第10話 鬼人と魔人
ラシャは、自分に流れる鬼人の血を
人より一回り大きな体躯。燃え立つような赤い髪。赤銅色の肌。そして、額から生えた角が、鬼人の外見的な特徴だ。
鬼人よりもおそらく人の血のほうが濃いラシャは、髪の色こそ赤いものの、肌は白く、角も生えていない。
鬼人らしい見目とはいえないだろうが、それでも髪色と背の高さから、鬼人の血が混じっていることに気づかれることは少なくない。
混血亜人はどこへいっても忌み嫌われる。亜人や混血亜人への蔑視が比較的薄いとされるアズール王国でも、蔑むような、あるいは汚いものを見るような目を向けられることは日常茶飯事だった。
それでも、ラシャは自分に流れる鬼人の血を、疎むどころか感謝していた。
鬼人の血のおかげで、ラシャの身体能力は人間よりも高い。
人より重い物を持ち上げ、人より速く走り、人よりも打たれ強い。
この身体で、この力で、フェリナとソラを守る。命と心を救ってくれたふたりに、忠義を尽くす。
そして、家族の、故郷の仇を取る。
ラシャの脳裏に、あの日の光景が甦る。
燃え盛る家々。血だまりに倒れる両親。暴れ狂う魔獣たち。そして、高笑いをあげる石仮面の魔人。
ラシャは歯を食いしばり、足を速めた。
(申し訳ありません、姫様)
この世の誰よりも守るべき人を置いて、飛び出してしまった。従者としてあるまじき行為だ。
だが、ソラの傍らにはかつて勇者と呼ばれた男がいる。
自分のデインに対する怒りや嫌悪が、逆恨みであるということはわかっている。それでも、やはりデインを前にすると感情が抑えられない。
(ひとまず任せるぞ、勇者)
虫唾が走る男だが、強さだけは信じられる。何かあっても大丈夫……のはずだ。
ラシャの視線の先、木々の向こうに揺らめく赤が見えた。
火だ。村が燃えている。悲鳴も魔獣のものと思しき奇怪な声も、はっきりと聞こえている。
あの日の光景が繰り返されている。
食い止めてみせる。
大太刀の柄に手を掛け、ラシャは吠えた。
※※※
人よりも巨大な蜘蛛が悠然と
スパイオ。ラシャの知識の範囲にある魔獣だった。
その姿は蜘蛛に酷似しているが、大きさは人を上回っている。八本の脚は金属さながらの質感と硬度を持ち、腹部ではなく口から粘性の糸を吐き出し、獲物を絡め取る。
実際、スパイオの一匹が、糸で拘束した村人を鋭利な脚先で
「やめろおっ!」
ラシャは大太刀を振るって、村人を弄んでいたスパイオの脚を斬り飛ばした。
体勢を崩したスパイオが、ラシャに向けて口から糸を吐き出す。
頭に血が上っていても、ラシャには敵の動きがしっかり見えていた。
糸をかわしざま、金属のような脚をさらに二本斬って、いよいよ身体を支えていられなくなった
生臭い緑色の血をぶちまけて、スパイオは絶命する。
「待っていろ! 今すぐ、助け――」
ラシャは足下に転がる糸に捕らわれた村人に目を向け、言葉を呑んだ。
村人は、もう生きてはいなかった。
身体に大きな傷はないが、糸で鼻と口をしっかり塞がれている。息ができずに死んだのだ。恐怖と苦しみに見開かれた目は、真っ赤に染まり、涙にまみれていた。
「くっ……!」
ラシャは歯噛みしつつ顔を上げた。
家々が燃えている。幾人もの村人が血を流して倒れ伏し、あるいは糸に絡まれ、
「誰か、生きている者はいないのか!」
ラシャの呼びかけに応えたのは、金属を擦り合わせたような耳障りな声だった。
声の主であるスパイオたちが、ラシャの前に立ちはだかる。
「そんなに人を殺すのが好きか、ケダモノどもめ」
ラシャは大太刀を構え、地を蹴った。
「おまえたちが死ねっ!」
スパイオの脚を、糸をかいくぐり、ラシャは剛刃を
三匹の巨蜘蛛が骸になるのに、そう時間はかからなかった。
「はあっ……はあっ……」
緑色の返り血に染まったラシャは、地面に突き立てた大太刀を杖代わりにして、乱れた呼吸の回復に努めた。
スパイオの脚は硬く、全力の斬撃でなければ斬れない。力いっぱいに剣を振り抜けば、隙も生じてしまう。敵の攻撃を完全にはかわしきれず、ラシャも多少の傷を負った。
(これで全部……か?)
