第3話

「危ない!」

 叫んだのは、少年だった。足元のおぼつかないゆかりを支えるのうように少年の手が伸びてくる。反射的にその手をとれば、少年は抱きしめるように、ゆかりを支えてくれた。ゆかりが落っこちたのは、幸い人気のない公園だった。芝が敷かれた運動場があって、そこを囲むように遊具が備え付けられている。足元が芝で助かった。ぬかるみだったら、足を取られて少年もともに転んでいたかもしれない。

「ありがとう」

 お礼を言えば、ゆかりは少年とばっちり目が合った。ゆかりが慌てて瞳を隠そうとするが、少年の照れたような言葉にその動作を止めた。

「きれいな瞳だね。まるで雨粒みたいだ」

 その言葉にゆかりの胸がとくんっと鳴る。

「……ありがとう」

「君は魔女なの?」

 お礼を言ったは良いが、続いて出た確信を付く言葉に、ゆかりは言葉が出てこない。そうだこの人に見られてしまったのだ。まさか人に見られるなんて、どうしよう。胸の高鳴りも忘れて、ゆかりはひどく混乱していた。

「魔女って本当に箒で空を飛ぶんだね。こんな時代に魔女なんていないと思ってた」

 少年はひどく興奮しているようである。

「魔女ってなんのこと?」

「とぼけないでよ。今の今まで箒で空を飛んでいただろう? 手に持ってるびしょ濡れの箒はなんだい?」

 ゆかりは賢明に話をそらそうと、箒を背中の後ろにおいやった。

「あなたこそ、傘もささずに人気のない公園で何をしていたの?」

「僕?」

 少年にとって魔女が珍しいように、空を飛ぶゆかりに気づいた少年もゆかりにとっては珍しかった。よく見れば少年はランドセルも担いでいないし、3月の雨はまだまだ冷えるというのにコートも着ずにひどく薄着である。濡れた髪から雨粒がポタボタと落ちていたが、それなのに急ぎ足で帰ろうともせず、じっと空を見上げていたなんて。

「どうしてずぶ濡れのそんな格好でこんなところにいるの?」

 再度ゆかりが問えば、少年から答えが返ってくる。

「だって、帰り道がわからないから。それに傘はほらっ……」

 道がわからないとはどうしてだろう。少年の答えに、ゆかりは目を瞬かせたせる。それでも彼の指差す方向が気なって、そのままそちらに目を向けた。茂みの影に隠れて、小さなダンボール箱が置かれている。

 さらにそのダンボール箱を上から覆うようにして、ビニール傘が一本置かれていた。

「何が入っているの?」

 ゆかりがダンボール箱に近づこうとすると、少年は「静かに、そっとだよ」と言った。

 その言葉を忠実に守って、ゆかりは静かにそっとダンボール箱のなかを覗き込んだ。なかでは小さな子猫が一匹、ニーニーと弱々しく鳴いていた。金色の目が特徴的な真っ黒なオス猫である。

「かわいい!」

 昔から魔女の使い魔に黒猫はつきものである。しかしゆかりはまだその使い魔をもっていなかった。

「捨て猫なの?」

「たぶんね。僕が見つけのはついさっきだけど、家はマンションだから飼えないし。雨と寒さでだいぶ弱ってるようだったから」

 だからこの子猫に傘を譲り渡したのだろう。少年の優しさが伝わってくるようだった。ママとパパの出会いを思い出して、ママもこんな気持ちだったのかとゆかりは思った。

「なら、わたしの家で飼ってもいいかな?」

「君の家で? 魔女の相棒はやっぱり黒猫なの?」

「ママの使い魔は、三毛猫だけどね。わたしは黒猫に憧れてたんだ」

「やっぱり、君は魔女なんだね」

「あっ!」

 会話の流れで魔女であることを肯定してしまった事実に気がついて、ゆかりは思わず声を上げた。

「嬉しいな。最初にできた友達が魔女だなんて」

 そんなゆかりと打って変わって、少年はすごく嬉しそうである。

「最初にってどういうこと?」

「実は僕、引っ越して来たばかりなんだ」

「だから、帰り道がわからないって言ってたの?」

「うん。空の上からならわかるかな、と思って空を見上げたら君が飛んでいたんだよ。魔女のいる街に越してきたなんて光栄だな」

「お願い! 今日のことは黙っておいて」

 パンッと顔の前で掌を打ち鳴らして、ゆかりは上目遣いに少年を見た。アースアイの魅了の力があればいちころだろう。けれど予想に反して少年は疑問を口にした。

「どうして?」

「どうしてって、むやみに正体を明かさない。それが魔女の掟だからよ」

 むやみやたらに魔女であることを明かさないように、ママからよく言い聞かされている。ましてやアースアイを見られてしまったのだ。これ以上ママに怒られるような事態は避けたかった。

「それじゃあ、秘密を守る代わりに僕の家を探すの手伝ってくれる?」

「あなたの家を?」

「そう。言ったじゃないか、空からならわかるかな、って。もしかして、箒に人を乗せるのも掟で禁じられてるの?」

 禁じられてはいないが、ゆかりもヒトを乗せて飛ぶのは初めてだ。箒のバランスをとるのは難しい。うん、と答えていいのかわからずゆかりは困惑した。

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