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「はい、これ。管理部に持っていってくれる?」

「うっす」


 経費申請書を岡崎に渡す。日付は九月三日。昨日出すべきだったのに、西村の事故に気を取られていて出し忘れていた。申請書の日付が一日ずれたくらいで文句は言われないが、こういう小さい仕事はさっさと終わらせるべきだ。


 仕事に支障無い程度、そう決めていた。仕事に私事を持ち込むべきではない。今だってそう思っている。ただ、今回の一連の出来事が予想をはるかに超えていた。


「届けてきました」

「ありがとう」


 礼を言いつつ、無意識にスマートフォンを触る。教えてもらった連絡先にはすぐ連絡した。こちらの身分も明かしたし、連絡した理由も書いた。返事は無い。既読にもならなかった。


 やはり、これも無意味だったか。友人に話せないものは、今後関わることのない見ず知らずの他人の方が意外と話せたりするのだが、今回は違っていたらしい。


──元気にしてるのかねぇ。


 そもそも、そこを気にした方がいいのかもしれない。最後の四人目。犯人はもう彼女一人に集中出来る。


 写真がばら撒かれてから五日。少なくとも、その時は元気だったことは分かる。その後の足取りはさっぱりだ。警察も苛々しているだろう。田中に聞いてみようか。これ以上は無理だと一蹴されそうだ。村木はあくまで相園と西村の知人止まりである。あまり首を突っ込んでは、いっそ容疑者の疑いをかけられてしまうかもしれない。


 もう終わりにした方がいい、そう言われている気になる。ただ、ここで終われない気持ちもある。半分意地になっている。


「一敬さん。彼女っすか」


 岡崎の問いに村木の肩が落ちる。


「あのね、いないって知ってて言ってんだろ」

「あはは。だって、すごいそわそわしてたからつい」

「そんなに? まあ、山田さんだよ。返信が来なくてね」

「なるほど」


 仕方ない。村木はパソコンに向き直った。


「ほら、岡崎も」

「へ~い」


「こっちが待ってたら返信してくれるわけでもない。さっさと今日の分終わらせるぞ。あと、はい、だ」


「はい」


 大人しく始めた岡崎を横目で確認し、村木も通常より急ぎ目で作業を進めた。この仕事が一段落したら山田が反応してくれていますように、そんなことを思いながら。


 一時間、二時間して、ようやく村木の本日の業務が終了した。何度かスマートフォンが鳴ったので少しの期待を胸にタップしたが、結果は思ったものではなかった。さすがに既読すら付かないのは心配だ。今度は須藤に連絡してみる。


『やっぱ未読スルーだったでしょ』


 あっさりした返信が二分で返ってきた。早すぎても怖い。


『須藤さんも心配だろう。既読が付かなくて』


『まあね~。でも、もう無理かなって。だって、スマホ何日も使わないとかあり得ないじゃん』


 淡々とした言葉にぞっとする。山田が今どうしているのか知っているかのようだ。仮にも親しい友人だろうに。これが村木ならどうするか。たとえば田中が行方不明になったとしたら。今以上に、有給を使って仕事を休んででも探すだろう。


『村木さんも止めたら? 諦めるのって結構いいことだよ』

『分かったよ。ありがとう』


 彼女に連絡することはもう無いかもしれない。連絡先を削除するか迷って、念のためそのままにした。


 今までもそうやって諦めてきて、現在の彼女になったのだろうか。彼女の家庭状況や友人などについて一切知らないが、それは少し寂しいと思う。


──やっぱ、諦められないよな。一人くらい、こういう奴がいないと。


 村木の立場ではこれ以上のことは出来ない。しかし、情報は集める。山田の安否が確認出来るまでは。


「って言っても、新聞とネット、あとはなんだ? 一般人が出来ることって全然無いんだな」


 自身の影響の小ささを実感する。一個人ではやれることはとても少ない。それでも、止めない。


 村木は会社を出て、ある駅に向かった。須藤についでだと教えられていた山田の家の最寄り駅。きっと、いるのではないかと期待して。


「どうぞ、よろしくお願いします」


 駅前では中年女性がチラシを配っていた。


──ビンゴ。


 村木は女性に近づいた。


「失礼します。山田佐保さんのご家族でいらっしゃいますか?」


 話しかけた途端、女性はチラシを何枚か落としてしまった。チラシを一緒に拾うと、女性が小さく謝った。


「す、すみません。そうです、佐保の母です。佐保を知ってるんですか!」


「あの、落ち着いて。私は村木です。佐保さんの友人である相園さんの上司だったものです。私も山田さんが心配で探しておりまして」


「そうなんですか!」

「奈保、落ち着け」


 離れたところにいた男性が走ってきて、興奮した山田の母を宥め始めた。おそらく山田の父親だろう。村木はそれを見て、どこか安心した。


「佐保の父の山田哲二です。お忙しいところ恐縮ですが、お話をお伺いしてもよろしいですか?」

「ええ、それはもちろん」


 父親の提案で、近くのファミレスに三人で入った。母親もどうにか落ち着いて、今はドリンクバーのアイスティーを飲んでいる。


「先ほどは失礼しました」

「いえ、娘さんのことですから、一生懸命になるのは当然のことです」


 深々頭を下げられ、こちらも同じように返す。はっきり言って自分はあまり役に立たないので、ここにいていいものか少々気まずく感じていた。

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