第19話「ダメだよ、だーくん。女の子には、自分が悪くても謝らないと」
「にゃっ」
庭で作物の手入れをしていると、一匹の黒猫が、僕に向かって鳴いた。
僕は猫にそれほど詳しいわけではないのだけれど、この短く『にゃっ』と鳴くのは挨拶のようなものらしい。
要するに僕は猫に挨拶された––––とでも、言うと思ったか?
「母さん、久しぶり」
「あっれー、バレてた?」
黒猫は僕にトテトテと近寄ってきた。
そう、この猫が僕の母さんだ。
––––なんて言うと、説明不足になってしまうので、ちゃんと説明すると––––僕の母さんって魔術師なんだよね。しかも一流の。
母さんは、七変化と呼ばれる希少な魔法を扱え、自由に姿を変えることが出来る。
つまり、今は猫に変身してるってわけだ。
ハニーが僕の母さんのことをやたらとリスペクトしてる理由の一つは、この魔法だ。
だって、見た目を変え放題ってことはオシャレし放題だし。
ハニーからしたら、夢のような魔法だろう。
「だーくん、相変わらず目いいねー」
「だーくんはやめてよ」
もう結婚してるんだぞ、僕は。
だーくんって歳じゃないだろ、全く。
「母さん、その格好で来たの?」
「んー、そこで驚かそうと思って変身したの」
失敗しちゃったけど、と母さんは猫らしく顔を洗ってみせた。
「でもね、最近は結構この姿で過ごしてるよー」
「不便じゃないの?」
「それが意外と楽なの」
「へー」
母さんは僕が子供の頃からイタズラのようにコロコロと姿を変えており、本当の姿なんか、小さな頃にしか見たことがない。
普段の母さんって、いつも若い頃の姿に変身してるんだよね。
「母さん、手荷物とかは?」
「あ、そこに置いてある」
母さんは尻尾で、入り口の所を指した。
そこには茶色のトランクが置かれていた。
「おっけー、僕が運ぶよ」
「おっ、だーくん、レディファースト?」
「まあな」
まあ、普段は重い物とかはハニーの重力魔法で浮かして運んでるんだけどね。
「ところで、ハニーちゃんは?」
母さんはキョロキョロと辺りを見渡す。
「ハニーなら、中で
「あ、また喧嘩したの?」
「してないよ」
「ダメだよ、だーくん。女の子には、自分が悪くても謝らないと」
理不尽だ。
でも、そっちの方がいいと最近僕も学んだ。
「まあ、理由は見れば分かるよ」
「そっ」
そう言って、母さんは上機嫌に四本足で玄関へと向かう。
「母さん、変身するのはいいけどさ、せめて人間になってよ」
「ハニーちゃんのこと驚かせたいじゃない」
「多分ハニーも気がつくよ」
「ハニーちゃんも、優秀な魔術師だもんねー」
そう、ハニーが魔王だということは両親には説明してない。
出来るわけないしね。
なので両親には、「ハニーは魔術師だよ」と説明してある。
魔人は魔術に優れているので、都合もいいしね。
優れ過ぎているので、加減はしてもらわないと困るのだが。
特にハニーの場合は。
いくら母さんが優れた魔術師と言っても、山は吹き飛ばせないからな。
「あけてー」
母さんは前足で扉をカリカリとしていた。
そんなことするなら人間の姿に変身すればいいのに。
仕方ないなぁ。
僕は母さんに変わって、扉を開けてあげた。
「おっじゃましまーすっ」
と中に入ろうとする母さんを僕はひょいっと抱え上げる。
「もー、何するの!」
「足拭いてな」
掃除したばかりの床を、土足でペタペタされたらたまったもんじゃない。
僕は、手持ちのタオルで母さんの足を拭ってあげた。
「あひゃひゃひゃひゃっ、それ、くすぐったい」
「足跡付けられたら困るだろ」
母さんの足を拭いてから、ハニーを探す。
まあ、検討は付くけど。
僕は母さんを抱えたまま、洗面所へと向かう。
「ハニー」
「ねえ、どうしようっ!」
焦りながらこちらを見たハニーの前髪は。
眉上ぱっつんになっていた。
くしゃみをした反動でザックリと行ってしまった結果だ。
「可愛いよ?」
「う〜っ、子供っぽくない?」
「可愛いよ」
「それ、子供っぽいってことでしょ!」
うん、なんか幼くなったとは思う。
「どうしよう、もう少しでお義母様がいらっしゃるのに。こんな前髪じゃ恥ずかしいわ」
ここで、ハニーは僕の抱っこしている猫に気付いた。
「あら、猫じゃない」
「うん」
そして、猫を凝視し、ハッとした表情を浮かべる。
「も、もしかして、お義母様ですの⁉︎」
「にゃっ」
鳴いて返事を返す母さん。
それにしても、『ですの』って……お嬢様か何かか?
「お、お久しぶりですわ、お義母様」
「ハニーちゃん、久しぶりっ。相変わらず可愛いねー」
「あ、ちょっと前髪を切り過ぎてしまいまして……」
ハニーは前髪を気にするように、少し摘まんで見せた。
「可愛いよ?」
「ほ、本当ですか?」
「うん、可愛いよー」
何でさ、僕だと反論されて母さんだと素直に受け入れるの?
おかしくない?
おかしくなくなくなーい?
「ハニーちゃん、どう? だーくん迷惑かけてない?」
「そんな、とんでもないです。私の方が迷惑をかけっぱなしで……」
猫をかぶるハニーと、猫になった母さんが仲良く近況を報告し始めたので、僕は昼食の準備をするためキッチンに移動する。
きっと話が長くなりそうだからな。
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