☆事務所見学

※ この話はカクヨム用に新たに執筆しっぴつしたものです。


俺    主人公 大学2年生

高橋さん 風俗店のオーナー


***


 息子司法書士先生は、司法書士になるまで、いろいろあった人だ。大学時代に、父弁護士先生の後を継ぐため、司法試験にチャレンジしようとしたが、父先生が、まず行政書士の資格を取れと強くすすめたそうだ。


 父弁護士先生は、司法試験に合格するのに苦労したそうで、自分の経験から、難関の司法試験にチャレンジするのはいいが、合格出来なかった場合、どう生計を立てるかを考えておくべきだ、というスタンスだった。


 何故なぜ、司法書士ではなく、行政書士だったかと言えば、行政書士の方が試験の合格率が高いからだ。


 息子先生は、大学在学中に、試験に合格し、行政書士の資格を得た。


 卒業後は、行政書士事務所で働きながら、司法試験の勉強をした。働きながらだったので時間はかかったが、5年後に、俺も受けた司法試験予備試験に合格した。


 ここで、司法試験に役に立つかもしれないと思い、司法書士と行政書士の両方やっている事務所に転職した。


 司法試験の勉強なら、何で父弁護士の所で働かなかったのかと聞いてみた。


「行政書士の資格も活かせるし、親の所だと、甘えが出るからね」


 司法試験予備試験に合格すると、5年間に3回、司法試験を受験出来る。先生は、1年目、3年目、5年目と3回、受験したが合格出来なかった。父弁護士先生は、あいつには、行政書士など受けさせず、最初から司法試験一本でやらせればよかった、と後悔されていた。後継ぎが出来なかったわけだから、その気持ちは分かる。


「司法試験に合格出来なかったのは、私の実力が足りなかっただけ。行政書士の受験を勧めてくれた親父には感謝している」


 息子先生は、その点について、とても前向きだった。


 再度、予備試験から受け直して、司法試験を受ける事も考えたが、年齢的に、そろそろ嫁さんが欲しいと思ったそうだ。合格出来るか、どうか分からない難関の司法試験より、いずれ独立出来るようにと、働きながら司法書士の試験を受験する事にした。


 努力の甲斐かいあって、2年後に見事に合格した。司法書士と行政書士の所謂いわゆる、ダブルライセンスだ。


 ところが、司法書士に合格した事で、業務の分担など、勤め先のボスとは、色々、軋轢あつれきが生じるようになった。やってられるかと、後先を考えずに、先生は辞表を叩きつけたそうだ。


 それで、独立開業したそうだが、いくらダブルライセンスとはいえ、顧客がいないと士業さむらいぎょうは成り立たない。父先生が時々、仕事を回してくれるそうだ。


 息子先生の事務所は、実家(父先生の家)の一階で、亡くなられたお爺さんが、かつて、商売で使っていた所らしい。父先生が弁護士になったので、その後は、客間として使っていたそうだ。


「父には家賃を払っているけど、小遣いとして、返してくるんだよ。この年になっても親の脛を齧すねをかじっているようで、本当に情けない」


 息子司法書士先生の年収は300万円あるかないかだそうだ。どこかに事務所を借りれば、手取りはもっと減るだろう。司法書士全体を見れば、平均年収は700~800万円だと聞いた事がある。


代書屋だいしょやなんかにならず、薬学部へ行って、薬剤師になればよかった。雇われでも年収600万はあるからなぁ。今の年収だと結婚は夢のまた夢だよ」


 息子先生は、飲みに行くと、そう愚痴ぐちり出す。将来に保険をかけた上で、働きながら勉強していたのは、とても堅実だと思う。こういう所は見習いたい。


 ただ、10年以上、勉強漬けだったので、女性に対してこじらせている所がある。これは、反面教師にしたい。


 大雑把にいうと、行政書士は、役所へ提出する書類の作成、提出手続きの代行などを行い、司法書士は、法律に関係する書類の作成、手続きの代行が主な業務。俺は、不動産登記や会社登記には用事があるが、役所に書類を提出する事なんてほとんどないから、行政書士さんには、今の所、用がない。だから、息子先生の事を、俺は心の中で、行政書士ではなく、司法書士先生と呼んでいる。


***


 高橋さんとは、息子司法書士先生の3人で、たまに飲みに行く仲となった。風俗店のオーナーと司法書士(行政書士)という組み合わせは、一見いっけん、異色の組み合わせのように見えるが、実は、風俗店の申請や届け出の書類を行政書士が代行する事がある。


