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「岡崎のことを言ったんじゃないぞ」


「それでも、女の子に失礼です。いつだって女の子は他人の評価を怖がってるんです。そんなんだから、良い人の一人も現れないんすよ」


「……そりゃ、まあ失礼」


 失礼なのは岡崎の方ではないか、喉まで出かかったものを腹に押し戻す。


 女を商品として見ることが癖になっていて、誰もかれも、この人はモノになるかならないかというラインを初対面の時点で考えてしまう。それは写真の中だけの存在でも言えたことで、さすがに先ほどの発言は分が悪いことは分かっている。


「記憶が曖昧ってことは、きっと岡崎も会ったことがないんだ。もしくは知り合いではない程度の距離ですれ違うとか……例えば家が近所……テレビで観たとか」


 肩を強く掴まれた。テニスをやっていたという岡崎の握力は、通常よりも大幅に上回っていて、男でありながらすぐに白旗を挙げたくなる。


「それだ!」村木の言葉に思い出した彼女は、パソコンに向かいインターネットで検索を始めた。


「一年前の事件っす!」

「一年前?」


 検索画面に打ち出される文字たちを追うものの、思い当たることが無く首を傾げる。村木の態度に呆れた様子の岡崎がため息を吐いた。


「女子高生が殺された事件っすよ! 結構報道されてたじゃないですか、覚えてない……あ、すんません」


「なんだよ?」


 締まりの無い顔をされてムッとすれば、岡崎は「事故った時ですよ、事件があったの」と小声で伝えてきた。気の遣われ方がいまいちで村木の眉間がさらに芳しくないものになる。どのような方法で伝えられようと過ぎた事実は変わるはずもなく、一年前の事故を思い出していた。


 あの日は夏休み明けの学生たちが多く行き交う残暑の厳しい日で、長袖のシャツやスラックスに負けた体がうっすら汗の膜を張らせていた。加えて連日の寝不足により完全に注意力散漫になっており、信号待ちの車に接触してしまったのだ。普段の自分であれば考えられない。しかし、イレギュラーなことであろうと自分は自分、言い訳など相手に通用するはずもなく、誠心誠意謝り倒し保険を使って修理代を払った。何より一番堪えたのは、免許証に傷が付いたことだろう。金で誤魔化せるものであればいくらでも払う。言い方は悪いが、金で済むなら安いというもの。事故を起こしたということはどんなに自らを省みようと一生付きまとい、村木の心を苛むのだ。


――九月……十日だったか。


 日付を思い出したところで、その日がほんの二週間まで迫っていたことに気付く。どうにも忘れたいのに忘れがたい苦い思い出に、さらなる追撃を受けた気分だった。


「それで、その子の写真見られる? 新聞でも漁ればいいか?」現実に意識を戻して尋ねる。


「そうっすね」すでに岡崎は該当の事件に関する記事に辿り着いていた。





「一年前の九月十日、ありましたよ、顔写真」


 見せられた記事に目を通す。なるほどよく似ている、何度か頷いてみせたが、似ているというより同じ写真に思えた。かたや輪郭でくり抜かれている不明瞭な状態であるものの、奥二重な瞳の様子や古ぼけた表情がまるでコピー機から出てきた複製であった。もしかしたら、この記事の写真を流用したのかもしれないし、これの元になった、恐らくは生徒手帳の写真などが流出したのかもしれない。


 それにしても、一年前の事件と自分の事故がまさか同じ日であったとは、嬉しくない偶然である。確かに同日であれば覚えていないのも無理はないし、それに至るまでのニュースでは単なる誘拐事件としか扱われていないだろうから、いちいち知らない人間の行方を気にする程時間を持ち合わせていなかった。


「てっきり、一番殺したい相手か、殺すつもりの人間のパーツパーツを繋ぎ合わせたコラあたりかと検討付けてたんだけど」


「もうこの子亡くなってますもんね、どう関係あるんだか」


 ひらひら写真を揺らす岡崎。村木は考えた。彼女が亡くなっていたとしても、亡くなったという事実があるだけで、彼女以外の人生が消えたわけではない。彼らの中には彼女が今でもいるのではないか。


「もしかして、この子の身内……とか」


 殺されたのであれば、家族が死を納得しているはずがない。もしも、ふとしたきっかけで彼女を殺害した人物を知ることが出来たらどうだろうか。警察に知らせるだろうか。大した証拠も無ければ? 哀しみのあまり狂言に至ったと思われるかもしれない。そう考えたら、思いつめる先にあるのは、犯人を自分自身が追い詰める、現実味の無い意志であるが考えられなくはない。


「彼女の身内が今何をしているか、調べてみよう」


「調べるって、警察じゃないんですから無理っすよ。誰も相手にしてくれないし、そもそも身内に行き当たる手段が」


「警察なら、いいだろ?」


 自分のスマートフォンを指差しながら村木が自信ありげに笑う。写真の中ですら笑えない彼女とは正反対であった。リダイヤルから該当の番号を探し出してタップする。向こうは勤務中であろうとスマートフォンを持ち歩いているので、緊急事態でもなければ気付くはずだ。耳元に無機質な音を流しながら事件の概要が書かれた記事を見遣った。


「飯塚かえで十六歳、当時高校二年生、ね」

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