最初の被害者

1

 八月二十七日 午後一時


「警察には一般人に言えないようなことが山ほどあんの。分かる?」

「分かる分かる」


 電話一本で突然やってきた友人に田中弘文が愚痴を零す。村木は何度も頷くだけで謝る素振りを見せなかった。ため息一つで我慢したらしい田中が資料をテーブルに置く。


 田中は村木とは古くからの友人で、所謂同級生というものであった。といっても、高校が一緒だっただけで大学を別にしてからは交流も無くそれぞれ社会人になった。ある時、取材で訪れた先に仕事で来ていた田中と再会し、連絡先を交換して今に至る。たまにオフが被った日の夜ささやかな飲み会を開く程度で頻繁に会うことはなく、こうして仕事上で頼ってくることは初めてだった。


「身内……じゃないけど、飯塚かえでの写真を持っていて、次の被害者だと思われる人間も知っている。これでも関係者じゃないと?」


「お前ね、オレを脅してんの?」

「ううん、脅してなんかない。ただの世間話だ」

「それを脅してるっつってんの」


 ばさりと置かれた資料に手を伸ばす。表紙には「平成二十七年、女子高生誘拐事件」と書かれていた。未だ文句を投げつけてくるが、資料を置いてくれたのだから上からの許可は得ているわけで、単純に忙しいところを割って入ったことで彼の機嫌を損ねたに違いない。今度飲みに誘う時に酒の一杯でも奢ってやろう。黒くぶ厚い表紙をめくった。


「あ、許可は得てないから。というか、一般人相手に得られないから」

「マジかよ」

「ちょっと俺が落としてページがめくれただけ。だから、とりあえず一ページね」

「なるほど」


 村木と岡崎はそのページを慎重に読み進めた。



 飯塚かえで(東京都在住十六歳、高校二年生)

 八月二十日 行方不明、誘拐されたと仮定して捜査を進めるも犯人の手掛かりは掴めず

 九月十日  清戸川のほとり(千葉県管轄)で右手首より先を発見

       血の跡が川まで続いており、川と付近を捜索するものの発見には至らず

       血液量を見て死亡と判断される



「へえ、体は見つかってないんだ」

「あそこの川はすぐ傍が海なんだ。恐らくは流された、だな」

「うーん、千葉っていっても東京からは随分離れてる」


 犯人が千葉の人間であったかそこの地理に詳しいか、はたまた単なる気まぐれか。警察でも探偵でもない村木に東京から千葉へ移動した動機は分からない。しかし、こんな事件だ。今回とまではいかなくとも随分騒がれただろう。当時は、雑誌記者として恥ずかしいくらいテレビをシャットアウトしていたため、どの情報も記憶には掠らなかった。


「理由が何かあるんだろうけど」


「被害者の体も手だけだとな。指紋は取れなかったし体液も付いてなかった。お手上げってやつ、当時は結構叩かれたよ」


 げんなりした様子に、事情を知らない村木ですら同情する。事件解決に至らなければ警察の所為になり、犯人が見つかったとしても被害者を助けられなければやはり警察は世間の敵となる。いずれにしても、一般市民と警察は、守られる立場と守る立場でありながら相容れない関係にあり、警察に対し良い印象を抱いている者は実際のところ半数もいない。これではどうして誠心誠意守れよう。だが、自分自身が身近に守られる経験でもない限り、その溝は埋まらないだろう。


「ったく。ほんと警察はモテないぜ」

「それ、警察だからって話か?」

「あ?」


 頼まれている立場なのに、先ほどから村木が失礼過ぎる。横の岡崎が代わりに会釈してくるのがそれをさらに煽った。ただ、村木の遠慮が無い言葉回しは昨日今日の話ではなく、単に二人が仲の良い距離にいるから実現しているだけだった。さすがに村木も愛想笑いを浮かべなければならない相手にまで喧嘩を売ったりしない。だから、村木にとって田中は本音を言い合える数少ない友人というわけだ。


「ん?」


 軽口を言い合っていると急に違和感を覚えた。前の文章へ戻る。


「手……右手首!」


「あ!」村木の発言に岡崎も前のめりになる。飯塚は右手首を切断されていた。今回の被害者たちとの貴重な共通項を発見したのだ。田中はバツの悪そうな顔をした。


「そこまで知ってるんだ」

「お前も知ってたのか?」村木が訝し気な声を漏らす。


「違うよ。隠してたって思ってるんだろ? そりゃ勘違い。お前と同じく、今気づいただけだ。警察の俺と同じスピードで分かるってことは、それだけ村木が関係者ってことなんだと」


 ようやくここまで来て、田中も諦めたらしい。二人の向かいで、資料を覗き込む。


「ちなみに、担当の奴らにはお前が持ってきた写真を提出しただけだから、まだ追いついていないかもしれない。早く報告しないとな」

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