第11話 糸

「いってててて……」


 身体中の骨と肉が軋んでいる。耐えかねて、デインはその場に片膝をついた。

 氣炎きえんの法の反動だ。


「勇者様、大丈夫ですか?」


 左腕に抱えたソラが、心配そうに声をかけてきた。

 大丈夫じゃねぇ、という本音を呑み込んで、デインは「ああ」と返す。


「姫さんのほうこそ、平気か?」


 デインは魔獣に襲われる女性の姿を認めて急加速した。声をかける余裕もなかったが、ソラは振り落とされもしなければ悲鳴の一つもあげなかった。


「はいっ。勇者様の活躍をこの目で見ることができて、ただただ感動しています」

「…………」


 デインの戦いを見ていたということは、しっかり目を開けていたということだ。


(胆力ありすぎなんだよ)


 感心しつつ呆れつつ、デインは巨蜘蛛に襲われていた女性に目を向けた。

 恐怖にわななきつつも、女性はしっかりと子供を抱きしめている。

 デインはソラを下ろし、言った。


「この人を安全なところまで逃がしてくれ。できるな?」


 ソラは真剣な面持ちで深く頷いた。


「お任せください」


 そして、ソラは女性に優しく声をかけて立ち上がらせると、


「勇者様、ラシャをお願いします」

 そう言って、場を離れた。


「まあ、善処はするよ」

 独りごちたデインは、軋む身体をどうにか立ち上がらせて、ラシャに声を飛ばした。


「そっちは大丈夫か?」

「心配……無用だっ!」


 ラシャは腕と脚を拘束していた糸を、大太刀で斬り払った。

 大きな怪我は見受けられない。一安心しつつ、デインは半蜘蛛の魔人を見た。

 魔人を目の当たりにするのは二十年ぶりだ。厄介だな、とは思うものの、恐怖は感じない。


「アンタが勇者? 冴えない見た目ねぇ。もっといい男を期待してたのに。ガッカリだわ」

「そいつは悪かったな」

「アタシはラクネー。名乗ってあげたんだから、感謝してよね」

「そりゃどうも。俺はデインだ」


 デインは笑った。


「……なんで笑ってるの?」

「いや……二十年も引きこもってて人と話すのがすっかり怖くなっちまったんだが、魔人相手だと少しも怖くないってのが、我ながらおかしくってな」


 魔人は人間にとって天敵とも呼べる存在だ。本来であれば魔獣以上に怖ろしい相手であるはずだが、魔人への恐怖は、とうの昔に麻痺していた。


「……アタシはおかしくないわよ。アンタが魔王を殺してくれたおかげで、アタシたちは魔界に帰ることもできず、こっちでコソコソ暮らすはめになったんだから」

「一生コソコソしていてくれりゃよかったんだがな」


 デインは視線だけを動かして、村の惨状を見た。

 かつて嫌というほどに見た光景だ。デインが魔王を倒した後も、世界からこの光景が絶えることはなかった。


(俺のせい、か……)


 自分を責めるな、と心の中の自分が言う。

 だが、デインが魔王を倒した後も戦い続けていれば、防げたかもしれない光景だ。

 その事実は受け止めなければならない。


「嫌よ。人間を殺すのは、アタシの生き甲斐だもの。まあ、アンタたち人間の中にも、壊れた奴がいるみたいだけどね。なんたって、アタシたち魔人に人殺しを命じるんだから」

「シュナイデルって奴か……」


 デインが世を捨てた後に現れ、魔王軍の残党を狩ることによって勇者と呼ばれるようになった男。しかし、その実は魔人と魔獣を従え、大陸の支配を目論んでいるという。


「勇者なんて、ロクなモンじゃねぇな」


 デインが自嘲を込めて言うと、ラクネーが「ケヒヒヒヒヒ!」と甲高い笑い声を響かせた。


「ホントよねぇ。でも安心して。アタシが今ここで、勇者を一人、減らしてあげるから」

「待て! おまえの相手は私だ!」


 ラシャが声を張りつつ動いた。

 力強く地面を蹴って、一息のうちに肉薄する。――デインに。


「……っ!」


 唸りをあげて迫る大太刀を、デインは咄嗟に剣で受けた。が、ラシャの斬撃は重く、デインは身体ごと弾かれた。

 どうにか踏みとどまって倒れることは防いだが、剣を握る手は痺れていた。


 デインはラシャを見た。

 赤髪の女剣士は、驚きの表情でデインに向けて大太刀を構えている。


「か、身体が勝手に……!」

「アンタの相手はアタシじゃない。勇者よ」


 デインはラクネーがラシャに両手を向けていることに気づいて、目を凝らした。

 最近はすっかり目も弱って遠くも近くも見えにくくなっているが、


(命よ、燃えろ)


 一時的に身体能力を限界以上に高める氣炎の法は、五感をも鋭敏にする。

 デインの目は、ラクネーの指先から伸びる無数の糸を捉えた。

 人の目では、おそらく至近距離でさえ見て取るのが難しいほどの極細の糸が、ラシャの四肢に巻きついている。

 なるほど、とデインは納得した。


「その糸が、おまえさんの魔術か」

「あら、アタシの妖念糸が見えるなんて、いい目してるじゃない」


 ケヒヒ、とラクネーは笑った。


(巻きつけた対象を自在に操る糸……か)


 先ほどまでラシャは左の腕と脚を糸に絡まれていたが、あの糸は囮だったのだろう。


「ぐ……あ、ああ……っ!」


 ラシャは苦しそうに身じろぎしているが、妖念糸はちぎれない。


「アンタの相手は、この女にしてもらうわ」


 半蜘蛛の魔人が、水平に持ち上げた手をゆっくりとデインに向ける。

 その動きに合わせたように、ラシャの身体と剣先もまた、デインに向いた。

 

「逃げ、ろっ!」


 苦しげに叫ぶラシャの目には、涙が滲んでいた。

 

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