準備不足

俺     主人公

エリさん  俺マンションの家政婦さん

マリちゃん エリさんの娘


***


【大学2年9月初旬】


 9月1日付で会社を設立したのはいいが、事務所関係の準備が全くできていなかった。自社ビルの2階店舗が空室だったので、そこを仮の事務所とした。8階の事務所の賃貸契約が来年3月で切れるので、4月以降にウチの事務所が8階へ引っ越す予定にしている。


 電気、水道、電話、警備会社と契約するだけでも大変だった。銀行口座がないのでしばらくは請求書払いとなる。


 ビルの管理やテナントとの賃貸契約は、すべてプロにお任せすることにした。前オーナーが関わっていた会社とは一切、契約しなかった。また、いろいろお世話になった父弁護士先生、息子司法書士先生とは、俺の会社と顧問契約を結んだ。


 経理も税理士さんに帳簿作成までお任せする。営利を目的とした法人として、いろいろ丸投げするのはよろしくないが、なにしろ、素人オーナー社長1人の会社だ。出来る事にも限度がある。


 それに、今後の事を考えて、プロのやり方を見て、いろんなノウハウを学ぶのも大事なことだ。


***


 いくら夏休とはいえ、会社関係でやる事が多く、さすがに1人では無理だと思い、エリさんにSOSを出した。


「会社を設立したのですが1人で手が回りません。日雇いのアルバイトして貰えませんか?」


「え? なにそれ。聞いてないんですけど」


「言ってませんでしたし」


なんの会社なの?」


「ビルのオーナーになりました」


「ビルって・・・。一体、いくらするのよ」


「約8億円」


「俺君は前々から変わった子だとは思っていたけど、何かやる事が普通の人と違うね。めているんじゃないからね。それで、私に何をしてほしいの?」


「お買いもの」


「え? ちょっと言っている事がよく分からないんですが」


「ビルの2階をウチの事務所にするんだけど、いろいろ買うものがあって」


「あ、もしかしてビルを買ったけど、マンションを買った時と同じで、実は何も準備していないとかじゃないよね?」


「・・・」


「マジですかー。またですか。俺君、計画性が無さ過ぎ。学習しようよ」


「だって、会社設立日が9月1日なんだから、その前に会社のお金は使えませんよね。これは、仕方ないんです」


「あのね、俺君。例えば、事務机が必要だったとしたら、俺君がお金を立て替えて、先に買っておけばいいんだよ、配達日は後にしてさ」


「でも、それだと領収証の日付が、会社設立前になって、おかしくなりますよね」


「そんな事を気にしていたの? そんなの何とでもなるでしょ。会社設立前に会社の実印を作って、それを資本金に入れるなんて話を聞いた事があるよ。それから、もっと簡単なのは、領収証の日付を後日付にして貰えばいいのよ」


「いや、それはマズいんじゃないですか?」


「何を言っているの? 俺君の払ったお金を先払金や保証金扱いにして、商品を収めた日が売上日でも問題ないでしょ。他にも、俺君が買ったものを一度返品して、俺君の会社が改めて買った事にしてもいいのよ。それなら普通の商取引でしょ。こっちはお客様なんだから、そんなの向こうが考える事。出来ないと言われれば、やってくれる店で買えばいいだけ。簡単でしょ」


「なるほど」


「あのね。俺君。会社だと、稟議書りんぎしょが通ってないから、この代金は翌月請求にしてくれとか、逆に決算前にもうかりそうだから、工事は後でも請求は今月分に入れてくれ、なんて事は、担当者レベルでも日常茶飯事なんだよ。さすがに1000万円の工事代金の支払いが遅れるとかだと、下請けさんが困っちゃうけど、5万8千円の商品の支払いが来月になったとしても相手先も普通の事だから何も言わないよ。これは、あくまで事務処理上の問題。脱税じゃない。節税ではあるけどね」


 エリさんは、元OLさんだったから、こういう事には詳しいようだ。


「前から言おうと思っていたど、俺君は、私には脱税(所得税)を勧めるくせに、法律を勉強しているからか、頭でっかちというか、頭が固いと思うよ。これは必ずこうしなければならない、って自分で自分をしばると、物事はそこから何も進まない。日本全国に事務机を売っているお店なんて何件あると思う? こっちの意に沿わないお店からは、買わなければいいだけ」


 父弁護士先生や息子司法書士先生対策はしっかりしていたが、まさかエリさんにさとされるとは思ってもみなかった。


「なーんて、偉そうなことを言ったけど、全部、会社に勤めていた時の元先輩からの受け売りなんだ。まぁ、俺君の事情は分かったけど、電話じゃらちが明かないから、今からマリちゃんを連れてそっちに行くよ」


