第5話 暁の瞳
招かれざる客は、まだいる。
わかっているとばかりに「ふん」と鼻を鳴らして、ラシャは森のほうに向き直った。
その視線の先で、灰色の影が動いた。
ガルムだ。数は、三匹。
「犬が何匹群れようが、所詮は犬だ」
新たに現れた敵にも、ラシャの闘気は揺らいでいない。
だが。
(……こいつは、ちっとばっか厄介かもな)
「ガアッ!」
「斬る!」
「おまえで最後だ!」
「ラシャ! いけない!」
最後の一匹にラシャが斬りかかろうとした瞬間、ソラが裏返った声をあげた。
だが、ラシャは既に斬撃を繰り出していた。
硬い物がぶつかる音が響く。
ラシャの大太刀が、ガルムの首の付け根から突如として生え出た、もう一つの頭に、その牙に、受け止められた音だった。
「な……っ!」
ラシャがあげた驚きの声は、途中で悲鳴に変わった。
鋭利な爪がラシャの脇腹を切り裂いたのだ。
「ベロスだ。擬態してやがった」
デインは舌打ちする。
二つ首になった魔狼――あれは、ガルムではない。
双頭の
ベロスには他の生き物に化ける変化の力がある。その力で、ベロスはガルムのフリをしてラシャを欺いたのだ。
下位種に化けて群れに混ざるとは、なかなか小賢しい。
「お、の、れ……っ!」
怯むことなく大太刀を握る手に力を込めたラシャだが、ベロスの牙はビクともしない。
「バカ野郎! さっさと離れろ!」
デインは叫んで、むせた。つくづく、声を出すことに身体が慣れていない。
ラシャは弾かれたように大太刀から手を離したが、遅かった。
ベロスの爪が閃き、ラシャから鮮血が飛び散った。
長身が、がっくりとその場に膝をつく。
ベロスはとどめの一撃を見舞おうと爪を振りかぶり、大きく飛び退いた。
デインはふーっと細い息を吐いた。
ベロスを飛び退かせたのは、デインの眼光だった。
無論、ただ睨んだだけではない。デインは視線に闘気を込めてぶつけた。
ベロスは、デインの闘気に怯んで飛び退いたのだ。
「大女! 動けるなら下がれ!」
「ぐ……」
ラシャは苦しげに立ち上がり、一歩一歩よろけながら後ずさって、デインとソラの前まできた。そこで、ラシャは再びがっくりと膝から崩れた。
デインは咄嗟に彼女を支え――られなかった。手を伸ばせば支えられたが、身体が動かなかった。
人に触れることが怖かったのだ。
片膝をついたラシャに、ソラが寄り添う。
「姫様の前で、なんたる不覚……!」
「いや、よく致命傷を避けた。生きてるだけで丸儲けだ。気に病むな」
デインは言って、ラシャの前に立った。
「姫さん、そいつの手当を頼む」
「勇者様? なにを……」
「なにもかにもねぇ。この状況をどうにかするしかねぇだろうが」
デインは深く息を吸い、吐いた。
呼吸とともに、身体中を巡る血が熱を帯びていくのを感じる。
長い
目から軽く闘気を放っただけで、頭がガンガンしている。
「勇者様……」
魔獣を前にしても毅然としていたソラが、震えた声を出した。
デインの視線の先、ベロスも身動きできずにいた。右の首も左の首も、目と牙を剥いて唸っているが、仕掛けてはこない。
魔獣とはいえ、その本質はやはり獣。獣は死の気配に敏感だ。
(命よ、燃えろ)
心でそう呟いて、デインは動いた。
刹那、獄門狼の双頭が宙を舞った。
走り、ラシャの大太刀を拾い上げて、ベロスの首を左右もろとも斬り飛ばす。
その三つの所作を、デインは瞬き一つの間にやってのけたのだ。
獣の首が二つ、地を転がる。頭を失った巨躯は、赤黒い血を噴いて倒れた。
デインはそれを返り血として浴びつつ、片膝をついた。
「いってぇ……っ!」
両腕が、両脚が、背中が、胸が、脇腹が。身体中が引きちぎられるように痛んで、デインは呻いた。
ほんの一瞬、全力を出しただけで、この様だ。
「勇者様!」
「くるな! 俺はいい。その大女をどうにかしろ……っ!」
駆け寄ってこようとしたソラを、デインは息も絶え絶えに制した。
「は、はいっ!」
ソラはラシャに向き直ると、苦しげにうずくまっている彼女に手をかざし、
「命の理よ。我が意に従い、彼の者に癒やしを与えよ。『
癒やしの魔法を使った。
淡い金色の光がラシャを包み込む。
(魔法が使えるのか)
デインは驚かなかった。
ソラがただのお姫様でないということはわかっていた。
線は細いから武芸ではなく魔法が得意なのだろうという予想も当たっていた。
そもそも、ソラの母親であるフェリナが、賢者と称されるほどの優秀な魔法の使い手だったのだ。
ただ可憐なだけではないのは、母親譲りといったところか。
