「寄り道がしたい」


 当初の予定では、まっすぐにアズールの王都ヒンメルに向かうはずだったが、その前に、デインにはやらなければならないことがある。


「どちらに?」


 デインは行き先を告げる。


「青の森だ」


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る