3

 陽が段々傾き始め、ぱらぱらと笑い声が帰っていく。笹沼たちも同様で、それぞれ更衣室から戻ってきた。飯塚は一足早く着替えているので、シートの片づけはすでに完了している。泳ぐことはしなかったが、浜辺近くで水遊び程度はした。砂にも触った。これだけ出来れば十分だ。ちょっかいをかけられることもなかった。良い夏の思い出になった。これで解放されると思っていた飯塚の横で、笹沼が手を叩いた。


「よし、片付けたらバス乗って山行くぞ」


──今から山に行くの!?


 四人の恰好からして本格的な登山はしないだろうが、この時間からでは、いくら放任主義と言えども親に怒られる帰宅になってしまう。どうにか断れないか迷っているうちに、飯塚はバスに乗せられてしまった。


 ここまで来てはもう逃げられない。仕方なく、四人の暇つぶしに付き合うことにした。今日が終われば、少なくとも残りの夏休みは自由に過ごせる。


「わ~、花火じゃん。もう買ったの?」笹沼が持っている袋を覗いて、西村が歓声を上げた。


「おう。海の家で売ってた」笹沼が自慢げに言う。


「じゃあ、山行ったらすぐ花火出来るね」相園も袋を覗く。


「私は夜用に焼きそば買った~」山田が自分の手柄を見せた。


 飯塚は離れた席でぼんやり窓の外を眺めた。通る車も、歩く人もほとんどいない。随分と田舎らしい。こんな所だったら、自分ものんびり過ごせるだろうか。飯塚はありもしない空想に浸った。


「着いた~」


 近いと言っていただけあって、バスは程なく停車した。五人以外誰も降りる者はいない。そもそも乗客は先客の一人のみで、人気の無い路線なのだろう。


「進むぞ」

「ねぇ、この山道荒れてない?」

「普段誰も登らないのかも」


 登山するには小さな山は鬱蒼としていて、普段人々が行き来しないことを窺わせる。時刻は十八時半。夕焼けが綺麗な空だった。


「まだ暗くないね。どうする? 暗くなるまで待つ?」


 途中で切り株を見つけ、そこに座り相園が問う。笹沼は空を眺めてから答えた。


「あんま待つのも面倒くさいし、焼きそば食べたら始めよ。七時過ぎれば暗くなるだろ」

「そうだね、木が鬱陶しくて今だってちょっと暗いし。さあさあ食べて~」


 切り株や岩など、各々の場所で食べ始める。数分で食べ終えた笹沼が一人散策を始めた。


「なんも無いな。うわ、木にきのこ生えてる」


 歩いても面白いものは見つからず、ここいらで戻ろうかと思った矢先、笹沼は思いがけないものを見つけてしまった。それを引っ掴み、急いで皆の元に戻る。


「おい、これ見てよ」

「何、遅かったね」


 笹沼が背中に隠していた右腕を前に出した途端、四人は一斉に距離を取った。


「ちょっと、奈々に向けないで! 危ないじゃん!」

「そんな斧、どこで見つけたの?」

「あっちの草むら。山田さんも持つ?」

「佐保が持つわけないでしょ。透、それどっかに放ってきなよ」


 予想外の反応で笹沼が肩を落とす。


「あ、飯塚さんは? 斧だぞ~」

「や、止めてください」

「あはは。逃げた」


 怖がっている飯塚の顔は見ていて楽しい。笹沼は飯塚をゆっくり追い回す。おもちゃは面白い。逃げるおもちゃはもっと面白い。飯塚が笹沼の働く先に来てくれてよかった。


「もう~。飯塚さん。ちゃんと遊んであげて」西村が野次を飛ばした。


「そうそう。もっと速く走らないと捕まっちゃうぞ」相園は言いながら、アイライナーを取り出し化粧直しを始める。


「奈々、焼きそば残すなら私にちょうだい」山田は焼きそばを頬張りながら飯塚を指差して笑っている。


 自分たちに被害が及ばないことが分かり、三人は安心して観戦に臨んだ。飯塚がどうなろうと関係無い。どうせ退屈な生活の暇つぶしでしかないのだから。


「ほれほれ」

「来ないで!」

「うはは、来ないで! だって」


 最初は観戦に興じていたが、それもすぐに飽きてしまった。


「うわ、つけま取れかかってる。誰か言ってよ」

「知らないし。あー、もっと食べ物買ってくればよかった」

「透、そろそろ花火しよ」


 不格好な試合に終わりの合図が鳴らされ、飯塚は心底安堵した。これで花火をしたら帰ることが出来る。ほっとして足元の確認が疎かになった飯塚は、木の根に足を取られ、その場に転がった。


「だっせ。飯塚さんは期待を裏切らないねぇ。人を笑わす天才だ。そういう職業に就いたらいいんじゃない?」


 とても痛い。膝から血が出ている。しかしここで泣いては、相手の思うつぼ。さらに笑われるだけだ。


「ほら~鬼だぞ~」

「うわッあッ」

「うわッだって。あはは、わぁッ!」


 飯塚の真似をしてふざけていたら、今度は笹沼が躓いた。それを笑う三人の顔が引きつった。


「きゃぁあッッ!」

「いってぇ……地面に斧刺さっちゃった」


 笹沼が体を起こし、痛めた肘と擦る。西村が悲鳴を上げた。


「ひぃ……透! 血!」

「大丈夫。怪我はしてないから」

「違う! 飯塚さんの手が!」


「飯塚さん?」西村の叫びに、笹沼がくるりと振り返った。そこには右手首を押さえ、か細い声を漏らす飯塚がいた。手首からは真っ赤な血が止めどなく漏れ落ちている。笹沼が後ろに飛びのき、尻もちをついた。


「やべぇ! 飯塚さん、わざとじゃないから」

「ああああ!」

「あの、彩香! 包帯とか持ってる?」


「持ってるわけないじゃん! ていうか、包帯なんかじゃ止められないって、それ」

 西村が飯塚を指差す。笹沼も頭では分かっている。しかし、何か行動を起こさないと、自分の立場がどんどん危うくなる気がした。


「ええと、じゃあどうすればいいんだよ」

「救急車じゃない!?」

「それじゃ俺が捕まるだろ!」


 相園の提案に笹沼が拒否を示した。事故とは言え状況が悪すぎる。斧を持ってわざと追いかけ回したのは事実だ。


「みんなも捕まるぞ」


 笹沼が脅せば、救急車を呼ぼうと言う者はいなくなった。


「逃げよう」

「放っておくの?」


 笹沼が倒れている飯塚を見下ろした。もう息は小さく、目も虚ろで生気を感じられない。


「だって、死ぬじゃん。そしたら俺の所為になる。俺だけじゃない、いつも虐めて、さっきも止めなかったお前らも捕まる。だから、俺たちがいた形跡を消して逃げるんだ」


 不安気な顔を三人突き合わせる。いくら普段虐めていたとしても、飯塚を見殺しにするのは怖い。しかし、自分たちが不幸な目に遭うのはもっと怖い。飯塚の命より自分自身の命だ。四人は無言で片付け始めた。


「よし。飯塚さんは水着レンタルだから、海に行ったって証拠は無い。最初から山に行って事故で死んだ。俺たちは何も知らない。いいな?」


「うん」


 四人は静かに、そして小走りに現場を後にした。


 山を下り、バスは使わずに駅へ向かう。駅に着くまで皆無言だった。電車に乗る時、笹沼が呟いた。


「今日のことは誰にも言うなよ。四人の約束だ」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る