第13話 せめて地獄に落ちろ
「『
半蜘蛛の魔人が両手を素速く動かす。
その指先から生じている極細の糸を、ラシャの目は捉えていた。
鬼人は視力も人より優れているのだ。先ほどは別の糸にまぎれていたおかげで見落としてしまったが、同じ手は二度は食わない。
ラシャは大太刀を振るい、迫るすべての糸を斬り払った。
見える、そして斬れる攻撃であれば、あとは自分の腕次第だ。
「ケヒィィィィィィ! アタシの妖念糸がぁ~~~!」
ラクネーは頭を抱え、
「……なんてね」
ニヤリと笑んだ。
「見せてあげる。アタシのとっておきをね!」
叫んだラクネーの指先から糸が噴き出し、ラクネー自身の腕を、胴を、腹部を、八本の脚を、さらに頭までをも覆った。
「ケヒヒヒヒヒーッ!」
目許以外の全身を糸で覆い尽くしたラクネーは、これまでで一番甲高い笑い声を響かせた。
「アタシの妖念糸にはねぇ、こういう使い方もあるんだよ!」
ラクネーの姿が忽然と消えた。否、消えたと見紛うほどの疾さで、ラシャの視界から消えた。
「――っ!?」
右側面からの攻撃にラシャが辛うじて反応できたのは、ほとんど勘だった。
大太刀とラクネーの脚が衝突し、ラシャは身体ごと弾き飛ばされた。
「ぐ……っ!」
無理やり片足を地面につけて踏ん張り、どうにか倒れ込むことを防いだラシャは、ぎりっと奥歯を噛んだ。
視線の先――ラクネーの顔は糸に隠されていて表情は見えないが、唯一露になっている目は、嫌らしく細められていた。
ラクネーが何をしたのか、ラシャは理解していた。
ラクネーの魔術――妖念糸は、絡みついた対象を自在に操るだけでなく、力を高める。
あの半蜘蛛の魔人は、妖念糸を纏うことで己を強化しているのだ。
一本一本は細く、視認することすら難しかった妖念糸は、束ねられ、ラクネーの身を覆う今は、黄色と黒が交じった毒々しい色をしている。
「妖念糸を纏ったアタシは無敵……アンタ程度のザコ、一瞬で殺せるわ。でも、楽になんて死なせないわよぉ!」
ラクネーの猛攻が始まった。
八本の脚を素速く、そして器用に操り、ラシャを攻め立てる。
正面だけでなく、右から左から、あるいは背後から、絶え間なく繰り出される脚に対し、ラシャは防戦を強いられる。反撃の余裕は微塵もない。
「ほらほら、どうしたのぉ? 腰が引けてるわよぉ! ケヒヒヒヒ!」
一瞬たりとも止まらずに攻め続けていながら、ラクネーは息一つ乱してはいない。まるで本気を出していないのだ。
ラクネーがその気なら、ラシャは最初の一撃で深手を負っていただろう。
(なぶり殺しにしようというのか)
実際、大太刀でラクネーの脚を受けるごとに、ラシャの体力は確実に削られていた。
にもかかわらず、ラシャの心には怖れも焦りもなかった。
代わりに、この敵には決して敗けないという確信があった。
(あの男がいるからか)
勇者デイン。
不思議な男だ。あの男が戦場に現れたことで、空気が変わった。
ラシャ自身、追い詰められてはいるが、それでも今この場を支配しているのはラクネーではない。
勇者がいる。勇者デインが見守っている。憎々しい男であるはずなのに、安心感を覚えている自分に、ラシャは知らずのうちに口の端に笑みを浮かべていた。
※※※
金属同士が激しく衝突し合う音が、絶え間なく響いている。
ラシャとラクネーの戦いを見守るデインの表情に焦りはない。
(まあ、ここまでは想定どおり、か)
ラクネーが妖念糸で自らを強化することは予想できていた。絶対的な自信から、すぐには本気を出さず、ラシャをいたぶろうとするだろうということも。
そして、ラシャがそう簡単には倒されないことも予想どおりだ。むしろ、デインの想定以上に善戦している。ラクネーは徐々に攻撃の速度を上げているが、ラシャはしっかり対応できている。
「勇者様」
隣に立つソラが声をかけてきた。
「勇者様には見えているのですね。この戦いの結末が」
「ん? ああ、まあな」
デインは人差し指で耳の裏をポリポリと掻きつつ、ソラを見た。
ラシャの戦いを見つめるソラは、少しも狼狽えていない。
「心配じゃないのか? あいつのこと」
「はい。ラシャは敗けません」
「それも天眼か?」
ソラは微笑み、首を横に振った。
「いいえ、ただの信頼です」
「言い切ったな」