 事業をやっている人は、大なり小なり、申請や届け出、登記が必要になるので、ダブルライセンスの先生にとって、事業家は誰でもお客になりうる人なのだ。


「そういえば、○○おれさん、うちの事務所を見たがっていましたよね。今から行きませんか?」


 いつものように3人で飲みに行った後、高橋さんがそう言った。


是非ぜひ、お願いします」


 そして、いつものように、息子先生は「私も」と、着いてきた。


「おう、俺だ。今から客を連れて、そこに行くから頼むぞ。ああ? 面接じゃねーぞ。俺の大切なダチというか、お客さんだ。おめーも丁寧に対応するんだぞ。あー、違う。 おぅ、そうだ。じゃ、頼んだぞ」


 高橋さんは、電話で事務所に連絡を入れていた。


 映画でノミ屋(※1)の摘発シーンを見た事がある。チンピラのような男が数人いて、客から電話を受け付けていた。室内は、汚れていてタバコの吸い殻が灰皿に山積み。


 おれは、高橋さんの事務所も、そんな感じだと思っていた。


 行ってみて驚いたが、本当に普通の事務所だった。事務机にパソコンが数台置いてあり、スマホも数台、置いてあった。事務所にいた男性もスーツを着ており、本当にどこかの会社かと思った。


「普通の会社の事務所と同じですね」


「珍しいものは何もないって、言っただろ。まぁ、余所よそは知らないけど、ウチこんな感じだね」


「電話番の方も、スーツなんですね。もっとラフな格好かと思いました」


「ああ、身だしなみについては、いつもキツく言っているんだ。ラフな格好していると、どうしてもダラけるからな。ウチはドライバーもスーツだよ」


「へー」


「ダラけた野郎がソファーでふんぞり返って、電話を受けているような想像してたんだろ。わかるよ。でも、電話だけでなく、ネットで予約されるお客さんも多くてね、その返信が必要だし、ウチのホームページの更新もある。リアルタイムで予約状況は変わるからね。それから、女の子がスマホからコメントや日記を書くけど、変な事を書いてないか、常にチェックもしている。だから、パソコン仕事が結構、多いんだよ」


「へー。そうなんですか。勉強になります」


○○おれさん、何の勉強だよ」と、高橋さんは豪快に笑った。


 室内は事務所のようだが、ハンガーにコスプレ用の衣装がかけてあったり、棚には、この業界特有のものが置いてあるのを俺は見逃さなかった。


「ちなみに、女の子は、どこにいるんですか?」


「おお。俺さんも、やっぱ興味があるんだな。近くに賃貸マンションを借りていてな、そこで待機している。女の子によっては、ネットカフェで待機しているもいる。それから、短期で地方からで出稼ぎに来るは、ウィークリーマンションを借りているんだ」


「へー。いろんな所で待機されているんですね」


 高橋さんは、俺たちを小さな応接室に案内してくれた。男性従業員が、缶コーヒーを持ってきてくれた。


「高橋さん、ちなみに無店舗型性風俗特殊営業の事務所として届出をするには、大家さんの許可がいると思いますが、そのあたりはスムーズにいったんですか?」


 高橋さんに息子先生が訪ねた。


「ああ、それな。実は、そういうのを専門に扱っている不動産屋がいるんだ。ここもそこからの紹介だよ。先生の前では、釈迦しゃかに説法かもしれないけど、届出する事務所は、自宅でもアパートの一室でも、どこでもいいんだ。嘘か本当か知らんけど、地方では、公営住宅の一室を事務所にしているところもあるそうだ。役所がよく許可を出したと感心するよ」


「なるほどね。ついでに教えていただきたいんですが、女の子は従業員ではなく、業務委託契約なんですよね」


「そうそう、うちの従業員じゃないよ。この仕事をやってね、と外注(委託)して、うちは業務委託料を払う。形としてはそうなってる。だから女の子は、みんなフリーランスの自営業者さ」


「もう1ついいですか。支払調書って、税務署に出されてます?」


「源泉徴収してないんだから、出すわけないだろ。ウチはきっちり税金を払っているんだ。フリーランスの女の子が確定申告するかどうかなんて、こっちの知った事じゃないよ」


 なるほどね。そうすると女の子が働いていた記録って、お店にもないのか。


「税金よりも、最近は、働く女の子の確保が難しくてね、なかなか大変なんだ。だから、昔から、スカウトなんて職業がある。中には悪い奴もいてね、女の子と付き合うフリをしながら、金が必要だからと言って、こういう店で働かせる奴もいるんだ。こんな稼業をしている俺が言うのもなんだけどさ、若いは、本当に気をつけてほしいもんだね」


「高橋さん、いろいろ勉強になりました。ありがとうございます」


「いや、だから何の勉強だよ。ああ、そうだ、最近、困った事があってね、先生もいるし、相談に乗ってくれないかな」


「何に困っておられるのですか?」


「実は、いたずら電話なんだよ」





※1 ノミ屋 競馬などの公営競技を使って、私的な投票所を開設している人、または団体。もちろん、違法である。




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