「も、申し訳ありません、姫様。魔獣如きに遅れをとってしまうとは……」
ソラの『
「いいえ、ラシャ。あなたはよく戦ってくれました。敵が一枚上手だったのです」
「姫さんの言うとおりだ」
言いながら、デインはラシャの大太刀を杖代わりにして立ち上がった。呼吸は整ってきたが、身体はまだ痛い。
「魔獣は知恵が回る。特にあのベロスは小賢しかった。よほど魔獣と戦い慣れてなきゃ、引っかかるぜ」
デインはソラを見た。
「なあ、姫さん。あんた、あのベロスが正体を現す前に警告の声をあげてたよな。どうして気づけた?」
「それは、この眼が教えてくれたのです」
ソラは自分の目を指さした。
「眼……? あ……」
ソラの瞳の色が変わっていた。
晴天を映したような青色から、赤と橙が交ざったような――喩えるなら、夜明けの空のような色に。
「
「……!」
聞いたことがある。
アズール王家の血を引く女性にのみ、希に発現するという不可思議の瞳。
その、
フェリナの娘というだけでも十分すぎるほどに驚かされたというのに、天眼の持ち主でもあったとは。
「すげぇな……」
ソラは苦笑交じりに首を横に振った。
「自在に使えるわけではないのです。時折、ふっと、眼のほうががわたしに訴えかけてきてくれる感じで……」
話している最中、ソラの瞳が暁の色から元の空色に戻った。
「天眼、か……」
それは、魔法の才能に恵まれていたフェリナにもなかった力だ。
「どういうつもりだ、貴様……」
うずくまっていたラシャが顔を上げ、怒気をはらんだ声と視線をデインに向けてきた。
「私は、強い」
よろめきながらも立ち上がり、ラシャは言う。
「これは、自惚れではなく自負だ。この世のあらゆる脅威から姫様をお守りするために、ただひたすらに己を鍛えてきた」
ラシャの言葉を、デインは否定しない。
ベロスに遅れをとったとはいえ、彼女が強いのは紛れもない事実だ。
今、デインが杖代わりにしているラシャの大太刀……見た目からして重量感があるが、実際に手にしてみると見た目以上に重い。
屈強な男でも、遠心力を利用して振り回すようにしなければ扱えないだろう。それほどの重い武器を、ラシャは軽々と振るっていた。
おそらく、彼女は鬼人だ。赤い髪と、わずかに尖った形状の耳、そして人間離れした力の強さが、それを物語っている。
純血ではないのだろう。純血の鬼人は肌の色も赤く、身体も大きい。
ラシャは人間の女性として見れば大柄だが、鬼人にしては小柄だ。肌も白い。
彼女が鬼人の血を引いているということにデインが気づいたのも、今し方だ。
鬼人は人間より高い身体能力を有しているが、ラシャの強さはそれだけに頼ったものではない。
「だが、おまえは、そんな私が足下にも及ばないほどの強さを持っている。身のこなしも剣速も、目で追うのがやっとだった。そのおまえが! なぜ、こんな山奥に引きこもっている!? それだけの力を、なぜ無駄にする!?」
叫んだラシャは、傷が痛んだのか、「ぐっ」と呻いてうずくまった。
「この二十年の間に、魔王軍の残党のせいで、一体いくつの村が焼かれたと思っている!? どれだけの死人が出たと思っている!? 守れたはずだ! 救えたはずだ! おまえなら! 勇者なら!」
なおも声をあげたラシャは、震えていた。傷の痛みではなく、怒りに。
「ラシャ」
ソラが包み込むようにラシャを背中から抱きしめた。
「申し訳ありません、勇者様。ラシャは故郷を魔王軍の残党に滅ぼされているのです」
ソラのその言葉に、デインは驚かなかった。
ああ、やっぱりな、と思った。
ラシャが向けてくる目には、覚えがあった。
二十年前、人々を守るために剣を振るったデインだが、当然ながら、すべての人を守れたわけではない。
目の前で、または目の届かない場所で、多くの人の命がデインの奮戦空しく失われていった。
この手で守れた命と、この手からこぼれ落ちて失われていった命。どちらが多いかといえば、圧倒的に後者だとデインは思っている。
勇者として世界中から称えられたデインだが、守れなかった人々の家族、友人、恋人から、怒りの感情を向けられたことは一度や二度ではない。
今、ラシャがデインに向けている目は、そういった人たちの目と同じだった。
どうして救ってくれなかったのか。
勇者なのに。
勇者なら救ってくれると信じていたのに。
「俺は、神様じゃねぇんだよ……」
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