「ラシャはわたしにとって姉妹のような存在です。彼女が努力する姿を誰よりも傍で見てきました。あの敵に敗けるラシャではありません」
そう言ったソラの額に、珠のような汗がいくつも浮かんでいることにデインは気づいた。
家が燃えているせいで空気が熱くなっているが、それだけが原因ではない。
ラシャの大太刀は、今も理力の輝きを放っている。
維持が難しい魔法であるはずの『
尋常ではない集中力と精神力に、感服せざるをえない。
「それに」
ソラがデインを見上げて、言った。
「ラシャが勝利するための一手を、勇者様が授けてくださるのでしょう?」
デインは肩を竦める。
天眼と関係なく、この娘は鋭い。
「何がおかしい!」
唐突に、ラクネーが金切り声をあげた。
「自分の立場がわかってないみたいだねぇ!」
対するラシャは、劣勢を強いられつつも口の端に笑みを浮かべていた。その余裕にも見える態度が、ラクネーを怒らせたのだろう。
「もういいよ! アンタは飽きた! バラバラにおなりよ!」
ラクネーの攻撃が、さらに激しさを増した。
これ以上は、ラシャも持ち堪えるのは厳しいだろう。
(ぼちぼち、か)
デインはすーっと息を吸い込んで、
「命を燃やせ!」
村中に響く声を出した。
身体が大きな声を出すことに慣れていないせいでむせかけたが、どうにか堪えて次の言葉を発する。
「自分の命を炎に見立てろ! 吸い込んだ空気を食らって、炎を大きく燃え上がらせろ! おまえならできる!」
「はあ!? なにワケわかんないこと言ってんの!?」
ラクネーが振り向いた。攻撃が一瞬、止まる。
その隙に、ラシャはデインの言葉を実行した。
「我が命を、炎に変えて!」
ラシャがあげた獣の咆吼のような声に、空気が震えた。
※※※
「命を燃やせ! 自分の命を炎に見立てろ! 吸い込んだ空気を食らって、炎を大きく燃え上がらせろ!」
デインの言葉の意味を、ラシャは即座に理解した。理屈ではなく感覚で。あるいは本能で。
「おまえならできる!」
(そうだ、私にはできる!)
大きく息を吸い込み、自らの命を――命の炎を燃え上がらせる。
身体が熱くなっていく。
熱された血が全身をかつてない速さで駆け巡る。血を送る心臓もまた、早鐘の如く鼓動を響かせている。
(力が、あふれる……!)
熱は、力だ。
燃え盛る命は熱を生み、熱は力となって、ラシャに咆吼をあげさせた。
「我が命を、炎に変えて!」
デインに意識を向けていたラクネーが弾かれたように振り返った。
「うるさいんだよ!」
右側の脚二本が、剣の如く振り下ろされる。
「遅い」
そう呟きながら、ラシャは大太刀を奔らせ、迫る二本の脚を斬り飛ばした。
「あへ……?」
脚の切断面とラシャを交互に見て、ラクネーは間抜けな声を出した。
「嘘……でしょ……?」
「嘘だと思うなら、もう一度こい。その時がおまえの最後だ」
ラシャの言葉に、半蜘蛛の魔人は目の色を変えた。
「調子に乗るんじゃないよおっ!」
憤怒の形相で、ラクネーは脚を振りかぶる。
そして、
ラクネーは紛れもなく本気だ。
並の人間であればかすっただけでも粉々になりそうな攻撃が、ことごとく空を切る。――空振りを繰り返す。
ラシャは、すべての攻撃を避けていた。
ラクネーの動きの一つ一つが、はっきりと見える。そして、対応できる。
「なんで!? なんで当たんないの!?」
苛立ちと焦りから、ラクネーが金切り声をあげた。
攻撃が雑になる。及び腰になって速度も鈍ってきた。
「終わりだ」
脚撃の雨に自ら飛び込んで、ラシャは大太刀を振るう。
理力の光を宿した刃は、ラクネーの下腹部から脳天までを紙の如く切り裂いて――半蜘蛛の魔人は真っ二つになった。
「あ……れぇ……?」
ラクネーは不思議そうな声を出して、ぐるんと白目を剥いた。
全身を覆っていた毒々しい糸が消える。
分かたれた右半身と左半身――その切断面からどす黒い血を噴いて、半蜘蛛の魔人は崩れ落ちた。
「罪を悔いろとは言わない。だが、せめて地獄に落ちろ」
大太刀についていた血糊を払って、ラシャは言った。
「ケ、ヒ、ヒ……」
自らの死が面白かったのか、受け入れがたい現実から逃避するために笑おうとしたのか。
最後に弱々しい声を漏らして、ラクネーは骸と化した。
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