「え? 今からですか?」


「うん。困っているんでしょ。早い方がいいよね?」


 エリさんは、たまに行動が早い事がある。


「わかりました。じゃあ、最寄りの駅に着いたら、迎えに行きます」


***


 俺は、エリさんとマリちゃんを迎えに行って、事務所まで来て貰った。


 ビルの前で、建物を見上げたエリさんは、「ほー」、「へー」と、意味不明の事を言っていた。取りえず、事務所予定の2階に行く。


「本当に何もない」とエリさんはあきれ顔で言った。


 元店舗だった2階には、会議用の折りたたみテーブル1つとパイプ椅子が2つあるだけ。ビルを買ったときに前オーナーも運ぶのが面倒だったのか、そのままくれたものだ。あまりに何もないので、マリちゃんが転がって遊び始めた。まだ、きちんと掃除してないから汚れるよ。


 俺は、エリさんに会社の事をいろいろ説明した。


「司法試験に受かってもないのに、弁護士事務所用としてビルを買うなんて、やっぱりおかしい」


 エリさんは、辛辣しんらつだった。


「それでですね、実は、まだ両親にはビルの話はしていないんですよ。内緒でお願いしたいんですが」


「ほほぅ」と、エリさんはニヤリと笑った。


「どーしようかなぁ。私の口がつい、すべってしまうかもしれないなぁ。これは、ケーキバイキング1回じゃ、かないかもね。ねぇ、マリちゃん」


 いつものように、エリさんの小芝居が始まった。


「いやいや、秘密保持契約があるでしょ」


「私、最近は、俺君のお母様と、ひじょーに、仲が良くてですね」


「あー、分かりました。ケーキバイキングに、高級焼肉店でどうでしょう」


「俺君、大丈夫だよ。私の口は、貝より堅いから」


 焼肉で買収したエリさんには、事務所に必要な掃除用品、来客用のお茶関係、事務用品などの買い物をお願いした。元OLさんなので、その辺りはお任せした。荷物が多ければ帰りは、近くてもタクシーを使ってくれと伝えた。


 会社の就業規則もまだないので、エリさんのアルバイト代は、とりあえず、俺のポケットマネーから出す。


 俺の方は事務机、来客用のソファーとテーブル、書類棚、衝立ついたてなどの大物を買いに出かけた。来客用のセットは高額でも見栄えの良いものを選んだ。こういうのはハッタリが必要と誰かに聞いたからだ。


 事務用の椅子も値段の高いものを選んだ。安いものはすぐに壊れるらしい。配達を頼んだが、少し時間がかかるそうだ。


 それから家電量販店でノートパソコンを2台買った。最初の設定が大変そうだ。ネット関係はプロバイダーと契約して会社のメールアドレスも準備した。


 税理士先生から、パソコンは1台10万円未満であれば、全額経費になると聞いていたので安いものを買った。事務用ソフトは後から買う。そういえば、税務署に開業届と青色申告承認申請書を出せと言っていたな。やる事が多い。


 ちなみに、税務上、中小企業と言うのは、いろいろ条件もあるが、おおむね、資本金一億円以下の会社を指す。中小企業には、税務上の様々な特典(特例)がある。


 夕方、エリさんが帰って来たので、今日はここまでにした。食事を作る時間がなかったから、帰りに高級焼肉店に行った。


「ねえ、俺君。さすがに俺君1人という訳には、いかないんじゃない。誰か雇う予定があるの?」


 外食中に、エリさんが尋ねてきた。


 正直、うちの会社は誰かが常駐している必要がない。ビルの管理も共用部分の掃除も外注している。家賃の振込先まで管理会社(不動産屋)にしてある。うちでやらなくてはならないのは、自社の管理くらいだ。郵便物などもあるから、週に1~2日は、半日だけでも誰かに居て貰った方がいいかもしれない。


 その旨をエリさんに伝えると、ママ友に聞いてみると請け負ってくれた。


「できれば、独身のかたがいいんですが」


「俺君、彼女がいるんでしょ。ダメじゃない」


「いえいえ、俺じゃなくて、息子司法書士先生に紹介したくて」


 俺は、息子司法書士先生の事を話した。


「ほほぅ。司法書士と行政書士のダブルライセンスで独立開業していて、お父様が弁護士さんっと。うん、知り合いの独身のに、それとなく聞いてみてあげるよ」


 それはありがたい。だが、俺は息子先生の年収については言えなかった。


 俺の役員報酬は月額30万円とした。これだけで、息子司法書士先生の年収を超える。また、オーナー社長1人しかいなくても、社会保険に加入しなければならない。この辺りは社労士さんにお願いした。


 出費が大きいが、数ヵ月後には法人として株式投資を始める予定で、それがあれば、会社の収入も安定するだろう。


 エリさんの協力もあり2週間程で事務所のていをなした。夏休みで本当によかった。ああ、名刺めいしも作らないと。やる事は、まだ山積みだ。



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