「ケヒヒヒヒヒ」
肩で息をするラシャの耳に、不快な笑い声が聞こえてきた。
ラシャは声のしたほうに鋭く向けた目を、見開くこととなった。
声の主は、人と蜘蛛――二つの姿を併せ持っていた。
上半身は人。下半身――腹から下は、巨大な黒い蜘蛛。
「魔人か……!」
「ケヒ、ケヒヒヒヒヒ!」
半蜘蛛の魔人が長い鈍色の髪を両手で掻き上げる。奇異な双眸が露わになった。黒目の部分は白く、白目が赤い。顔つきと声質からして女だろうが、確証はない。
魔人は人とも亜人ともまったく異なる特徴を持つ。特徴が定まらない、という特徴だ。
魔界の住人である魔人は、人に近しい姿をしている者もいれば、人とはかけ離れた姿形を持つ者もいる。
共通している特徴があるとすれば、魔術と呼ばれる魔法めいた力を、生まれながらに身につけていることだ。
「おまえがあの蜘蛛どもを操っていたのか」
「んんー? 鬼人の女だけぇ? お姫様はどこよぉ」
ラシャの問いに答えず、半蜘蛛の魔人は周囲を見回す。その声は甲高く、神経に障った。
「姫様が狙いか!」
「そうよぉ」
半蜘蛛の魔人は、今度は答えた。そして、赤い双眸をラシャに向けて、笑んだ。
「アタシはラクネー」
「おまえの名前など、どうでもいい」
「ノリの悪い女ねぇ。冥土の土産にって思って、教えてあげたのに」
「シュナイデルの手先か」
「質問ばっかり。せっかちねぇ」
「答えろ!」
ラシャの怒号に、ラクネーと名乗った半蜘蛛の魔人は顔を顰めた。
「あー、うるさい。そうよ。シュナイデル? だっけ? あの御方がアタシに命じたの。お姫様を殺せってね」
「そうか……」
やはり、シュナイデルは悪だったのだ。
ソラは、正しかった。
「もう一つ訊く。姫様を狙う刺客が、なぜこの村を襲った」
「ホンっトに質問の多い女ねぇ。そんなの暇潰しに決まってるじゃない」
「暇潰し……だと?」
「アンタたちがこの辺を通るって聞いて、待ってたのよ。でも、なかなかこないから待ちくたびれちゃって、暇潰しにここで遊んでたの。家に片っ端から火をつけて、慌てて飛び出してきた人間どもにスパイオをけしかける遊び。まあまあ楽しかったわよ。ま、アンタたちをおびき寄せるためでもあるけどね」
ラクネーの答えに、ラシャは心がすうっと冷えていくのを感じていた。
「……おまえたちは、皆、そうなのか?」
「んんー?」
「おまえたち魔人は、皆、人殺しを遊びと捉えているのかと訊いているんだ!」
ラクネーは「ケヒッ」と笑った。
「そうよぉ。アタシたちはねぇ、こっちの人間どもを殺すのが、好きで好きでたまらないの。人間をいびり殺すのは、最高の娯楽なのよ! ケヒヒヒヒヒ!」
ラクネーの高笑いに、あの日聞いた、石仮面の魔人の笑い声が重なった。
「……下衆め!」
ラシャは大太刀を構える。
魔人は必ず何かしらの魔術を使う。だが、ラクネーがどんな能力を持っていようとも、それを使う前に倒してしまえばいいだけのこと。
(一太刀で仕留める!)
最速にして渾身の一撃を見舞うべく、ラシャは全身に力を漲らせた。
そして、突撃の一歩目を踏み出したその時、
「いやあああっ! 助けてえっ!」
燃え盛る家の陰から、転がるように人が現れた。
女性だ。その腕には幼い子供が抱かれている。
(生きている村人がいたか……!)
ラシャは息を呑んだ。
女性の後ろに、二匹のスパイオが現れた。さらに別の家の陰から、彼女の行く手を塞ぐように二匹。
四匹の巨蜘蛛に囲まれた女性は、絶望の表情でその場にへたり込んでしまう。
「今、助ける!」
ラシャは踏み出した足の向かう先を、女性のほうへと変えた。
「よそ見しちゃだめよぉ」
ラクネーの声とともに、視界の隅に白いものが見えた。糸だ。
ラシャは咄嗟に身を撚ったが、かわしきれなかった。ラクネーの指先からほとばしった糸が、左腕と左脚に絡みつく。
「くっ……!」
左半身が動かせない。
「いやあああっ!」
女性の悲鳴が響く。スパイオたちは、今まさにその凶々しい脚を振り下ろそうとしている。
――助けられない。
「やめろおおおおおっ!」
叫んだラシャの横を、一陣の風が走り抜けた。
その風は――デインは、すれ違い様にこう言った。
「任せろ」
身のこなしは疾風。そして、剣閃は稲妻の如く。
四匹のスパイオは、振り上げていた脚を斬り飛ばされ、さらに胴体を両断されて崩れ落ちた。
「あ……」
ラシャは開いた口が塞がらなかった。
驚きを通り越して呆れてしまうほどの強さ。
四匹のスパイオを、ほんの一瞬で倒してしまった。それだけでも十分すぎるほどに異常なのだが、さらにとんでもないことに、デインは左腕にソラを抱きかかえていた。小柄とはいえ人一人抱えた状態であの動きは人間を超越している。
(これが、勇者の力……!)
ラシャがデインの戦う姿を見るのはこれが二度目だが、改めて思い知らされた。
この男は、とてつもなく強い。
勇者デイン。
魔王グインベルムを打ち倒した救世の英雄が今まさに目の前にいるという事実に、ラシャは震えた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます