暇つぶし

1

「駅前にクレープ屋出来たの知ってる?」

「知ってる。行く?」

「行く行く。今日行こ」


 授業は終わった。残るは当番の掃除のみ。相園は山田を遊びに誘った。さて、そうと決まればすぐにでも向かいたい。相園は辺りを見渡し、目的の人物へ箒を渡した。


「えっ」

「掃除。よろしくね」

「でも、今日」

「今日、何」


 山田が鋭い瞳で飯塚を睨むと、そのまま俯いて頷いた。山田と相園が顔を近づけて笑う。二人と飯塚の関係は一年の頃から始まった。一年の時は相園と飯塚が同じクラスで、適当な時に呼びつけては雑用を頼んでいた。相園と仲の良い山田もいつしか合流した。買い物も頼んだ。代金は飯塚持ちだった。そして二年になって山田も同じクラスになった。


「どお?」

「うーん、結構美味しい」


 チョコバナナクレープを大口で頬張る山田が言う。山田は背が高く大柄で、何を食べるにも一口が大きい。部活はバレーボール部に入っているが、平日唯一部活が無い水曜日は、決まって相園と行動した。


「奈々は?」

「まあまあかな」

「スタジオとかでスイーツもらうから、舌が肥えたんでしょ」

「読者モデルだもん。そんな良い思いはさせてもらってないよ」


「うっそ」山田が大げさに驚いて見せた。


 相園は少しでも嘘を言っていない。例えば芸能人のように長時間の現場に入るならば、弁当やおやすのスイーツなどもらえるだろうが、読者モデルの拘束時間ではせいぜい飲み物と軽食程度だ。


「お仕事は厳しいねえ」

「佐保こそお金持ちなんだから、親からお小遣いいっぱいもらってるじゃん」


 相園の指摘に、山田が両手を振った。


「土日のお昼代もそこから出してるから、残りで遊んだら全然だよ」

「ふぅん」


 やはり高校生ではこんなものか。相園は最後の一口を口に放り、山田に提案した。


「じゃあ、もらえばいいよ」

「何を」

「お金~。いるじゃん。うちらに従順なわんちゃんがさぁ」

「確かに」


 山田が手を叩いて相園を称賛した。


 その日から、飯塚の雑用に金を渡すという地獄が増えた。しかし相園たちも周囲にバレないため、少額を強請ることが多かった。それでも一般家庭の高校生には厳しく、すぐに貯金は底を突いた。


「あの、お金、もう無くて」

「そうなんだ」


 女子トイレで二千円を渡した飯塚が小声で訴えると、相園はすんなり返事をした。やっと解放してくれるのか。飯塚はさらなる地獄を見た。


「じゃあ、今度からは毎回千円でいいよ」

「え」

「それなら平気でしょ。奈々って優しい~」


 飯塚の訴えは簡単に退けられた。千円にしてくれると言っても、もう手持ちは無い。週に最低二回は催促される上、それとは別に学食での食事代を払わされることもある。月に五千円の小遣いでは二週間も持たないのだ。地獄の中の優しさは、内側に棘の生えた服。じわじわ、じわじわと、目には見えないところでゆっくり傷を増やしていく。


「バイト、しなきゃ」


 飯塚はため息をともに歩き出した。






「飯塚かえでです。宜しくお願いします」


──声の小せぇ女。


 これが笹沼が飯塚に抱いた第一印象だった。


 初めてのアルバイトだと言っているが、ここは飲食店で接客が主な業務なのに、蚊の鳴くような声で務まるのか。横にいる西村は欠伸をしていた。


「そこ、片付けておいて」

「あ、はい」


 言えば動く、言わなければ目を彷徨わせるだけで突っ立っている。初日はこんなものかと思った。最初は控え目でも、半月経てばたいていの人間は機敏に動き出す。笹沼の予想は外れた。


 一週間経っても二週間経っても、飯塚は初日のままだった。いくらなんでも使えなさすぎる。わざとやっているのかとも思った。笹沼は飯塚を目に入れるだけで気分が下がった。


「うわ、飯塚じゃん」


 接客中、そんな呟きを耳にした。そちらへ向けば、高校生が二人座っていた。飯塚の知り合いらしい。単純に考えれば同級生と言ったところか。言い方だけで、飯塚の扱いが手に取るように理解出来た。なるほど、高校でも飯塚は不器用に過ごしているらしい。


 さて、飯塚はどう出るだろう。笹沼は高揚した顔で飯塚を覗き見た。予想は当たった。完全に怯えている。被害者の顔だ。笹沼はもっと絶望した顔が見たいと思った。普段彼女の所為で迷惑を被っているのだ。いわばこちらも被害者。被害者同士仲良くしようじゃないか。


「彩香」

「なに?」

「うざ子いんじゃん」

「え~、話題に出すのもウザいんですけど」


 西村がここぞとばかりに嫌な顔をする。笹沼が新しいおもちゃを見つけた子どもになった。


「それがさぁ、面白いこと思いついたんだよね、俺」

「なになに、つまんなかったら殴る」


 実際に拳で軽く肩を叩かれる。その手を取って西村が笑った。


「あいつ、学校でも嫌われてるっぽい」

「で? で?」

「俺らもさぁ、嫌ってやろ。物理的に」

「うんうん。そしたらいなくなるかな」

「いなくなるより面白いかもよ」


 ピンポン。


 ちょうど呼び出し音が鳴る。笹沼は奥の方で食器を片付ける飯塚を無視し、真っすぐ二人組の席に進んだ。


「ご注文でよろしいでしょうか」

「は~い。ドリンクバーとチョコケーキそれぞれ二つで」

「かしこまりました。ご注文を繰り返します」


 決められたバイト文句を言い終わった後、笹沼が一歩前に近づき小声で誘いをかけた。


「ところで、失礼ですがお二人は飯塚さんのお友だちでいらっしゃいますか?」

「ええ? 友だちィ? まあ、知り合いっちゃあ知り合いですけどぉ」


 二人は迷惑そうな口ぶりだった。笹沼は構わず続ける。


「そうですか。実は彼女、ちょっと前に入ったんですけど、困ってまして」

「へぇ~」


 あまり長居をしてはいけない。どう切り出そうか言葉を選んでいたら、二人の方からスマートフォンを差し出してくれた。


「お兄さん、気が合いそう。連絡先教えてくれません?」

「それはもちろん。バイト終わったら連絡します」

「よろしくね」


 笹沼に新しい形の友人が出来た。


 無駄話はせず、連絡先の交換のみにしてその場を去る。後の接客は笹沼がした。バイト先では気の良い先輩として通している。あくまで笹沼は優しい人間でいたいのだ。


 休憩時間中、西村を含め四人で会おうと連絡を取った。西村とは挨拶をしていないはずなのに、ものの一分で了承が返ってきた。常にスマートフォンをチェックしている人間を笹沼は好ましく思う。常に暇をしていて、常におもちゃを探している。


「休憩終わりました~」


 ホールに戻ったら、まだ飯塚が覚束ない足取りで店内を彷徨っていた。彼女は上がりの時間なのだから、さっさと更衣室に戻ればいいものを。


「飯塚さん、帰っていいよ」

「あ、は、はい」


 気まずそうに去っていく。誰かに言われないと行動出来ないのか。人を苛々させる天才だと笹沼は感心した。代償はしっかりと頂く。

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